第70話 歪みの兆候
最初に起きたのは、失敗ではなかった。
むしろ――成功だ。
境界が発生した。
規模は中程度。
拡大速度は、やや早い。
だが、装置は正常に作動し、
境界は予定通り抑制された。
被害ゼロ。
負傷者ゼロ。
判断ミスも、手順違反もない。
報告書は、完璧だった。
「……問題、ないな」
ロイドが言い、誰もが頷いた。
数字だけ見れば、理想的だ。
境界管理は、機能している。
――それでも。
「……違和感が、ある」
ぽつりと、リーファが言った。
「何が?」
「報告書です」
「“人”が、書かれていません」
改めて、紙を見る。
確かに。
そこにあるのは――数値と結果だけだ。
誰が、どう迷い、
何を考え、
どこで判断を止めたのか。
そういった記述が、消えている。
「……判断が、手順に置き換わってる」
俺が言うと、ロイドが小さく息を吐いた。
「楽だからな」
「書かなくていいし、聞かれない」
数日後。
別の街で、似たような事例が起きた。
境界は抑制された。
だが、避難が一部遅れた。
結果的に、怪我人が一人出た。
命に別状はない。
問題は――その後だ。
「……責任は、どこに?」
会議の場で、誰かが聞いた。
「手順は守られていました」
「装置も正常」
「想定外の地形崩落です」
「では」
「誰の責任でもない、ということか?」
沈黙が落ちる。
誰も、間違っていない。
誰も、規則を破っていない。
だが――
誰も、責任を取らない。
「……それで、いいのか」
俺の言葉に、空気が張る。
エルドが、静かに口を開いた。
「個人に責任を押し付ける仕組みは」
「もう、限界です」
「だからこそ」
「管理がある」
正論だ。
否定できない。
だが。
「責任が消えると」
俺は、続ける。
「判断も、消える」
「判断が消えると」
「考える理由も、消える」
エルドは、少し困ったように笑った。
「考えなくていい世界を」
「目指しているんです」
その言葉に、
胸の奥で、何かが軋んだ。
夕方。
境界を抑制した現場を、歩く。
住民たちは、落ち着いている。
恐怖も、不満もない。
だが――
誰も、空を見ていない。
誰も、境界を見ようとしない。
「……全部、任せてますから」
そう言われて、
小さく頷くしかなかった。
丘の上。
風に当たっていると――
「兆しだな」
旅装の男が、低く言う。
「……ああ」
「壊れてはいない」
「だが、歪み始めている」
「人が」
「“自分の判断”を、使わなくなっている」
俺は、遠くの街を見る。
静かで、便利で、安全な街。
そして――
少しずつ、脆くなっていく街。
追放された無能魔術師は、この日、
境界管理がもたらす歪みが、
事故でも、暴走でもなく、
**“成功の中から生まれている”**ことを、
はっきりと理解した。
それは、
止める理由にならない。
だが――
見過ごす理由にも、ならなかった。
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