6 報い
「少しくらい、不幸が降りかかればいいと思っただけだったのよ。わたくしよりも見た目も家格も低いのに、殿下と結ばれて……まさか、伝説通りに宝石になるなんて思わなかったの」
冷たいダイヤモンドとなったエウリラに視線を向け、語りかけるように呟いたメルティカ。一度目を伏せると、獲物を狙う肉食獣を思わせる金茶色の粘着質な視線がフィクシスを捉えた。
「──でも、エウリラとの愛は偽りだと証明されましたわ。わたくしとの愛こそが真実の愛。さあ、わたくしを妻にしてくださいませ!」
ドロリとしたおぞましい感情をのせた囁き声が、次第に絶叫へと変わっていく。
恐ろしさにフィクシスの肌が粟立つ。目の前の女は底なしの闇を抱えた怪物に思えた。
「狂ってる……」
オーリガに押さえつけられていたファルの体から力が抜け呆然と呟いた。
「……おまえへの愛こそ偽りだ。あの酒に、なにか混ぜていたのだろう?」
フィクシスはずっと感じていた違和感を口にした。あの夜、酒を口にしてからの自分が自分でなくなるような熱と不快な感覚を。
「さあ? どうでしょう。殿下がエウリラを心から愛していれば、例え薬を盛られたとしても、負けないのでは?」
「……っ」
ああ、そうだ。その通りだ。
言葉に詰まり唇を噛みしめるしかできなかった。反論できない自分が情けなく、何よりもエウリラへの裏切りに胸が痛んだ。
「わたくしのウエディングドレスには、スズランなんて地味な花ではなく、殿下の紋章を入れてくださいな──ふふふ」
儀式の間にメルティカの不気味な笑い声が響き渡った。
違う……あれは彼女の夢だった。
『私ね、将来ウエディングドレスにはスズランの刺繍を入れたいの』
あの日のスズランの花に似た笑顔と笑い声。
誰よりも純粋で、この世のどんな宝石よりも眩しく輝いてみえた彼女の可愛らしい願いだったのだ。
それを、この女は……!
怒りに震えながら、狂気の笑みを浮かべるメルティカを冷徹な瞳で射貫いた。しかし、すぐに感情を抑え、静かな声で言葉を紡ぐ。
「おまえは『スズランなんて地味な花』と笑うが、あの花のように純粋なエウリラだからこそ、僕は愛したのだ」
フィクシスの言葉にメルティカから狂気の笑みが消え、信じられないといった表情が浮かんだ。エウリラさえいなければ、選ばれるのは自分だと信じていたのだろう。
「あの夜は、薬で理性を失っていた。おまえとの間に愛などなかったのだ。この先、この命が尽きるその日までダイヤモンドとなったエウリラと共に、彼女への愛だけを胸に生きていく。おまえが、僕の人生に交わる日は永遠に来ない」
明確な拒絶の言葉が、怒りの滲んだ蒼玉色の瞳が、凍えそうな冷たさでメルティカを貫いた。
「どんなにエウリラを愛していると言ったところで、もう遅いわ。貴方の愛は、永遠に失われたのよ。いつかきっと後悔するはず。そんな石より、わたくしを選べばよかったと……!」
フィクシスの愛を永遠に失ったと悟ったメルティカは、髪を振り乱し血走った視線でフィクシスとエウリラを睨み吐き捨てると、その場にへたり込む。
――モヤモヤと視界の端に血のように禍々しい赤黒く輝く光が踊る。
背筋が凍えるほどの冷気を感じ、メルティカはおそるおそる首を『ぺルフィナの涙』が飾られている祭壇へと向けた。
儀式の間にいる者たちには、ただ静かに鎮座しているようにしか見えない『ペルフィナの涙』。
しかし、メルティカには確かにその光が見えている。渦を巻きながら次第に人の形を成していく光。彼女は怯えながら得体の知れないものへと拒絶の言葉を投げつけた。
「い、いや、いやよ。来ないで……!」
悪夢から逃げ出すかのごとく、メルティカはふらふらと立ち上がると、引きつった表情で後ずさった。恐怖に見開かれた金茶の瞳にはうっすらと涙が浮かぶ。薄く開いたままの唇がガタガタと震え、声にならない声を発する。
導かれるように、煌々と燃え盛る銀の燭台へとよろめいた。
ガシャーンと耳障りな金属音が儀式の間に響き渡った。
燭台が倒れ、炎がまるで意思を持ったかのようににメルティカに襲いかかった。
「ぎゃっ……!」
短い悲鳴が響く。
咄嗟に炎を払おうと伸ばしたメルティカの右腕に、容赦なく燃え移る炎。何かが焦げる匂いが鼻腔をくすぐる。
国王として常に冷静なディナトスでさえ、目を剥き息を詰まらせた。誰もが一様に言葉を失い、ただただ呆然とその光景を見つめるしかできなかった。
火はすぐに消えたが、彼女の右腕は指先から肘の辺りまで赤く爛れた痛々しくおぞましい火傷の跡が刻まれていた――。




