49話 アン・シャーリー、屋根から落ちる
「いてててててて」
アン・シャーリーであるおれが屋根から落ちたのは初夏の天気のいい日だった。
思ってた以上に痛くて、かなり心が遠くなっていく思いがする。さようなら、ダイアナ、さようなら、マシューとマリラ、さようなら、アボンリー。
どうせ仮想世界なんだから、多少は手加減をしてくれもいいと思うのだけれど、塩漬け豚肉のマズさとか(日本製の)プリンのおいしさとか、桜並木のいい香りとか、馬の毛並みの、なめらかに見えながらもごつごつした手触りと同じように、五感は適切に再表現されている。
昔のAIは、視覚と聴覚でしか情報を得ていなかったんだけど、それ以外の感覚も取得してしまったと判断できるな。
しかしこれは、いわば『赤毛のアン』の中の強制イベントで、アンが屋根から落ちる事件は、そんなことはアンの想像の世界のできごと、とごまかすことはできないのだった。
足の怪我のために、何週間かアンは、アボンリーの一番いい季節に、外で遊んだり暴れたり、水着できゃっきゃしながらロブスターを捕まえたりすることもできずに、家の中で引きこもって勉強に励むことになるのである。
読者のみなさんも、あ、ときどき唐突に、読者のみなさん、って呼びかけることもあるけど、それは現代小説のメタフィクション的用法ではなくて、昔の大道芸の名残りだと思ってください、とにかく、みなさんも、ダイアナの水着姿見たかったりしない?
いずれにしても、まだ幼女からやや大人になりかかってる程度の女子なので、そんなに期待しないで欲しいとは念を押しておきたい。
アン・シャーリーに至っては、なおさら!
*
はじまりはみんながダイアナの家に行って「こんなことできるかな! 仲間チャレンジ」というゲームをはじめたことによる。
ダイアナがまず日本製の徳利を9つ用意して、ここに徳利があります、種もしかけもありません、と言って、並べてその上に乗り、ツッコミ待ちをする。
「ほらほらほら。私はなんの上に乗ってる?」
「えーと、徳利だから、とっくりさん?」と、おれがボケたら、そこはボケるんじゃなくて、チョウシに乗るな、とツッコミ入れないといかんのよ、と、ダイアナに怒られた。
へべれけの大人が会社の宴会芸として有名なやつ。
たいていは失敗して転ぶけど、酔っぱらいだからたいして怪我はしない。
ふん、と、鼻でジョーシー・パイは笑った。
ここで重要なこととして伝えておきたいのは、ジョーシー・パイは「性格が悪いお嬢様で、アンに対しては毒舌を吐くキャラ」ではあるけれど。
ブサイクである、という描写は、これっぽっちも原作には出てこないのである。
たいていの人間は、高畑勲版『赤毛のアン』とか、最近の『アン・シャーリー』なんかでブサイクに描かれてるから、そのイメージになってるとは思うけど、違うんだよな。
美人(この部分は強調)、だけど性格が悪いのよ。
むしろアン・シャーリーのほうが、物語クラブ作ったり妄想にふけったりする陰キャラのブサイクで、ダイアナは「おもしれー奴」枠でつきあってあげてる、という感じだと思う。
わかりやすく言うと、ジョーシー・パイは『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』、俺ガイルの中では、スクールカーストのトップグループで、プライドが高いお嬢様系の三浦優美子みたいなキャラだ。
だいたい、ただのブサイクでデブの毒舌キャラが、ひょいひょいと柵の上を渡れるほどの運動能力があったり、だいぶ先の話だけど、大学なんかに進学できるほど知力が高かったりするわけないだろ。
「じゃあ、アン、あんたにできることをやってみな」
*
屋根から落ちて朦朧としているおれの頭の中に、神様、というか上位権限者の下っ端みたいなものが現れた。キャライメージとしては、服装はコスプレみたいだけど、中身は多分カスタマー対応に通常使われるAIだろう。
「お客様にはご迷惑をおかけしますが、お医者さまがやってくるまでもうしばらくお待ちください」
「この『赤毛のアン』の世界、ゆるい割に強制イベントきつすぎない? ユーザーに優しくなれ、ってことじゃなくてさ、別料金によるゆるさと、物語世界の動かせないところの違いがけっこうありますよね。金払うから、屋根から落ちて足を怪我するイベント、回避できないかな。というか、しろよ。おれはあんたみたいな下級神様じゃなくて、堕天使の王・ルキフェルとも知り合いなんだ」と、おれはクレーマーの気持ちになって抗議した。
「しばらくお待ちください」と、下級神様は言い、待たされてるときの例の音楽のあと、返事が来た。
今度は、ちゃんといい大学を出ていい会社に入ったエンジニア系の中身がある人のようである。
「ご意見承りました。裏技ではありますけれども、屋根から落ちるのを回避するには、屋根から落ちる前に医者に来てもらえればなんとかなります」
そこかよ。




