(番外3)アン・シャーリー(の中の人)、学食で堕天使と再会する
無駄遣いが過ぎた伯爵令嬢のリリちゃんは、親戚一同から勘当という処分を受けて、アン・シャーリーと同じグリーン・ゲイブルズの2階にやっかいになっていた。合わせて10かいの身の上である。
じゃがいも掘り、牛の乳搾り、鶏の捌き、リンゴの収穫など、農作業をひととおり、アンよりはるかにてきぱきとやった日が続いたある朝、リリはむくりと起き上がって、自分の部屋を出ると、隣のアンの部屋の扉をノックもしないで開けた。
「私、船頭になる」
「えー。若旦那、悪いことは言わねえ、それはおよしなせぇって」
「誰が若旦那だよ。なんか、ああいうきらきらした湖を見てて、あそこで渡し船をやるのも粋だねぇ、って思ってさ」
「いきなり大陸横断の輸送船とか、捕鯨船の乗組員になるって話じゃないから、とりあえずは安心したよ」
「じゃ、あなたがお客さんね」と、リリはアンに喪服を渡した。
「原作準拠にしては話を飛ばしすぎてないか。だいたい、助けにくるはずのギルバートと、おれはまだ顔合わせしてないんだけど」
「細かいことはいいんだよ」
この話は、インターミッションを入れてから続きを語ることにしておこう。メモみたいなものかな。
*
ここはリアル世界。
いつもはめったに行かない、学部外の学食で、おれは遅めの正餐をとっていた。英語だと、ちゃんとした食事の場合は、昼でも夕方でもディナーになる。ランチとサパーの間の食事だと思えばいい。
新築された学舎の最上階にある学食はすこし前に新装されたばかりで、無機質の室内とガラス張りの、がんがん日が当たる窓、それに味は悪くないけど機内食のような食器のため、教授から新入生まですべての層で評判が悪かった。どうせグーグルに入社すれば似たようなところで食事をすることになるんだろうから、と、理系の学生はあきらめてそこに行くことになる。24時間営業で、シャワー室もあって、携帯端末で席と食事の予約・注文も受け付けるという、どちらかというと昔の漫画喫茶みたいなものだ。
その日は薄曇りで、窓から見下ろす育ちすぎた街路樹の緑は濃く見えた。明治時代にこの建物があったとしたら、上野の池まで見渡すことができただろう。日当たりも良すぎてないせいか、それなりに賑わっていた。
その子が入ってきた途端、安っぽい学食は、学生が主役であるミュージカルのステージみたいになった。プリけつ、プリ胸、プリももの、プリモデルのようなその子は、安っぽいプレートに何か赤いものを乗せ、舞台の向かって右側から入ってきて、左側に歩いていくところを、モブの役者たちが目で追っている。ちょっと長めの、黒と白が複雑に混ざった髪の毛の色は異国の地を思わせ、見捨てられた陶器のような肌は鈍い太陽光に照らされて金色に光っていた。というより、その子の全身を黒い闇と白い光がぐるぐる回っていた。頭のてっぺんからつまさきまで、この世のものとも思われない美しさに、おれはAディナー定食のサバの味噌煮込みの一切れを箸でつまんだまま口を開けていた。
よう、こんなところに来るなんて珍しいな、と、その子はおれの前の席に座って言った。
ここは、とりあえずあなたは誰ですか、と、丁寧語で聞くべきだろうか、と迷ってる間に、その子は眉間の間に垂れている前髪を二分割して、俺だよ俺、これ食べないかな、リンゴの砂糖煮。多分おいしいと思うよ、とプレートの上のものを差し出したので、おれも思い出した。
「あんたは、おれが教会の日曜学校に行く途中でリンゴをくれて、花飾りを作るのを手伝ってくれて、教会にこっそり潜り込んだ、通称シロクロネコのハチワレちゃん、その正体は堕天使のルキフェル」
「しー、しー、しー、ですわ」と、天使のように見える堕天使のルキフェルは、人差し指を自分の唇に当て、その指をそのままおれに近づけたので、おれも同じようにした。これは超間接キスだな。
「俺を忘れかけていた読者に、説明をどうもありがとう。でも、そういうのはモノローグでやるもんじゃないかな」と、ルキフェルは言った。
「それに、この世界でこの姿をしている俺は、ルキフェルでもハチでもないんだ」
「じゃあ何なのよさ」
「ルキノ」
それは作者の名前(仮名)だろ、と、おれはモノローグとして言った。
「女性体の場合は、んー、んんんー、ル~シ~」
そんな変な節つけて歌うように言わなくてもいいから。
「どうも、ひどく冒涜的に聞こえるね」
「そんなことないよ。『赤毛のアン』の原作者だって同じ名前なんだから」
確かに。L.M.モンゴメリ、正式な名前はルーシー・モード・モンゴメリである。
この大学はときどき出たり入ったりしていて、今は農学部にいるんだ、とルー子は言った。
「へえ、比較宗教学とかじゃなくて」と、おれは聞いた。
「俺が何万年、神とつきあってると思ってるんだよ。そんなもんの知識は大学で教えるぐらいあるよ。だいたい、先生、イエスはそんなこと言ってませんでした、証拠はあるのか、実際に聞いてたから、なんて問答が大学で通じるわけないだろ」
もっともである。
「しかし、それにしても……リアルのあんたは、大きいんだねえ」
おれの身長は187センチ、体重は86キロ。レイモンド・チャンドラーの私立探偵小説 (ハードボイルド)の主人公であるフィリップ・マーロウの身長・体重をメートル法に直したときと同じサイズだ。
「そう言われたときの、おれのきまり文句がある」
「あ、知ってるよ、せーの」
「おれの~せいじゃない~」
ルー子 (シー)の声はアルト、おれの声はテノールで、きれいにハモった。




