41話 アン・シャーリー、学校に行きプリシーと出会う
おれはいつものとおり、森の切り株広場にダイアナと遊びに行っていた。
いつものとおり、手頃な高さにそれぞれ並べた3枚の石板と、ふたつの切り株の間に横にしておいた1枚の石板。
「にんじん! にんじん! にんじん! にんじん!」
まず最初に左手でパンチ、次に右手でチョップ、左足でハイキックをしたあと、回転して最後にニーアタック。
ふう、とダイアナが用意してくれたタオルで額の汗を拭くと、近くの小川で冷やしておいた牛乳を飲んで、ぷはーっ、と息をつく。
「これでギルバートと戦う準備は万全だ」
「さすがだね、アン。略してさすアン。ただし割られるのはアンの石板で、「にんじん!」って言いながら割るんじゃないよ」
という雑なギャグはともかく。
*
初めての学校に行くおれは、とてもはしゃいでいた。モバイル、つまり携帯端末で石板の入ったバッグをぶんぶん振り回していたら、手から離れて遠くに飛んでいき、木の枝に引っかかってしまった。
すると、うまい具合にカラスの姿をしたルキフェルが助けてくれて、取るのを手伝ってくれた。
ダイアナは「あんた、カラスとも腹心の友なの?」と聞いてきたけど、「いや、おれの腹心の友ってわけじゃないし、そもそもクラスメイトじゃなくて堕天使なんだよ」と答えた。カラスメイトね。
堕天使ってものは、たとえ異教徒っぽい名前のダイアナでも、一応キリスト教徒なら許せないものなのかもしれない。
おれの言い分としては、神様のほうがどう考えても悪役なんだし、少なくとも神様に祈っても木に引っかかったバッグは手元に戻らなかっただろう、って感じである。
「でも良かったよ、水の中に落ちなくて」と、おれは言った。
「水に落ちても一応防水加工だから大丈夫なんだけど、確かにちょっと取りに行くの面倒くさいよね」とダイアナもうなずいた。
学校には「何時に行かなければいけない」という規則が決まっていて、それよりも前に子供たちは庭で遊んでいた。遊んでいる子供たちを、アン・シャーリーの目から見ると、適度に大きくて力強い子たちばかりに見えた。おとな目線だとまた違うんだろうけど。
しばらくすると、合図の鐘がカランコロンと音をたてたので、おれとダイアナを含む学校のみんなが教室に入った。
教室では、学力や学年による進度がみんな違うから、教科書に相当するものも人それぞれだ。
先生は黒板に「何年生は何ページを読んで、何ページの問題を解いて、回答を考えるように」と指示を出すだけ。問題文はモバイル≒石版に書くようになっている。集団での自主学習だと思ってもらえばいい。
ゲーム内の仮想世界だというのに、みんなけっこう真剣に、マイペースで学習を進めている。リアル世界だと1時間が、この世界の教室だと数時間に相当するため、勉強するためだけに仮想アヴォンリー世界を利用している者もいる、というのがダイアナの説明である。
けっこう語学、この場合は英語ですね、とか世界史みたいな文系中心のものはよく分からないことが多いけど、逆に理科や数学みたいなものの解法はおれが中学・高校時代にやったものと大して変わらないから、サラサラっとあっという間に解ける。
たとえば「3:1の法則」っていうのがあって、A対BがXの場合、Cは何でYが何になるかっていう問題がある。そうすると、まずAとCを比べて、それが何倍か何分の1倍かをCにかければYが分かる。この程度の初歩的なものだ。
窓の近くを見ると、カラスが暇そうに庭で遊んでいた。虫みたいなものがいるのか、地面をつついたり木の枝をつついたりして、いかにもカラスらしい行動をしている。でも時々おれのほうを向いて、ニヤリと笑う。カラスが笑うってことはないだろうけど、なんとなくそうなのである。
「アンてすごいね、こんな問題簡単に解けるんだ」とダイアナが言った。
「まあね、まあ一応」とおれは曖昧にごまかした。ダイアナ、実年齢は小学生ぐらいだからね。
ただし、勉強熱心でおれより前から学校に通っているから、文系の問題に関してはおれよりはるかにくわしい。だから、ときどき答え合わせをしたり質問したりする。
教室の隅には大きな水槽があって、そこにタコが飼われているのには驚いた。
「この学校って、タコでも大丈夫なの?」とおれはダイアナに聞いた。
「タコに勉強を教えてるのはフィリップス先生だよ」とダイアナが教えてくれた。
その声を聞きつけたフィリップス先生が言った。
「この学校では、タコだろうがカラスだろうがネコだろうが、学習意欲のある者なら誰にでも門戸を開いている。フランス人を除いてな!」
なんでカナダ人がフランス人を嫌いなのかってのは長い歴史があって、フィリップス先生の時代のカナダでは、フランス人差別が結構ひどかったらしい。
「なんでフランス人がそんなに嫌われるのかは私にもよくわからない。たぶんロブスターとかを食べるからじゃないかな。ロブスター美味しいのに」と先生は続けた。
ロブスター料理がカナダのノバスコシア周辺の名物になって、アメリカやヨーロッパに缶詰で輸出されるようになったのは、19世紀末から20世紀初頭くらい。缶詰工場がカナダにできたのもまだこの時代じゃない。
「とにかく、魚だったら食べたり缶詰にしてもいいと思ってるんだろうけど、あんな変な生き物を食べるのがフランス人の悪いところなのかもな。中国人も変なもの食べるけど、中国人を差別してる国はあんまり見かけないけどね」と、フィリップス先生は言った。
フィリップス先生はプリシーという名前のタコに個別指導をしながら、ときどき生徒の質問に答えたり、手を挙げた生徒に解き方や答えを教えたり、授業の進行状況を確認したりしている。
「なんでプリシーだけ特別扱いなんだよ」と、おれが聞くと、ダイアナが教えてくれた。
「一応プリシーは大学進学を目指してる学業優秀な生徒で、おまけに実家が太いから、ィリップス先生は自分の結婚相手として狙ってるんだよ」
異種族婚としては、人がタコと結婚しようとするのは割とよくある話だから別に問題ないけど、「プリシーの実家って太いのか」と俺は感心した。そうだよね、たぶんクラーケン一家だから、海に沈んだ海賊船のお宝とかたくさん持ってるんだろう。
ただ、キリスト教時代になってからのローマ史や欧州史に関しては、タコは異教徒だから、この学校に来るまで学習の機会がなかった、とのことである。
つまり、おれの勉強の裏ボスライバルとして、プリシーは1人、もしくは1匹として考えても問題ない存在だとも言える。




