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100回目の契約結婚 〜今度は殺される前に、旦那様を暗殺します〜  作者: 河野章


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第3章:処刑台の臥所(ふしど)

 深夜。公爵邸の主寝室は、冷たい静寂と、むせ返るような薔薇の香りに支配されていた。  エルナは薄いシルクの夜着を纏い、鏡の前で首筋の太いリボンを解く。鏡越しに、背後に立つ影――キリアンを見つめた。

「……旦那様。今夜は、随分と熱心に見つめてくださるのね」

 キリアンは答えず、黒い革手袋を嵌めた指先で、彼女の剥き出しになった肩をなぞった。死人のように白い肌と、漆黒の革。その対比に、キリアンの紺碧の瞳が微かに揺れる。  エルナはふわりと微笑み、彼の胸元に手を添えた。指先には、袖口に隠した極小の、神経毒を塗布した銀針が仕込まれている。

「君を殺す夢を見た、エルナ。……百回目よりもずっと美しく、君が私の名を呼んで果てる夢を」

 キリアンの低い声が耳元を打つ。彼は手袋を歯で引き抜き、無造作に床へ捨てた。  露わになった彼の素肌は、驚くほどに熱い。彼はそのままエルナを抱き上げ、広大なベッドへと押し倒した。

 重なり合う体。エルナの細い体が、キリアンの逞しい体躯の下でしなる。キリアンの接吻は、愛撫というよりは略奪だった。舌を割り、呼吸を奪い、彼女の存在すべてを飲み込もうとする熱量。エルナは喘ぎながら、彼の首筋に腕を回した。彼女の柔らかな胸が彼の胸板に押し潰され、互いの心音が狂ったように呼応する。

(今よ。今、この拍動が、絶頂で乱れる瞬間に――)

 エルナは、官能に溺れるふりをして腰を浮かせた。彼女の肉感的な曲線が、キリアンの理性を削り取っていく。彼女の指が、キリアンの延髄にある「急所」へ、銀針を導く。

 だが。

「──っ、あ……!」

 針が肌を貫く直前、キリアンの大きな手がエルナの首を掴んだ。愛撫の延長のような優しさで、しかし気管を確実に圧迫する、冷徹な力。キリアンは彼女を組み伏せたまま、至近距離でその氷色の瞳を覗き込んだ。

「……惜しいな。あと数ミリ、角度が浅ければ、私は今頃幸福な死を迎えていただろうに」

 彼は笑っていた。死を目前にした恐怖など微塵もない。自分を殺そうとするエルナの執念を、最上の愛撫として享受する、狂った青年の顔。彼はエルナの手首を掴み、銀針を床へと弾き飛ばすと、彼女の唇を再び蹂躙した。

「殺せ、エルナ。私を殺したいというその熱情だけが、私を唯一、生へ繋ぎ止めている。……君が私を憎むほどに、私は君を離せなくなる」

「……狂ってる」

 エルナは息を切らし、涙の滲んだ瞳で彼を睨みつけた。 首筋に食い込む彼の指の痕。それは屈辱の証であるはずなのに、同時に、彼女の奥底にある本能を激しく疼かせる。  殺したい。殺して、この執着の連鎖を断ち切りたい。けれど、彼に触れられ、その孤独な熱を肌で感じるたびに、彼女の殺意は、毒のような愛着へと変質していく。

 天蓋の陰が、二人の肢体を不気味に、そして艶やかに縁取っていた。キリアンの手袋を脱いだ指先が、エルナの太ももの内側、最も柔らかな肉へと食い込む。その熱に、エルナは喉を鳴らして弓なりに身を反らせた。

「あぁっ! キリアン……!」

 彼女の銀髪がシーツに乱れ、無機質な白がキリアンの漆黒の正装の上で踊る。エルナは逃げるように腰を振るが、彼はその動きを逃さず、より強引に彼女を組み伏せた。キリアンの口から漏れるのは、氷のような冷静さをかなぐり捨てた、飢えた獣の吐息だ。彼はエルナの首筋に顔を埋め、血管が脈打つその場所を、噛み千切らんばかりの勢いで吸い上げる。

「生きていろ、エルナ。……今、この瞬間、私に殺されていることだけを考えろ」

 蹂躙される快楽。エルナの脳裏には、過去に彼に首を絞められ、意識を失った時の感覚がフラッシュバックする。だが、今のこの感覚はどうだ。肺を圧迫する彼の重み、肌を擦り合わせるたびに立ち昇る、むせ返るような獣の匂い。死の淵を歩いてきた彼女にとって、この暴力的なまでの快楽こそが、自分が今「生きている」ことを証明する唯一の衝撃だった。

 エルナは、キリアンの背中に爪を立てた。皮膚を裂き、肉に食い込む。彼女の爪の間に、キリアンの熱い血が滲む。

(ああ、温かい……。この熱い血が、あなたの体の中を流れているのね)

 殺したい。今すぐ、この男の喉笛を掻き切りたい。その殺意が、彼女の秘部をドロリと熱く濡らしていく。キリアンがその熱を確かめるように指を差し入れ、深い場所を乱暴に抉ると、エルナは白目を剥いて、激しく身悶えた。

「んんっ! あ、あぁ……!!」

 キリアンが彼女の脚を無理やり割り、楔を打ち込むように、彼女の深奥を貫いた。突き上げる衝撃。エルナの視界が真っ白に弾ける。それは結合という名の、魂の削り合い。キリアンは、彼女の絶叫を吸い取るように深く接吻を交わし、彼女の肺にある酸素をすべて自分のものにした。

 キリアンの動きは次第に速度を増し、理性の欠片もない、野蛮なリズムで彼女を追い詰めていく。エルナは、押し寄せる絶頂の波の中で、彼の耳を甘く噛んだ。

「殺すわ……キリアン。あなたを、誰にも、触れさせない……私だけの、ものに……!」

 その呪詛のような愛の言葉に、キリアンの瞳孔が限界まで開いた。腰を叩きつける衝撃が一段と強まり、彼の筋肉が岩のように硬直する。エルナの全身が、小刻みに痙攣を始めた。  背骨を稲妻が走り抜け、視界の端で九十九人の死体たちが拍手喝采を送っているような錯覚。キリアンの喉から、掠れた、獣のような咆哮が漏れた。

「ああ! エルナっ! お前、だけだ……!」

 爆発。二人の境界線が、激しく噴き出した生の奔流によって消滅する。キリアンはエルナの首を、その指の痕が一生残るほどの力で締め上げながら、彼女の奥深くで果てた。エルナもまた、意識が飛び去る寸前のオーガズムの中で、彼の肩に深く歯を立て、その肉を食いちぎらんとした。

 静寂が戻った寝室。荒い呼吸だけが重なり合う中、二人は汗と、微かな血の匂いにまみれて横たわっていた。キリアンの心臓は、エルナの胸の下で、今にも張り裂けそうなほど激しく、生々しく拍動している。

 エルナは、その鼓動を手で押さえながら、うっとりとした、狂おしい微笑みを浮かべた。 (捕まえた。……あなたの命を、今、確かにこの掌で捕まえているわ)

 情熱を尽くした後に残るのは、空虚な愛ではなく、より純化された、冷徹なまでの殺意。  生の絶頂を共有したからこそ、次に訪れる死という完成が、二人にはこの上なく待ち遠しかった。

 その夜、キリアンの理性は完全に消失していた。  彼はエルナをベッドへ放り投げると、獣が獲物を仕留めるような速さでその身を覆い被せた。高価なシルクの夜着は、彼の荒々しい手によって無残に引き裂かれ、月光の下にエルナの白い肢体が剥き出しになる。

「……っ、キリアン! 今夜は、……いつにも増して、……酷い……っ!」

 エルナは喘ぎながらも、その瞳には挑発的な光を宿していた。  仰向けに組み敷かれた彼女は、か細い手首をキリアンの一方の手で頭上に押さえつけられ、蛇に睨まれた小鳥のように身を竦める。だが、その肌は恐怖ではなく、狂おしいほどの期待に粟立っていた。

「黙れ、エルナ。……お前がその瞳で私を殺そうと企むたび、私の血は沸騰しそうになる」

 キリアンは手袋を嵌めていない素手で、彼女の胸元を、そして腰の肉を、まるでその形を破壊して自分のものに書き換えようとするかのように強く、深く掴んだ。彼の指が食い込むたび、エルナの白い肌には鮮やかな紅色の痕が刻まれていく。

 キリアンの侵入は、もはや暴力に近い衝撃だった。  エルナは肺にある空気をすべて吐き出し、大きく口を開けて虚空を求めた。背骨が折れるかと思うほどの強烈な突き上げ。だが、その苦痛に近い衝撃こそが、99回のループで摩耗し切った彼女の魂に「生の脈動」を叩き込む。

「あああぁっ……! キリアン、もっと、……もっと壊して……! 死ぬほどに、……私を刻みつけて……!」

 エルナの野性的な本能が、この瞬間、完全に解き放たれた。  彼女は拘束されていない方の足でキリアンの腰を強く挟み込み、自らもまた、彼を貪り尽くそうと腰を跳ね上げる。汗に濡れた銀髪がシーツに散らばり、彼女の顔は陶酔と殺意が入り混じった、鬼気迫るほどに淫らな美しさを放っていた。

 キリアンは、己の中に渦巻く破壊衝動――リビドーの奔流に身を任せていた。  なぜこれほどまでに、この女を犯し、殺したくなるのか。  それは、彼女が「自分と同じ絶望」を知る唯一の人間だからだ。世界中の誰もが彼を「死神」として恐れる中、彼女だけがその懐に飛び込み、ナイフを突き立てようとしてくれる。その殺意こそが、キリアンにとっては唯一の、嘘偽りのない「愛の証明」だった。

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