42.酔ったら最強かもしれない
話が終わったようで、トラヴィス様が私の方へと歩いてきた。
「トリャビスしゃまだ~。ふふふっ」
「アネット? もしや、お酒を飲んだのか?」
「おしゃけ? のんでにゃ~い。あ、このジューちゅ、おいしいでふよ~。あい、トラビシュさまも、どうじょ~(訳:お酒? 飲んでない。あ、このジュース、美味しいですよ。はい、トラヴィス様もどうぞ)」
お酒は飲まないって決めたのですから、飲むわけがないではありませんか。まったく、トラヴィス様ってば何を言っているのかしら。これはマンゴージュースですわ。美味しいから、トラヴィス様の分も確保しておきましたわよ。
「むっ、これは果実酒か」
「かじちゅちゅ?」
「これは、いけない。侯爵邸に戻ろう」
よく分からないままトラヴィス様に支えられて立ち上がった時、黒ずくめの集団が現れた。その真ん中から、一人の男が一歩前に出る。
「トラヴィス・スプリンガ。よくも俺の邪魔してくれたな!」
「お前は、コワルスキー伯爵。いや、元伯爵か」
ワザとらしくトラヴィス様は“伯爵”と言う単語を使っている。
コワルスキー元伯爵? あぁ、確か脱走したのだったわね。もしかして逃走するのではなく、トラヴィス様が言っていた通り、仕返しに来たの? 素直に逃げていれば、命は助かったかもしれないのに。本当に愚かな人ね。
「おのれ、トラヴィス。おい、お前ら! やってしまえ!」
コワルスキー元伯爵の掛け声に黒ずくめの男達が武器を手に向かってくる。その進路に、スッと現れたゼノンが立ち塞がった。
きっと、不穏な気配を察知して駆けつけてくれたのね。
ゼノンは手にした暗器で、敵を次々に倒していく。しかし、如何せん数が多かった。流石の元諜報員でも、この数では手が足りない。ゼノンの攻撃をすり抜けて、数人がトラヴィス様に向かってくる。
「アネットは、私の後ろにいてくれ」
トラヴィス様は私を背中に隠すように前に出る。そして向かってくる敵と対峙したが、トラヴィス様も苦戦していた。それも、そのはず。トラヴィス様は丸腰、片や相手の手には武器。
分が悪すぎるわ。
何とか素手で応戦していたトラヴィス様を、敵の一人が正面から捕らえた。その瞬間、横からコワルスキー元伯爵がナイフを手に駆けて来る。
「死ね、トラヴィス!」
何を言っているのかしら、この人は。まったく!
そんな刃物を持っていたら危ないでしょう!
私は屈みながらフワッとスカートを捲り上げて、太股に括りつけていた物を右手で取ると振り抜いた。
カシャッ
これはゼノンから護身用にと渡された警棒よ。あの潜入した夜会の一件以来、女の非力でも対処できるようにと念のために持たされているの。
私は、ナイフを持つコワルスキー元伯爵の手に向かって警棒を振る。
「い゛っ」
あっさりとナイフが地面に落ちた。
「な、何っ」
何か言おうとしているとコワルスキー元伯爵の顔面を警棒で思いっきり薙ぎ払う。
「がはっ」
ナイフと同じように地面に崩れ落ちたコワルスキー元伯爵の股辺りを、躊躇うことなく警棒で叩き潰す。
「ぐぁっ」
瞬間、周りの人―――トラヴィス様もゼノンも黒ずくめの男達も―――ヒュッと息を飲んで一旦静止した。コワルスキー元伯爵は泡を吹いて気絶している。それを私は、首を傾けてコキッと鳴らしながら見下ろした。
あらあら、なんとも呆気ないことで。
「な、なんだ?!」
トラヴィス様を抑えていた男がこちらを見て、声を上げた。私はゆっくりと一歩踏み出すと、一気に間合いを詰める。その動きに驚いた男は威嚇するように、私にナイフを向けた。
そんなことで私は臆しないわよ。何をすればいいのか、ちゃ~んと手順は分かっているのですからね、ふふん。
1.まずは武器を持つ手首に一撃。(武器を排除)
2.次にトラヴィス様を掴む腕の関節へ一撃。(拘束を解除)
3.怯んで一歩後退したところで、膝に一撃。(行動を制限)
4.倒れ掛かったら、首に一撃。(意識を喪失)
男は地面に平伏した。
はい、一人制圧。
「お、おい。まず女から、やれ!」
誰かが指示を出す。
何よ、弱そうな女から倒そうって言うの? まったく、愚かね。この場合は、武器を持っていないトラヴィス様が一番の攻め所でしょうに。そんな判断も出来ないとは。悪の組織を仕切っていたコワルスキー元伯爵の手下も、たかが知れているわね。
気付けばトラヴィス様と距離が出来ていた。私の方を振り向いて唖然とするトラヴィス様の後方から、ゼノンがこちらへ走り出すのが見える。
『女から、やれ』という言葉を聞いて、私の身を案じているのね。
けれど距離がある。ゼノンが倒すより先に、敵は私に向かってきた。手にしているのは小型のナイフ。
これが間合いの長い剣だったら厳しかったでしょうね。でもナイフが相手なら、私の警棒の方がリーチは長いわ。
私は武器を持つ手首を狙っていく。ナイフを落とした男は、今度は殴りかかろうと腕を振りかぶった。
あらあら。そんな大振りな動きをしたら、正面がガラ空きですわよ。
私は警棒の柄に左手を添えて、男の喉を容赦なく突いた。
「ぐえっ」
はい、二人制圧。
次に背後から別の男が迫ってきた。私はスッと右に避けると、先程と同じように警棒を手首に叩き付けて武器を落とす。そして男の足を思いっきりヒールで踏み抜いた。
「いってぇ」
たじろいだ隙に、耳元を狙って一撃。
はい、三人制圧。
あら? なんだか、フワフワして気持ちいいわ。
身体がポカポカして、高揚感でいっぱいよ。
「ふふふっ」
踊り出したい気分よ。あぁ今、とっても心地がいいわ! 最高潮よ! 今なら何だって出来そうだわ! 両手を上げて万歳したい心持ちよ!
「ど、どうなってるんだ?」
「何者だ、この女は」
「まずいな。おい、出てこい!」
敵の一人が声を上げると、さらに黒ずくめの集団が現れた。
「チッ。トラヴィス様、これをお使いください!」
敵が増えたことに危機感が増したゼノンは敵の隙をついて、装備していた警棒をトラヴィス様に投げる。
「助かる」
トラヴィス様は空中で見事にキャッチすると、敵と対峙した。今度は丸腰でなく、武器を装備したトラヴィス様。先程とは打って変わって、敵に後れを取ることはなく片っ端から、なぎ倒していく。
あらあら。
「トラヴィシュさま、かっこい~~」
思わず惚れ惚れと見惚れていた私は、視界の隅に影を捉えた。私は笑みを浮かべながら、ユラユラと身体を左右に揺らす。それを見た敵は、私の足元が覚束ないと思ったのだろう。今なら、やれると向かってくる。
お馬鹿さんね。
今の私は無敵な気分なのよ。
ゼノンに教わった通りに私は動く。
『まずは武器を排除しろ』
『急所や関節を狙え』
『躊躇うな。遠慮はいらねぇ、力いっぱい叩きつけろ』
まずは敵の武器を確実に払い落として。はい、突き! はい、振りかぶってガツン! はい、股へ容赦のない一撃! えーっと、何人倒したのだっけ? まぁ数なんて、どうでもいいわね。
気付けば地面には黒だかりが出来ていた。
きっとゼノンが一番多く仕留めたわね。次がトラヴィス様かしら? 武器を持ったトラヴィス様は強かったもの。私は所詮、女ですからね。ゼノンから護身術を習っているとはいえ、殿方には敵いませんわ。
「ふにゃ?」
「アネット?!」
「お嬢様!!」
傾く身体を咄嗟にトラヴィス様が支える。
あら~、急に瞼が重くなってきてしまったわ。あれね、運動して良い汗をかいたから、眠く―――
そこで私の意識は途切れた。
「……アネットは果実酒を飲んでしまったようだ」
「そのようですね」
「ゼノン君。アネットに護身術を教えると言っても、これは流石に……やり過ぎではないかな?」
「いえ、ここまでは教えておりません。正直、お嬢様がこれ程お出来になるとは思いませんでした」
「そうか……」
「恐らく、酔った所為で恐怖や躊躇う感情がなかったのでしょう」
「そうか……」
静かな沈黙が辺りを包んだ。
酔ったことによる遠慮のないアネットの攻撃。痛そうです。特に急所への一撃が。




