18話 アン・シャーリー、牧師を助ける
教会の牧師の説教は長く、熱く、だから我々が、我々の、我々は、と、昔のドキュメンタリー映画で見た1960年代の全学連(全共闘だったかな)の演説みたいにつばを飛ばしていた。不信心なおれと、堕天使のハチワレネコであるルキフェルは、退屈きわまりなかった。なんか、プロテスタントの説教って、あんまり百年前と変わってないんだな、と、ルキフェルは湖を向いているおれの近くの窓のでっぱりというかくぼみのところで、おれにだけ聞こえるような声で言った。やっぱ活版印刷術のせいだろうね、とおれはこたえた。
かくして神は我々とともにおり、と、牧師の話が終わりに近づいたので、ルキフェルは、はっと気がついて壇から立ち去ろうとしていた牧師の足元にすばやく近づき、どこにでもいるネコのようにごろんと身を横たえた。初老の牧師は、そのネコを蹴飛ばさないように用心したため、前のめりにつんのめりそうになった。というより、転んだ。
ルキフェルの企みを見抜いていたおれは、牧師の体を支えたけど、11歳の女子ではとても無理だった。おまけにルキフェルは、日よけのために持ってきていたアロマオイル入りの小瓶をおれのポケットから出して、床に撒き散らしたもんだから、助けようとしたおれまですべり、頭をぶつけそうになったところにうまいことルキフェルがいたため、ふぎゃあ、と堕天使はおれの頭の下敷きになった。そのときの後遺症で、牧師は、ネコは神であるという異端の、しかし耳に心地よい説を混ぜて語るようになったので、しばらくして引退し、あとをアランという若い、既婚の牧師が継ぐのだけど、それはまた別の機会に語ろう。
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アボンリーに着いた最初の日。
駅からグリーン・ゲイブルズ(緑の切妻屋根の家)、要するにマシューたちの家までは12~13キロと、けっこう遠い。先住民に襲われた馬車なら30分ぐらいで駆け抜けられるだろうし、徒歩で歩いたら3~4時間というところか。のんびりウマで行くと1~2時間。リンゴの花が咲いている道とか、シラカバの林とか、路端の青い花とか、いろいろなものが見える。
おれは、『赤毛のアン』という物語が、百年以上にわたって世界中の老若男女により読み続けられてきた理由を考えてみた。それはたぶん、たくさんの複雑な理由と、ひとつの単純な理由によるものだろう。
まず複雑なほうから話すと、それは、この物語が時代に応じて複雑な面を見せている、ということだろう。主人公のアン・シャーリーは、髪の毛その他によって抑圧された19世紀の女性、というか女の子だ。力も金もなく、持ってる能力は銅色の髪の毛を金の塊の金褐色に変えられる想像力。もしここが○○で、××だったら、ということならいくらでも話すことはできる。21世紀の女性・女子が感じている抑圧は、その時代ほどすごいものではないけど、どんな女子でも(男子でも)、世界を変えることはできない。すこし前の言葉としてそれを扱うなら、マイノリティとかダイバーシティとかフェミニズムかな。ただ、普通に読めば『赤毛のアン』の中で展開される世界は、19世紀末のカナダの小さな島(とは言っても愛媛県ぐらいの大きさはある)の、クソリアルと、神と自然が混在している日常だ。そのクソリアルが非日常になったのは、鉄道と馬車が飛行機と自動車に変わり、本・芝居と脳内以外の空想物が、映画とかテレビに変わった20世紀になってからのことだろう。
単純な理由は、みんなが読んでて、TVアニメにもなってて、夏休みの読書感想文に向いてる本だからなんじゃないかな。
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「おやまあ、これはどういうことなの」と、グリーン・ゲイブルズの家についたおれとマシューに対して、マシューの姉であるマリラは、実にAIっぽく答えた。とりあえず、複数のヒトとかAIがこの仮想世界では混在してるんだな。
「女の子だって聞いてたのにねえ」
ここも原作とは違うんだな。
「いやあなた、マリラさん、どう見てもこのおれは女の子じゃないか。でもって本当は男の子が欲しかったのに、って、次の日の午後、海岸沿いの道を荷馬車で、仲介役だったスペンサー夫人のところに行って……」
「それは原作の話。一応この世界も原作に準拠してるけど、イーが最後につくアン、あんたの中身は男の子だろ」
「……はい……」
「女子だと、クッキー作り体験、刺繍体験、石版割り体験、クズリ酒試飲体験とか、まあ観光名所なりの体験はあるんだけど。男子の場合は…乳搾り、ジャガイモの種付け、リンゴの摘果、あとは牛泥棒体験とか、缶詰工場体験、か。それから家の外壁にペンキ塗ったり、屋根の漏りを直したり。けっこうしてもらうことはあるね」
「それは観光的な『体験』ではなく、ただの『労働』なのでは」
「そういう言いかたもできるけど。あんた、昼間は学校に行ってて、夜にしか来られないんだっけ。明るいうちもこっちに来てもらえないかなあ。携帯端末使ってさ。仕事はいくらでもあるんだから」
「無理です」と、おれは両腕を交差させて大きなバツを作った。




