第6話 俺は普通の高校生なんです⑥
「この阿呆が」
そう言って男は自分の息子の頭に拳骨を喰らわせた。息子である男の子は目に涙を溜めた。
「だってアイツ等、葵のおもちゃを取っていじめてたんだ!」
「それで負けて汚れて、泣きっ面のまま帰って来たのか」
父親は息子と同じ目線になるまで腰を下ろした。
怒られた原因は喧嘩だった。
三対一の喧嘩で相手は自分よりも年も身体も大きい上級生が相手だった。
だが男の子は勇敢にも無謀にも立ち向かい、負けて傷だらけのまま帰って来た。
勿論おもちゃも取り返せなかった。
「全く、情けない。どんな戦い方をしたらそうなるんだ」
父親は心底呆れたように言う。その言葉に息子である少年は酷く傷ついた。
勝てる見込みが無くても、怖くて足がすくんでても自分は立ち向かったのにその時いなかった、見てもいなかった父に無神経な言葉をぶつけられて、怒りと悲しみがごちゃ混ぜになったような感情を胸の中で抱いた。
だが、父親は笑みを浮かべ、
「まるで鏡を見てるようだよ。昔の俺にそっくりだ」
と言って笑った。
「お父さんもそうだったの?」
「そうだ。俺は無鉄砲で恐れ知らず、相手がどんな奴だろうが弱い者いじめをしたり、和を乱したりするような気に入らない奴をいつも殴ってた。まぁその度に痛い目を見たがな」
父は笑いながら言った。
父の言葉に息子はあまり内容を理解していなかった事を表情を見て読み取った父親は「まぁとにかく」と言って
「喧嘩の仕方なら後で教えてやる。ロクな頭の使い方しかしねぇ卑怯者でも体重だけが自慢のデブがいても、そいつ等みたいなやつが何人いても蹴散らせる必勝法を教えてやる。だからまずは怪我の手当てをしないとな」
父親は息子を抱きかかえ、片手で息子を支え、瞳を見た。
「なぁ、大道。さっき俺は情けないと言ったが、それは事実だ。俺はそれを撤回するつもりはない。ただな……」
父親は一呼吸置き、大道はそれを見守り言葉を待った。
「どんなに屈辱的でも、苦しくても辛くても、必ず立ち上がれ。立って拳を握りしめて相手に自分と同じ血を流させろ。自分の信念と大切な人達を守るために死んでも立ち上がれ。お前なら出来るさ。必ずな」
俺の視界が突然明るい光で満たされた。
デジャブを感じる。さっきもこんなことがあったはずだ。
今俺は意識がブラックアウトしたはず、なのに痛みがない。
胸に開けられた穴の中の弾丸の異物感を感じない。まるで最初から撃たれなかったみたいに。
「ひぃぃぃぃ!なんなんだお前ッ!?」
女みたいに甲高い声で悲鳴を上げた男がいた。
やかましい。誰だ、誰が誰に対して言っているんだ?それにおかしい、身体が思うように動かせない。
俺の意思とは反対に勝手に動く。
俺とは無関係に動く眼球が、目の前の光景を無理やり見せた。
俺が、紺のスーツのヤクザの心臓を貪り食っていた。
「なっ!?……ぐっ、う!!」
嫌悪感はあった。
本来なら本能的に嘔吐しそうなほどの血肉だが口の中で頬張るたびにまだ動いていた心臓の鼓動が、コリコリとした触感や血のエグ味が、霜降り肉のように口の中で溶けこの世の物とは思えない幸福感を俺の頭の中と身体、全身でそれを感じていた。
「よ、うやく、俺の出番、が来たというわけだ」
眼球だけでなく口までもが勝手に動いた。
口内も歯も唇も声帯も、誰かに借りられているかのように動いた。
ソイツは完全にビビッて腰を抜かして小便を漏らしているワインレッドのスーツの男の頭を掴んで首元からガッツリといった。
「ギャアアアアアアア!」
最初はびちびちと魚のように動いていた男だっだが首から肩、肩から心臓を食われ、力なく倒れ絶命した。
「やはり人間の心臓は旨い。断食をしていた甲斐があったというものだ」
俺の身体を動かしている誰かが、俺の口を使ってそう言った。
ふざけるんじゃないこれは俺の身体だ、許可なく動かして言いわけがない。
誰だ、一体だれが身体を動かしている?
「まぁそう言うな、俺だって好きでお前の中に入ったわけじゃないのだからな」
俺の声が聞こえているのか?いや、さっきからあった違和感が分かった。
俺とさっきの声の奴の立場が逆になっている。
くそ、非常にもどかしい。
例えるならば急に便意を催してトイレに行って帰ってきた後に勝手にTVゲームのコントローラーを取られて隣でプレイされている気分だ。
しかも簀巻きにされて身動きが取れないような状態でだ。クソ、ムカつくぜ。
「見つけたぞ!アイツだ!クソッたれ、二人やられちまった!ぶっ殺してやるぞこのクソが!!」
クソクソ言いながら2台の巨大なエレベーターから男達がワラワラと出てきた。
みっちりと中に居たから、20人弱か。
数が多い。
逃げたほうがいいと俺は直観で思った。
だが逃げたところで奴らは追ってくるし、そもそも俺の身体は寄生虫野郎に乗っ取られている。
「お、おお……」
寄生虫野郎はワナワナとタイマー時計が鳴った時みたいに、震えながらヤクザ達を見ていた。どうした、流石の人数にビビッて漏らしちまったのか?
「ご……」
ご?
「ご馳走だ……!!」
コイツ、今なんて言いやがった?ご馳走だと?あの人数を見てご馳走と言ったのか?あぁ、しかもただのハッタリではない。
俺の口から壊れた蛇口みたいにダラダラと涎を垂れ流している。
そんなに出すと脱水症状で死んじまいそうだ。とだけ俺は思った。
「なんじゃおどれは!カチコミか!?どこのもんじゃ!?鳳関会の鉄砲玉か!?」
鳳関会が何かは分からないが、少なくともそれは俺じゃない。
身に覚えのない濡れ衣を晴らそうと制御権を取り戻そうとするが中々うまくいかない。
「ビュッフェスタイルとは悪くないな」
しかもコイツはこれだけ人数に囲まれているのに、外食に来た気分で舌なめずりしている。
しかも俺の身体で。
人間二人食ったんだから十分だろ。
まさか全員食うつもりかよ。
俺はベジタリアンではないが、これから肉を食えなくなるかもしれない。トラウマになりそうだ。
「やられる前にぶっ殺してやる」
ヤクザ軍団の一人が俺に向かって発砲した。
さっきと同じリボルバーだ。
あれをくらうのはもう勘弁だ。
と俺が考えてる間に、俺を操る寄生虫野郎は右手に持っていた刀で弾き飛ばした。
「は?今何を──」
そういう前に俺は尋常ならざる脚力で駆け抜け、撃った男の右腕を銃ごと切断した。
斬られたことに気づいた頃には首を斬られ、斬り落とした頭を俺は大口を開けて噛み砕いた。
頭蓋骨も脳漿も一緒くたに咀嚼し、喉元を通り過ぎた。
本来ならそれらは本能的に吐き捨てるべきだった物だが、今の俺にとっては砂漠で遭難して三日経ってようやく見つけたオアシスの命の水の如き清廉さだった。
乾ききった喉に怒涛のように押し寄せていく。
「林田がやられた!」
「撃て!ありったけぶち込め!」
甲高い発砲音が建物の中で連続で鳴り響き、俺の元に恐るべき量の弾丸が飛び込んできた。
哀れ爆発四散と俺は自身で絶命を予感したが、右手に刀を持ち左手で刀身に手を添えて迫りくる弾丸を全て弾き飛ばした。
ほとんどの弾丸をヤクザの元にはじき返し、二十人以上いたうちの半分が苦し気に倒れた。
動かしてるのは俺じゃないが、流石にこれはかっこいいと少年のようにはしゃいでしまった。
まだ夢うつつの気分が抜けていないのか、俺は客観的にみていた。
なぜなら、俺の頭の中に響く声、迫りくるヤクザの集団、日本刀を振り回してヤクザを斬り殺す。
これを現実と認めるには少しばかり非常識だ。
ほら、こういっている間にも撃ち尽くして弾が無くなったヤクザ達は今度は刀の子供のような物、つまりドスに持ち替えて捨て身の特攻で襲い掛かってきた。
だが俺は、いや奴は右にヌルリと避けドスを持っていた男の右腕を上から切断、そしてその右腕を手に取って別のヤクザの胸に思いきり投げた。
投げられた右腕は音速が如き速さで男の胸に突き刺さり、何をされたは分からないまま地に伏せた。
右腕を切断されて子犬のようにキャンキャン泣き叫ぶ男の心臓を突き刺し、とどめを刺した。
「情けをやるのも武士の務めよ」
と言って日本刀を残ったヤクザ達に向けた。
さながらそれは死刑宣告のようだった。
何も語っていないのに、次に死にたいのは誰だと刀でどちらにしょうかな、神様の言う通り。
と言わんばかりに刀を残りのヤクザ達に向けて揺らしていた。
おどろおどろしい雰囲気だ。
それに圧倒され、残りの8人のヤクザは腰を抜かし、さっきみたいに襲い掛かっては来なかった。
「お前らは下がっとき」
「鈴木のカシラ……」
そんな中、鈴木と呼ばれる男が俺の前に現れた。
すると残りの下っ端のヤクザ達が安堵したように顔を綻ばせた。
俺と同じように手に日本刀を左手に持ち、スキンヘッドで黒のスーツを着ていたが服も体の一部かのように体つきが良く、まるでアクション俳優のように鍛え上げられた肉体だ。
その男はおもむろに来ていた黒いスーツを脱ぎだし、上半身裸になる。
身体には夥しいほどの刺青が刻まれていた。
怒り狂う鬼の姿だ。
まるで大勢の部下を殺された男の怒りが背中に現れているかのようだった。
その男は鞘から日本刀を抜いた。一体なんのつもりだ。
「ほう、そうくるか……」
そう言って俺、もとい誰かさんは姿勢を正し、改めて正面に日本刀を構え直した。
「この時代にもおもちゃに頼らず戦う武士がいたか」
鈴木は何も語らず殺意のみを俺に向けてきた。
堅気の俺には一瞥されただけで気絶しそうだ。
だがそれは俺の身体を乗っ取っている奴が許さない。
「来な、なます斬りにしてやるぜ」
俺の口が勝手にそう言うと、鈴木が脱兎の如く駆けだしてきた。
人間にしては恐ろしい速度だった。俺の身体は反射的に刀の一撃を受けた。
重い。
怒りと殺意を一撃にのみ乗せて振るわれたような重さだ。
鈴木は何も言わないが瞳が「この野郎だけはここでぶっ殺す」と爛々と語っていた。
「おしゃべりは嫌いか?だがお前の刀は雄弁に語りかけてくるぞ」
「黙ってろ、死ね」
鈴木は2歩後ろに下がり、再び俺に凶刃を振るってきた。
上からの一振り、それが躱され、大理石の地面に耳をつんざく音が鳴った。
そして振り降ろされた刀は刃の向きを上に変え、俺の顎を斬らんと向かってきた。
それを俺の右腕に持っていた刀が弾いた。
思いきり弾かれ、態勢を崩された鈴木は俺から数歩後ろに下がり距離を取った。
鈴木は小さく舌打ちをした。
思ったように殺せず、不満げな表情が見て取れた。
「いいね、純粋な殺意のみで向かって来てくれることほどうれしいことはない」
と奴は嬉しそうに言う。
ふざけんな嬉しいわけがねぇだろうが!さっさと終わらせて帰らせてくれ!
夢だと思ったら現実でしかも大量のヤクザ達が俺を殺しに来てんのに何をしているんだ、と俺は悪態をつかずにはいられなかった。
俺はそう心の中で叫ぶと奴は律儀に聞いていたのか、「わかったよ」とだけ言った。
「悪いが俺達には時間がない。お暇させてもらう」
鈴木の眉間に一筋の血管が浮かんだ。
どうやらもっとお怒りになったらしい。
刀の振りが荒くなったが重さがさらに増した。
右に左、上に下と刀を振り回すがどれも当たらず、半ば自棄になって刀を振るっていた。
薄い鉄の塊が風を切る音が死神の鎌の音だと俺は内心ビビり散らかしていたが、不思議と落ち着いていた。
コイツは、俺を動かしているコイツは人肉を喰らう最低最悪のサイコ野郎だったが、人外な強さを誇っていた。
銃弾は刀で弾くし、刺青の入った筋肉モリモリのハゲが刀で向かって来ても楽しそうに応対しているし。
このハゲ、もとい鈴木は段々と息を切らし、動きがさっきよりも鈍重になって来た。
とはいってもアスリート並みの痩躯を持っていたため、油断でもしようものならポックリ逝ってしまうだろう。
その隙を狙った。
動きが鈍り、動作が先程より微小だが遅れて動いているように見えた。
その時だ、俺の持っていた刀で鈴木の刀を乱暴に弾いた。
今度はさっきのと違って、力強く鈴木の刀を右に叩き下ろし、鈴木も疲労困憊の状態から打たれた為、アルコールで酔っ払った人間のような千鳥足で、受け身を取れず、転んでしまいそうだった。
ゾバッと、快感をもたらす感覚があった。
梱包材のプチプチを潰したような、はたまたバッティングセンターでようやくバットにボールがまともに当たった時のような、心地の良い物だった。
「うッ……!!」
実際には俺が鈴木を斬った感覚だった。
堅い筋肉の鎧を斬った。
ゴツゴツとしていたが所詮は肉の塊だ。
刃物には敵わない。
鈴木は刀を落とした。
斬られた箇所を抑えるために邪魔だと言わんばかりにポイと捨て、胸と腹を抑えた。
あふれ出る血を止めるため両手でよぼよぼの老人のように震えながら抑えていたが、それでも血は止まらない。
千鳥足で俺のところに向かってきた。
日本刀はもうない。
拳銃を隠し持っているかもしれないがすぐにそれは排除できる。
腕を斬り落としてしまえばいい。
「お前……お前、ナニモンじゃ……」
鈴木は意識朦朧の中俺の身体にもたれかかり、息を荒げながら言った。
「勇猛果敢に挑んだ褒美だ。教えてやる。俺の名はアサルト、そしてこの体の持ち主は瀬田大道だ。覚えて逝くがいい」
鈴木の背中を軽く叩き、尊敬の念を抱いた想いで鈴木を見つめる。
「アサルト、瀬田大道」と言い残して鈴木は地に倒れ伏せた。
その瞬間下っ端ヤクザ達は「兄貴、兄貴」と叫んで顔を悲壮な表情で青褪めさせた。
だが誰も俺のところには向かってこない。
人間を殺して食うくせに礼儀は知っているのか、と俺は尋ねた。
「一人の武人に敬意を払った、それだけだ」
そう言ってアサルトは俺の右手と眼球を刀に向けさせた。
人を何人、何十人も斬り、壁や床、同じ刀と鍔迫り合いをしたおかげで刃こぼれし、もう刀としての役割は果たせそうにない。
アサルトは壊れたおもちゃとなった無用の長物をである刀をなんの感慨もなく子供のようにポイと刀を捨てた。
「ここから出るなら今が絶好の機会だ、食料共は腰を抜かして唖然としているからな」
そうだ、と俺は今さらながら思い出した。
さっさとこんなところから逃げないと。
でもどこに?どこから出ればいい?ここは言うなればスズメバチの巣のど真ん中だ。
エレベーターはヤクザ達に囲まれていて階段を使おうにもここは高層ビルのほぼ頂上だ。
俺は無い頭を必死に使って考えるがなにもいい案は浮かんでこない。
四面楚歌というやつだ。逃げ道がない。どうする、どうする、どうするどうするどうする!?
「お前は何を言っているんだ?活路ならすぐそばにあるじゃないか」
アサルトは至極当然と言わんばかりに、クエスチョンマークを浮かべながら俺に言った。
なんだ、打開策があるのか?なら早く言ってくれこのヤクザ達が戦意を喪失している間に!
「向こうを見ろ。窓が見えるだろう?」
そういってアサルトはとある箇所に人差し指を向けた。
窓だ。
大きめの四角いガラス張りの窓。
そういえばこの階はほとんど窓だらけで外の景色が良く見えていた。
都会特有の空の星の光を飲み込む人工的に作られた偽りの光によって街は眩い光を発していた。
だが窓とだけ言われて俺はいまいちピンと来なかった。
窓が一体何だというのだ、『高い所から見る街は奇麗だね』とでも言いたかったのだろうか。
「お前はいちいち勘が鈍い奴だな。飛び降りるんだよ」
は?何を、何を言っているのだコイツは。
状況を見て言っているのかコイツは?東京スカイツリーやタワーほどではないにしろこのビルもどれだけ高いか分かっているはずだ。
俺の身体は勝手に動き始めていた。
右足が前に、左足が前に、ゆっくりとだが歩き始めている。
たしか、俺が読んだ漫画でこのようなシーンを見たことがあった。
主人公が敵に意志とは無関係無しに身体が動いてしまう技を喰らい、その敵は最終的には屋上から落ちてしまうといったシーンだ。
これを漫画で読んでいた時の俺はこうなるのは絶対に嫌だな、こんな死に方は嫌だなと思っていたが、まさか自分がこうなるとは思いもしなかった。
やめろ、やめてくれ、俺は高いところがどうも苦手なんだ。その案だけはやめてくれ、と俺は必死に頭の中でも心の中でも訴えた。
「いいか小僧、人生は何事も挑戦だ。何かに挑むことで見えなかった景色を見ることが出来るんだよ」
その場合俺が最後に見ることになるのはコンクリートだけだろうが。いますぐこんなバカげた考えはやめろ!
俺の脚は徒歩から強歩へ、そして強歩から走りに変わった。
ああ、やめてくれ……!
やがて両手を豪快に振り上げ、足も胸の高さまで上げ、スポーツ選手のように走り出した。
このままではぶつかるだけだ、窓ガラスは映画みたいに簡単に割れるほど脆くないんだぞ。
だがそれども止まらない。
もうダメだ、窓にぶつかって俺はアホみたいに気絶するんだ、と俺は絶望した。
だが、ぶつかった瞬間、窓ガラスは映画のアクションシーンの如く豪快に割れ、俺の身体は外に投げ出された。
あぁ、外は思ったよりも風が冷たくて気持ちいい。
一瞬だけだが、俺は空を飛んだ。
周りがスローモーションで動いて見える。
そして夜空にはまっすぐに澄んだ暗い空に僥倖ともいうべき、眩く光る金色の月が今では手で掴めそうなほどすぐそばにあるかのような錯覚を覚えた。
生涯体験することはないだろう。
ヤクザに囲まれ、斬り刻み、血肉を喰らい、そして派手な逃走劇、俺の人生にここまで劇的な要素が追加されたわけだ。日常を破壊して欲しいという欲求は一回も考えたことがない。
だがこの一件で俺の人生は180度変わってしまった。
これからはどうすればいいのだろう。
身バレしていなければこのまま帰って日常に戻りたい。好きな人とのデートにも行きたいし、友達も作りたい。今のところ友達は一人しかいない。
そうだ、俺は今まで友達があまり出来なかった。
一体なぜだろう。
俺は社交的に接してたのに俺の顔を見ると皆去っていく。
俺の顔が醜かったのか?そういえば見にくいといえば黒板の文字が見えなかった。視力が落ちてきたのかな。
「いい加減思案に耽るのはやめたらどうだ?もうすぐ地上だぞ」
え?
俺はアサルトにそう言われ、辺りを見渡す。
浮遊感はとうに消え、重力という悪魔が俺をコンクリートに凄まじい速度で引き寄せていた。
もう地面までもう少しだった。
地面まであと200メートル。周りには人がまったくいないのが幸いだ。
地面まであと100メートル。
誰かを巻き込んで死ぬこともない。
一人で死んで一人で解決。
俺に自殺願望はまったくないとは言い切れない人生だったが、自分の意志で死ぬこともできないとは。地面まであと50メートル。俺は目をつむる。
とは言ったが、身体の制御権はアイツの手にある。
結局俺は目を開けたまま投身自殺を図った形になってしまった。
地面まであと0メートル。
俺の身体は潰れたトマト、パンに塗るイチゴジャムのようにぐちゃぐちゃになったことだろう。
俺はそう決めつけた。
なぜなら普通の人間は高層ビルから落ちたら人間の形を保ったまま死ぬことすら難しい。
だが俺の思考は止まらない。
なぜだ、痛みもない、俺の思考も止まらない。
俺は周りを見る。
周囲の人間は俺をあり得ない物を見るかのように、目をぎょっとチワワのように開けたまま見ていた。
またある者は俺を子供のような目つきで羨望の眼差しを向けていた。
そこで俺はようやく理解する。
俺は生きている。
地に足をつけて、右拳を地面に押し当てたスーパーヒーロー着地をして、俺はあの高さから生還したのだ。
車が通る道路のど真ん中で俺は聴衆の面前で俺は高揚感と同時に悪寒を覚えた。
スマートフォンを俺に向けている。
カメラを俺に向けている、まずい、非常にまずい。
皆がハゲワシのようにスマホのカメラレンズという名の銃口を俺に向けている。
どうにかしないと!どうする?賄賂?いや俺はただの一般学生だ、金なんて大して持っていない。
じゃあ殺すか?アイツは腹が減っているみたいだし、ここらにいる野次馬数十人くらいサクッと……いや、何を考えている。
思考まであの野郎に浸食されたか?だがこれ以上なにもアイディアが浮かんでこない。
どうする、どうするどうする。
「おい」
アサルトが俺の口を使って話しかけた。
またこんな時に限って話しかけてきやがった。
なんだ、またくだらないこといったら許さないぞ。俺は怒鳴るように心の中で言った。
「トラック」
そう言ってアサルトは目の前に迫っている大型のトラックが来ている事を『ほら、肩に虫が止まっているよ』と言う時の似たようなトーンで俺に言った。