31.立派に成長したヨシュア
どのぐらい、そうしていただろうか。
ふと背後で扉が開く音がした。
「姉様?」
「こら、ユアン。マーサに部屋から出てはいけないと言われただろう」
「でも、姉様が」
それはユアンとヨシュアだった。マーサの言いつけを守らないユアンをヨシュアが咎めている。二人の声は、とても不安気だった。
まさか、見ていないわよね?
父の暴力を、私の情けない姿を見られていないと良いのだけど。
とにかく、あの子達を安心させないと。この顔を見せるわけにはいかないわ。
私は顔を拭うと、出来るだけ笑って二人を振り返る。
「大丈夫よ。二人は部屋に戻っていて」
「でも」
二人が顔を見合わせた時、マーサが戻ってきた。
とにかく今は、トラヴィス様の手当が最優先よ。
私はトラヴィス様を応接室に案内して、腕を見せてもらった。そこは、既に赤く腫れあがっている。まずは、よく冷やさないと。それから、包帯を巻いて……と手順を考えていると横に人影が現れた。
「トラヴィス様が怪我をされたのですか?」
いつの間にかヨシュアが応接室に入っていた。ヨシュアは心配そうに眉を寄せている。
「えぇ、私を庇って怪我されたのよ」
「っ……トラヴィス様。姉上を守っていただき、ありがとうございます」
ガバッと頭を下げたヨシュアは、拳を固く握りしめた。
「僕が、もっと大きければ……大人だったら、姉上を守れたのに」
俯いたまま、ヨシュアは絞り出すように言葉を零した。まだ幼いヨシュアに成す術はないのに、その小さな声には後悔や悔しさが滲んでいる。
「ヨシュア君は早く大人になりたいと思っているのだね。アネット嬢を守れるように」
大人の貫禄を感じさせるトラヴィス様に、ヨシュアはコクリと頷く。
「気持ちは分かるけど、焦ってはいけないよ。今を大事にして成長しなければ、大切なことを見落としてしまうからね」
「大切なことですか?」
トラヴィス様に諭されて、ヨシュアは顔を上げる。その顔は“早く大人になりたいのに、それよりも大事なこととは何だろう?”と言いたげだ。
「そうだ。今しか出来ないこと、経験できないことは沢山あるからね」
「でも僕が小さいから、姉上をお守りすることが出来ない……」
「アネット嬢を守りたいと思っているのは、何も君だけではないよ。私だって守りたいと思っている」
僅かに視線を落としたヨシュアに言いながら、ゆっくりとトラヴィス様は私に視線を動かした。
「アネット嬢」
「はい」
「父君が暴力を振るったのは初めてだと言ったね」
「はい」
「今まではなかったかもしれないが、今後は分からない。だから、どうだろうか。父君を療養施設に入れるというのは」
それは今まで考えたことがなかったわけではないわ。そう、今までは父が無害だったから、思いきれなかったのよ。父を見捨てるようでね、心苦しかったの。
でも手を上げた今となっては、父を施設に入れるのが最善だと分かっているわ。
けれど、問題は私の気持ちだけではなくてね。
費用が高額なのよ。それも、とんでもなくね。
来年のヨシュアの学費を考えると、おいそれと出せる金額ではないの。
「お嬢様。トラヴィス様のご提案通りにするべきかと思います」
今度はゼノンが、いつの間にか応接室にいた。
「ゼノン、お父様は?」
「部屋で、お休みになられました」
「そう」
お酒の力で眠ったのか、ゼノンが気絶させたのかは分からないけど、ひとまずは安心ね。
ゼノンは私が躊躇う理由を察したのか、誰にも聞かれないように耳打ちする。
「俺も報酬をガッポリもらったから、費用の面は問題ないぜ」
ありがとう、ゼノン。でも、それはゼノンの報酬よ。
だから父のために使うわけにはいかないわ。
「あぁ、費用について心配することはない。私が全額出すから。ウィンター家への援助は惜しまないよ」
「でも、そういうわけには」
トラヴィス様にも、私が頷かない理由はバレバレだったみたいだわ。
まぁ、今となっては躊躇う理由が金銭面しかないのは明白よね。
「侯爵家の資産からしたら、大した金額ではないよ」
「えっ、トラヴィス様は侯爵様だったのですか?!」
ヨシュアがトラヴィス様の言葉に反応した。
しまったわ。
内緒にしていたのに!
驚いて目を見開いていたヨシュアは数回、瞬きしてから私の手を取った。
「姉上。トラヴィス様に、お願いしましょう」
「でも」
「何故、躊躇うのですか? トラヴィス様の提案は願ってもない内容ですよ。それとも僕が知らない、受けられない別の理由があるのですか? トラヴィス様は善い人に見えますが、とんでもない見返りを求められるとかですか?」
ジッとヨシュアは私の目を見る。
曇りのない眼は真意を推し量ろうと真っ直ぐだ。
本当に賢い子ね、ヨシュアは。
「そんな事はないわよ。それに別の理由なんてないわ。でもね、トラヴィス様には今でも十分よくしていただいているのよ。これ以上、甘えるわけにはいかないわ。それは貴族として」
「姉上」
ヨシュアは迷うことなく、私の言葉を遮った。
「いつも姉上は僕達に、姉上を頼るように言います。でも、そうしたら姉上は誰に頼るのですか?」
「私はヨシュア達にもゼノンにもマーサにも頼っているわ」
私の言葉に、“違う違う”と首を振るヨシュア。
「僕が、僕達が気づいていないと思っているのですか? いつも姉上ばかりが負担を背負っていることを。僕達のために、やりたいことも我慢して苦労しているのを知らないとでも思っているのですか?」
「ヨシュア……」
まさか、そんな風に考えていたなんて。
私は別に、負担だとか苦労だとか思っていないわ。
皆のためなら頑張れるのよ。
大変なことなんて、一つもないのだから。
「僕は知っているんですよ。姉上が秘密の仕事をしていることを」
「えっ」
「詳しい内容は分かりませんが。でも姉上が出掛けているのは、ただのパーティーや茶会だけではないと知っています。僕達の生活費を稼ぐために、何かしているのですよね?」
知られてしまう要素があったのかとゼノンを見たら、僅かに瞠目していた。
ゼノンでも、知られているとは思っていなかったみたいね。弟妹達には知られないようにと注意していたのに、そこまで気づいていたなんて私も思いもしなかったわ。本当にヨシュアは勘が良くて聡い子ね。
「まだ僕達は子どもだから、姉上の役に立つことが出来ない。それが、どんなに悔しいか……せめて姉上のために出来ることは、これ以上姉上に迷惑を掛けないようにするだけ。それしかないことに、どれだけ不甲斐なさを感じているか。姉上は気づいていないでしょう?」
「ヨシュア、そんな……私はヨシュア達がいてくれるだけで良いのよ。役に立つとか、迷惑とか、そんなことを考えてなくていいの。皆が笑顔でいてくれる、それだけで良いのよ」
「僕だって、姉上が笑顔でいてくれたら良いと思っています。でも、それだけではありません。皆で幸せになりたいのです」
ヨシュアは意を決したように、トラヴィス様に向き直った。
「僕は第一子ではないけれども長男です。家督を継ぐのは、この僕です。だから父上のことは僕が決めます。もう父上は危険な存在です。トラヴィス様、どうか父上のことをお願いします」
深々と頭を下げるヨシュアに、私の視界は滲む。
いつの間に、こんなにも成長したのかしら。
ヨチヨチ歩きだったヨシュアは、今や立派な次期当主だわ。
「分かった、任せなさい。父君が君達に害を成すことがないよう、最善を尽くすと約束しよう」
「ありがとうございます」
「ヨシュア君は幼いのに、しっかりしているね。立派な当主となる事だろう」
下げていたヨシュアの頭をトラヴィス様が褒めるように撫でる。
「トラヴィス様が父親だったら良かったのに」
隣に立っていたヨシュアの想いを乗せた小さな声は私の耳だけに届いた。
翌日、直ぐにトラヴィス様が手配してくれたようで、父は施設へ向かう馬車に乗せられた。
ヨシュアを除く弟妹達に事情を説明したけど、反対する者は誰もいなかったわ。
幼いヤトルでさえ何となく察したようで、神妙な顔をしていたの。
あぁ、誰も父の見送りはしなかったわよ。
父がいなくなった屋敷は、まるで薄くかかっていたモヤが晴れたようだったわ。
あまり意識していなかったけど、私にとって父のことは重荷だったのね。
お読みいただき、ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
また、ブックマーク・いいね・評価もありがとうございます!
とっても嬉しいです!!励みになります♪
(☆☆☆☆☆を★★★★★にポチっと押していただけると泣いて喜びます!!)
今後とも応援いただけますと幸いです。宜しくお願い致します٩(´ᗜˋ*)




