断章:楽園の終わりと、標本の始まり
ドレッドリッヒ公爵邸の裏庭には、日の光さえも拒絶するような深い森があった。十歳のキリアンは、その森の奥で、一羽のカラスの亡骸を慈しむように見つめていた。
数刻前まで、それは騒がしく羽ばたき、汚らしい声で鳴き、彼の世界を乱す「生きた不快」だった。けれど、一晩寒空の下で凍える水に浸してやると、カラスは静寂を手に入れた。溢れた血は黒い羽を濡らし、やがて体温が失われていく。その過程こそが、キリアンにとっての救いだった。
(ああ、ようやく僕のものになった)
生きているものは、いつか自分を裏切る。羽ばたき、視界から消え、別の誰かの元へ去ってしまう。だが、死んだものは違う。腐敗さえも術で止めれば、それは永遠に彼の傍で、彼だけのためにその形を留め続ける。
「死こそが、変化を拒絶する究極の愛の形である」
少年は、血に汚れた手袋を眺めながら、その残酷な真理に辿り着いた。
その時だった。
鬱蒼とした木々の隙間から、場違いなほど真っ白な光が差し込んだ。
「だれ?」
鈴を転がすような、清らかな声。
キリアンが振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
七歳のエルナ・ヴァン・アシュレイ。両親の挨拶に付き添って公爵邸を訪れた彼女は、迷い込んだ森の奥で、血塗られた少年と出会ってしまった。
彼女の銀髪は、木漏れ日を浴びて宝石のように輝いている。驚きに大きく見開かれたアイスブルーの瞳は、吸い込まれるほどに澄んでいた。キリアンは息を呑んだ。今まで見てきたどんな鳥よりも、どんな花よりも、目の前の少女は生の輝きに満ち溢れていた。そして、その輝きこそが、彼の独占欲を激しく逆なでした。
(この子を、逃がしてはいけない)
放っておけば、彼女は成長し、誰かに微笑み、やがて老いて、僕の知らないところで消えてしまう。そんなことは耐えられない。今、この瞬間の、汚れなき美を固定したい。彼女の時間を止め、血を抜き、防腐の呪いを施して、僕の部屋の鍵のかかる場所に閉じ込めたい。
そうすれば、彼女は永遠に僕だけのものだ。
「……ねぇ、その鳥、どうしたの?」
エルナが、恐る恐る一歩踏み出す。キリアンは、返り血を浴びた顔に、天使のような微笑みを浮かべた。彼はカラスを地面に捨てると、まだ温かい手のまま、エルナの頬を包み込んだ。
「綺麗だね。君のその瞳も、髪も、全部僕にくれる?」
エルナは、その幼い胸の中に、得体の知れない冷たい悪寒を感じた。少年の瞳の中に映る自分は、人間ではなく、いつか棚に飾られる「標本」のように見えたからだ。
「いつか、僕が君を完璧にしてあげる。……誰の手にも触れられない、僕だけの美しい人形に」
キリアンは誓った。
彼女を殺し、完成させ、永遠に愛し抜くことを。それが、キリアン・フォン・ドレッドリッヒにとっての初恋だった。
そしてエルナは、その日から九十九回にわたる「死の迷宮」に、知らず知らずのうちに足を踏み入れたのである。




