35話 アン・シャーリー、ネコに名前をつける
初夏っぽいさわやかな風が海のほうから来て、ネコもおれもついうつらうつらとしてしまう。
眠気覚ましになるものはないか、とカバンの中をごそごそしてたら、日本から持ってきた、ということになっている、ニボシと梅干しが出てきた。昨日とは異なり、ニボシは金・銀・黒の3種類の色に変わっている。
黒猫は、カバンを覗き込むと、にゃ、と荷台から織りて、とんとん、と台を叩いた。あ、ここにニボシを並べるのね、はいはい。
並べると黒猫は、金のニボシだけ選んで食べて、それ以外のは下に落としている。おれも試しに食べてみたけど、そんなに味は変わらなかった。馬車から落ちたニボシのうち、銀のものは海鳥が、黒のものはカラスが食べているようだった。
「それじゃあこのネコに名前をつけて」と、マリラは言った。
「はい、はじめての命名式」
いきなりそんなこと言われても。
アン・シャーリーがそのようなことをするのがはじめてではないのは、小道とか植物に名前をつけてるのでみなさんご存知のとおりである。
しかし『赤毛のアン』の作者の物語、初期には動物の名前というのは出てこないので有名なんだよね。牛は牛、豚は豚みたいな感じで 。
え、アンが駅舎で出会った馬に勝手に名前をつけてるやん、って、それは多分パチモンのアン、パチアンじゃないかな。
どうも動物(生き物)に名前をつけるしきたりは当時の女性には一般的ではなかったようである。ダイアナのところに飼われていたネコには名前あったっけかな。あったとしたらダイアナのお父さんが名前つけてたんだろうね。とはいえ、『アンの青春』以降の話には、ネコの名前普通に出てくる。
作者のモンゴメリー自身はネコ好き作家としては ヘミングウェイの次くらいに有名なはずです。
「このネコって雄だっけ雌だったっけ。えーと、 黒…黒い…クロ…クロミツ…クロワッサン…ダーカーザンブラック…」
「いい加減黒とか闇の属性とかいう方向の名前からは離れたほうがいいんじゃないかな」とマリラは助言してくれた。
とはいえイヌやネコといったペット系の名前を考えるときには、柄というか色の属性を元にしがちなのである。
「そうだね…それじゃいったん離れて、ナンシーとかどうだろう」と、おれは考えて言った。
「いいね」
それを聞いたネコが驚いたように飛び上がったようにおれには見えた。
「にゃ、にゃ、にゃんで!?」
確かにおれにはそんなふうに聞こえた。ネコがしゃべったことより、「!?」つきだったことに、おれは無駄な感動を覚えた。
「よかったな、お前の名前は今日からナンシーだから…いや、ここはニャンシーかな」おれはネコの胴体を撫でながら言った。
「あっちの隅のほうに黒雲が見えるけど、なんか嫌な予感がするね」と、マリラは、原作にはない伏線っぽいことを言った。
*
「あらあらあら、こんにちは、マリラ」と、スペンサー夫人はおたおたしながら歓迎してくれた。
「どうしたの? 孤児の返品? 初期不良?」
そんなわけないだろ、と、おれは、アン・シャーリーが可能な限り控えめに、むっ、とした。
「そうだ、ちょうどいいところに、アンのお友達で、私の姪のナンシーが来てるのよ。一緒に遊ばない? ナンシー?」
別にナンシーとは友達でもないし、この場面にはいないはずなんだが、と考えていると、スペンサー家の向かって左のほうから、なんか幸薄そうな、片手に包帯巻いて眼帯している、黒っぽい子が出てきた。
「ここにいますわ、おばさま……」
ふと気がつくと、馬車で一緒に来ていた黒猫がいない。
「あれ、おかしいな、ニャンシー?」と、おれがあたりを探していると、にゃーん、と言ってスペンサー家の向かって右のほうからおもむろにニャンシーが現れた。
「えー? さっきまでナンシーいたのに、どこ行っちゃったの」
「な、なにかご用ですの、おばさま……」
「あ、今度はまたニャンシーがいない」
にゃーん。
「ナンシー!
「ここに……」
「ニャンシー」
にゃーん。
「ナンシー、ちょっとニャンシー探すの手伝って……」
「いい加減にするにょなのだ、お前ら!」と、ナンシーは、黒猫……のぬいぐるみを持って、怒って噛みながら出てきた。
「あ……あの、この黒猫のぬいぐるみ、目がボタンなのはいいんだけど、なんか取れかかってない?」
ナンシーは、ニャンシーの後ろ側に手を入れると、ぬいぐるみ、にしか見えない冒涜的なものを動かしはじめた。
「やあ、ぼくの名前はニャンシー。カスバート家の馬小屋で暮らしているにょだ」
なんだこいつは、にゃんだもんか? ※近未来の読者のために、「ずんだもん」という枝豆の妖精は実在、じゃないな、架空の……説明が面倒くさいので略。
おれはこっそり、マリラに耳打ちして聞いた。
「このキャラクター、あとでなんかの役に立つの?」
当たり前だよ、野球ではピッチャーとキャッチャーと一塁手の次くらいに重要な役だよ、とマリラは答えたので、おれはさらにわからなくなった。




