9話 アン・シャーリー、魔法学校がないことにがっかりする
伯爵令嬢のリリちゃんは、それでは新学期にまた学校でお会いしましょう、と手を振っておれたちと別れた。
元の物語の通りの、赤褐色に戻ったおれの右側の髪は、その子の手によって器用に編み込まれていた。あまりに器用すぎたので、おれにはそれと同じような感じで左側に編み込むことはできない。これによってわかることは、リリちゃんは左利きであること、そしてほどほどの長さの髪を扱うのに現実世界では慣れている、ということだった。
この世界の行動では、現実世界ではどんな生活をしているのか、は、漠然としかわからない。その漠然さは、目立った言動ではなく細部によって確認できる。おれが手癖、というか、アン・シャーリーという物語世界の少女が潜在的に、無意識とAIの機能との曖昧さの中に持っている「みつあみを編み込む能力」は、リリちゃんみたいに過剰ではないのだった。現実世界ではお嬢様学校の中学生かもしれないし、あるいはそのくらいの妹を持つ女子大生かキャリア女子かもしれない。ただ、女子である可能性は、女装男子である可能性と同じぐらいに高いものだった。
そしてまた、おれには気になることがあった。
「リリちゃんと同じ学校に行くの」と、おれはマシューに聞いた。
「この近くには、初等教育のための施設は、岬の分教場しかないから、多分そうなるね。ほかにも、『赤毛のアン』の、正典物語ではしっかり語られていない登場人物も出てくるはずだから、展開はまあ、このツアーに参加している人たちの腕しだいかな」と、マシューは言った。
「夏の海水浴とか、温泉みたいなイベントもあると思ってていいかな」
「ここらへんの海は、泳ぐには冷たすぎるから、そんなのないよ。温泉施設は、日本人観光客の数にあわせて一応あるんじゃないかな。あとで地元の観光協会の人に紹介してあげるよ。明日、ぼくの妹がスペンサー夫人のところに、きみを連れていくはずだ」
「スペンサーさん、って地元の観光案内の人だったんか。本当の物語だと、男子じゃないおれを取り替える相談を、あんたの妹、つまりマイラとする人だったっけ」
*
マシューの家までの途中は、美しい風景と、美しい草花で満ちていた。それらのすべてを語るのが19世紀風小説の特徴なんだけど、おれがななめ読みした感じでは、植生がけっこう日本と違ってるため、きちんと読み込むには専門的な植物図鑑が必要だし、それなりに翻訳するには卓越した英語力と、雑でもかまわないという卓越した大雑把力が必要なのだった。あと、『赤毛のアン』の世界に対する愛とかね。
「ああ、新学期が楽しみだなあ。おれに魔力勝負で挑む生意気な子が出てきて、それから学校が魔族に襲われるんだよな」
「そんな、なろう系小説みたいなことは起きないよ」と、マシューは苦笑しながら言った。
「え、だってここ、なろう系小説じゃん」
そんなことはない、と、さらにマシューは力強く言った。
ここで問題なのは、世界認識におけるメタを、どのように扱うべきなのかという、非なろう系作者の苦労だな。登場人物が、ここはなろう系世界だということを意識している、なろう系小説の登場人物は、基本的にはいないことになっている。映画の登場人物が、映画を見ている客に向かって、ねえそう思いませんかみなさん、なんて話しかける映画はない。ゾンビに襲われた映画の中の登場人物は、ゾンビが存在する世界から出ることはない。厳密に言えば、ないことはないけどね。『ブレージングサドル』という西部劇は、悪党どもと正義の味方の主人公が大暴れをして、撮影所のほかのセットにまでなだれ込んで、またメル・ブルックス組かと愚痴られたり、悪党はウマで撮影所から逃げて、それを追う主人公もウマでハリウッドの大通りを出て、チャイニーズ・シアターという有名な映画館に行く。で、この映画の結末はいったいどうなるんだろう、と、映画館の中で登場人物が、自分の映画の結末を見る。それがどんなものであるのかは、あなたが一度見てみたらいい。
つまり何が言いたいのかというと、ここは、なろう系小説なのかそうでないのか、は、おれたちにはよくわからない、ということだ。
「だいたい、アンの能力だって髪の毛と目の色変えられるぐらいじゃん」と、マシューは率直に言った。
しょぼん。
「それに、変えたって力が強くなるわけじゃないし」と、マシューは追い打ちをかけた。
しょぼぼぼーん、である。