39.ハッ、私が囮になれば万事解決するのでは!
ヤトルが描いた花を見ていたら、ふいに影が差した。
「アネット、ここにいたのか」
「あら、トラヴィス様」
その影の正体はトラヴィス様だった。
今日もカチッと決まっていて、無駄にキラキラしているわよ。
「えぇ、ヤトルが描いた花を見に来ていたのですわ」
「そうか。折角だから東屋で、お茶をしないか?」
「あら、素敵ですわね」
トラヴィス様の提案に頷くと、私達は東屋に向かう。そこにゼノンとトーマがササッとお茶の用意をしてくれた。
茶菓子は私の大好物のマカロンよ。
あ、苺味があるわ!
モグモグと頬張る私を、トラヴィス様はニコニコと見ている。
トラヴィス様は召し上がらないの?
これ、とても美味しいですよわよ!
「アネットは苺が好きなのだね。こっちの木苺のマカロンは、どうだい?」
「いただきますわ。う~ん、美味しいですわね。木苺の甘酸っぱさが、マカロンの甘味と相まって最高ですわ」
「そうか、そうか。こっちは、どうだい? 白苺なのだが」
「白苺!」
白苺はレア中のレア苺よ! この薄ピンクのマカロンは白苺味だったのね!
どうせなら、お菓子にする前のものをそのまま食べたかったわ。
私は、そんなことを思いながら、トラヴィス様に勧められた白苺のマカロンをパクッと頬張る。
「まぁ、まぁまぁまぁ! これは美味しいですわ! 甘味が違いますわね!」
「気に入ってもらえて良かったよ。アネットのために取り寄せた甲斐があったな」
えっ、私のために取り寄せたのですか? さすが侯爵様。我が家では、まず口に入ることがない物を易々と手に入れてしまうのね。
「生のもあるが、食べてみるかい?」
「まぁ! いただきますわ!」
トラヴィス様が言うと、トーマが白苺の乗った皿をテーブルに置いた。それをゼノンが皿に数個取り分けて、私の前に置いてくれる。私は優雅にフォークで差して口に入れた。
「!!」
あまりの美味しさに、時が止まったわよ。何、この強い甘味と豊潤な香りは。普通の苺とは全く違う味わいだわ。
「ハハハッ。聞くまでもなく、気に入ったようだね」
「はい! とっても美味しいですわ。こんなに美味しい苺を食べたのは初めてですわ!」
「それは良かった。いっぱいあるから、好きなだけ食べるといい。あぁ、ちゃんと弟妹達の分も用意してあるから安心しなさい」
「ありがとうございます!」
大好きな苺を頬張る私を見て、トラヴィス様は一層笑みを深めた。
トラヴィス様は優しいわね。私が弟妹達のことを気にすると分かって、ちゃんと用意してくれているのですもの。
気遣いの出来る殿方はモテますわよ!
侯爵様ですしね、きっと引く手数多でしょうね。あ、侯爵と言えば―――
「ところでヨシュアは、どうですか? ご迷惑ではないかと心配で」
「心配することはない。全く迷惑ではないからね。むしろ教え甲斐があって楽しいよ。分かってはいたけど、ヨシュア君は実に賢い子だね。少し説明すれば、直ぐに理解を示す。打てば響くものだから、つい私も難しい課題を与えてしまうよ」
トラヴィス様は侯爵として仕事も多くて忙しい方なのだから迷惑ではないかしら?と、ずっと気掛かりだったのだけど、大丈夫みたいで良かったわ。
「それよりヨシュア君もだが、ユアン君とユリアちゃんも数術が出来ると聞いて驚いたよ。まだ二人は8才だろう? それなのに計算が出来るとは。ヨシュア君に至っては、学園に通う前だというのに高度な計算も出来る。一体、誰が教えたんだい?」
「あぁ、それは私ですわ」
「アネットが?」
「えぇ」
ユアンとユリアは8才。前世で言ったら、小学2年生だから九九まで教えているのよ。ヨシュアは5年生にあたるから、少数と分数や面積の計算を教えたわ。
「アネットは、その知識をどこから?」
「あっ」
しまったわ。
数学は前世の知識なのよ。
実は、この国で女性が数術を学ぶのは珍しいの。
それは女性が家督を継げないからよ。実務に関わる内容は、家督を継ぐ男性が学ぶものとされているわ。もちろん、家業が商いをやっている場合など例外はあるけれどね。
学園に通っても、女性は簡単な計算しか習わないそうよ。基本は刺繍や編み物など所謂、花嫁修業みたいな内容を習うのだとか。
だから学園にも行っていない私が数術を学ぶ機会はないはずなのよ。困ったわね。ゼノンが教えたことにすれば良かったわ。さて、何と答えましょうか。そうね―――
「ほ、本で読みましたの」
「そうか、本で。読んだだけで理解してしまうとは、アネットも賢いね」
なんとか絞り出した答えに、トラヴィス様は納得したみたいね。誤魔化せて良かったわ。ふぅ。
「ところでアネットは、どうだい?ここでの生活は。何か不自由なことはないかな?」
「不自由だなんて全くありませんわよ! とってもよくしていただいて、お礼の言葉もありませんわ。弟妹達も幸せそうにしていて、私、嬉しくて……」
話している内に胸が熱くなって、視界がジワリと滲む。
私一人では出来なかったことが、トラヴィス様のお陰で叶ったわ。
「トラヴィス様には、本当に感謝しておりますわ」
「それなら良かった。何かあれば、遠慮なく言うように。アネットが望むなら、何でも叶えよう」
そっと私の手に触れたトラヴィス様は、とても熱い眼差しを向けている。
っ、その眼差しは止めてくださいませ!
無駄に心臓がドキドキしてしまいますのよ!
トラヴィス様の整い過ぎたイケメン顔、形の良い口から発せられるイケボ。前世と合わせても恋愛経験ゼロの私には刺激が強すぎますわ!
それに皆様お気づきになって?
トラヴィス様が私を呼び捨てにしていることを!
そうよ。この屋敷に着いた時から、トラヴィス様は私を『アネット』と呼ぶようになったのよ。婚約したのだから、当然なのかもしれないけど。
だけどね、今までと違って甘く聞こえるのよ。ただ名前を呼ばれているだけなのに、くすぐったくて落ち着かないわ!
弟妹達のために婚約して良かったと思うものの、私自身は戸惑ってばかりよ。
あの子達は、この生活に慣れたというのに、私はドギマギしっぱなしだわ。これでは長子としての示しがつかないわね。
少しでもトラヴィス様に慣れるように、まずは顔を見ることから始めようかしら。きゃっ、ダメだわ。眩しすぎたわ!
目が潰れそうになったので、誤魔化すように瞼を閉じて白苺を口に放り込んだ。
ところで今更なのだけど、別に婚約する必要はなかったのではないの? あの時はトラヴィス様の勢いに負けたというか、上手いこと誘導された気がするわ。
やっぱり、うちの屋敷の一部を破壊する方で良かったと思うのよ。今からでも変更可能かしら?
「あの、トラヴィス様。やはり口実として婚約するというのは、目立ち過ぎではありませんか? 私は隠れていた方が良かったのでは……あっ、もしかして囮ですか? 私を囮にしてコワスルキー元伯爵を誘き(おびき)出そうという!」
「アネットは何を言っているんだい。そんなわけあるはずがないだろう。君を危険に晒すなど有り得ない」
言い掛けながらハッと閃いたら、ピクリと眉を動かしたトラヴィス様に低い声で叱られてしまった。
そうなのですか? でも、それなら何故、婚約なんてしたのです? 私にはメリットだらけだけど、トラヴィス様にメリットありますの?
「誰が好き好んで、婚約者を囮にすると言うんだ」
“とんでもない”と、トラヴィス様は溜息を吐いている。
でも、これ結構いいアイディアだと思うのですけどね? 誘き出すのに打ってつけではないかしら?
「ですが、トラヴィス様。私を囮にするというのは良い案ではないですか?」
「なんだと?」
「トラヴィス様の婚約者になった私は立派な弱点ですわよね?」
「うっ」
「そこを利用しなくて、どうしますの?」
「いや、しかし」
「早速、準備しましょう! 私、囮役を見事に演じきってみせますわ!」
「待ちなさい、待ちなさい。それは許可できない。こら、戻って来なさい。勝手に屋敷から出ることは許さないよ」
立ち上がって、走り出そうとする私の手を掴んだトラヴィス様は、気を逸らさせるように白苺を口に放り込んできた。
「むぐっ……もぐもぐ……うふふっ」
思わず美味しい白苺を咀嚼して微笑んだ私を見て、トラヴィス様は溜息を一つ吐く。そんな私達の背後で、ゼノンが肩を震わせて笑っていた。
お転婆アネット
そんな言葉が頭を過りました(笑
トラヴィスは別の意味で苦労すると思います。




