(番外)アン・シャーリー(の中の人)、『アンという名の少女』に冒頭10分間でキレる
「こないだ、『アンという名の少女』ってテレビドラマ見たんだけどさ」と、おれは作者に言った。
「ああ、再放送したんだな」と、作者は答えた。
「なんだよあれ。そもそもマシューとマリラがなんで兄妹じゃなくて姉弟になってんだよ」
「役者の年齢の関係じゃないかな。それはともかく、そういうのまでちゃんと見てるんだ」
「いや、1話の冒頭10分だけ。そこんところで、どうしてこうも原作と変えなければならないんだよ」
「あのシリーズは原作を元にしたオリジナルだからねえ。ちなみにシーズン3で打ち切りになったのは、Netflixと共同制作だったカナダCBSテレビの社長が、先住民やフェミニズムの扱いに対して、あまりにも現代的すぎる、ってことで縁切りをすることにしたから、という噂」
「あくまでも噂だけだけどね。社長の判断はあくまでも、カナダのクリエイターが育たないから、じゃなかったっけ」
おれは大学の近くの、コーヒーとキュートなネコが売り物のこじゃれた喫茶店で話をした。大通りから横道へ入った建物の二階にそれはあり、暗くて、落ち着けて、客のいない店だった。おれたちに教えてる先生の世代では、ここは昔はジャズ喫茶だったらしく、今もジャズっぽい音が流れて、隅のほうではタブレットでテキストを書いている人とか、半裸で剣の刃こぼれがないか確認している蛮人コナンみたいな人がいる。
「だいたい何なん。アンが駅舎のベンチに腰かけて待ってるってのは。アンは駅舎の隅っこの、shinglesというものの上に座ってるはずやん。だいたいの解釈ではそれは鉄道用の資材だし」と、おれは座りの悪いテーブルを叩いて言った。水を入れたカップがその振動で揺れた。
「日本人でもそれ、なんだかよくわからないんだよね。英米人でも現代の人では想像できない」と、作者は言った。
「駅舎にマシューが着く時間が午後の5時前だしさ。駅に汽車が着くのは5時半よりすこし前だったはず」
「それはあんたが見間違えてるよ」
「アンが駅に着いたときに着ている服は、原作では黄色じみた灰色のウィンシー織りの服だけ。この「ウィンシー」って何なのかについて、語ろうと思えばまだまだ語れるんだけどさ、なんでその上に白いエプロンとか着せるのよ」
「どちらかというと寒い季節の服に使われる織物みたいだね、ウィンシー織。あ、このテーブルクロスがそれだ」と、作者は店のテーブルクロスを手で触った。
「あと、マシューの馬は駅舎の前じゃなくて、ブライトリヴァー・ホテルの庭だよね」
「そういうのは撮影が面倒くさかったんだろうな」
「だいたい、なんでウマにアンが名前をつけるんだよ。『赤毛のアン』シリーズに限らず、L・M・モンゴメリの小説では、動物に名前をつける主人公なんていないのに」
「そこらへんが不思議なんだよね。小説の中で植物や自然に関しては、アン・シャーリーは勝手に「喜びの白い道」とか名前をつけてるのに」
「考えられる理由としてはふたつ。作者があまり動物には興味がない、ということと、イヌやネコに名前をつけるのは男の考えること、と思ってたんじゃないかな。やあどうもありがとう」と、おれは、水を継ぎ足しに来たメイド服の白っぽい子に礼を言った。きみ、素敵だね、名前なんていうの、今いくつ。名前はシロで、年は、えーと、400歳ぐらい。
「あと、回想シーンでアンがシチューを作らせてる、みたいな場面があるんだけど、アンは拾われた家庭では、子供の世話とか洗濯とかにこき使われるのに、料理は手伝ったことはないのよね」
「さすが、よく知ってるね」と、作者は言った。
「つまり、マリラの家に養子みたいなものとなってはじめて、料理の手ほどきを受けるんだよね。たぶん、毒を盛られる懸念があったから、と、おれは勝手に判断してるけど」
「その割には、赤毛のアンのクッキング・レシピみたいな本、日本ではけっこう出てるんじゃなかったっけ」と、作者は言った。赤毛のアンの植物図鑑、なんてのも作れるだろうけど、料理本と比べると植物は日本ではうまく育てられないんだろう。
「あと、グリーン・ゲイブルズの家に行くとき、ウマをトロットで走らせる、なんてこともしない。マシューが緑色のカップで紅茶を飲むなんてこともありえない」
「日本人がマシューに持ってるイメージは、カップではなくソーサーでお茶をすする、って奴だろうな」
「うん。だいたいアニメからだとそうなるね。アニメの『赤毛のアン』、そこらへん無駄によくできてたなあ」
それからおれたちは小一時間ほど、昔のテレビアニメのほうの話をして(もっぱら褒めるほうで)盛り上がった。
(この春NHKで放映予定の新作アニメ『アン・シャーリー』も、駅舎でアンが座っている予告画像からして不安があるけど、その件については見てから語るかもしれない)




