最終章:錆びた鋸、血の通う朝
嵐の後の静寂。
エルナはベッドの下に転がった剪定鋸を、ぼんやりとした瞳で見つめていた。 キリアンは彼女の喉元に、自らその刃を押し込もうとする。
「……殺してくれ、エルナ。この絶頂のまま、君に終わらせてほしい」
だが、エルナの指先から力が抜けた。彼女は鋸を蹴り飛ばし、キリアンの涙に濡れた瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……嫌よ。死なせてなんてあげない。あなたは生きるのよ。私を99回殺したその身体で、私を一生愛し続けなさい」
エルナは、キリアンの頬を両手で強く掴んだ。
「老いて、醜くなっていく私を、逃げずに見届けなさい。それが、私からあなたへの……最大の罰よ」
翌朝、オズワルドが寝室を訪れると、そこには血の海の代わりに、互いの体温を分け合って眠る人間の姿があった。キリアンは契約終了の書類を自らの手で破り捨て、代わりに生涯の誓約という、ただの紙切れをエルナに手渡した。
「101回目の朝だね、エルナ」
「ええ、旦那様。……今日の紅茶は、毒が入っているかもしれないから、気をつけて召し上がれ」
冗談とも本気ともつかぬ微笑みを交わし、二人は初めて、窓から差し込む老いていく太陽の光を、共に浴びた。
キリアンの腕の中で、エルナはそっと自分の腹部に手を添えた。
まだ誰も知らない。
99回の死を繰り返したこの肉体に、100回分の絶望を超えて、たった一つの光が宿ったことを。
二人の歪な愛が結実したその小さな命こそが、このループを終わらせる、本物の、そして唯一の「完成品」だった。
庭では、昨日投げ捨てた剪定鋸が、朝露に濡れて赤く錆び始めていた。
不変の美しさなど、もういらない。
朽ちて、老いて、血の通う日々を。
二人の「人間」の物語が、今、本当の幕を開けた。




