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第23話 俺は負け犬だが気にしねぇ

「うわはは。もうおしまいだ」


 カウンターテーブルに突っ伏しながら、すべてを諦めたようにグラスの中にある薄い茶色い液体の入ったグラスを揺らし、ウイスキーを煽る負け犬がいた。

 一体どこの根性なしだろうか。

 人生の落後者、敗北者、臆病者、これらの言葉が似合う人物はこの場末のバーには二人しかいなかった。


「ふふふ、さぁ飲むぞ飲むぞ。今日は祝い酒だ。真の弱者は誰かが分かった記念を祝して、乾杯だ!」

「盛り上がってるとこ悪いが、客はお前しかいないんだ。だから誰も祝わんよ」


 二人と言ったが実際には一人しかいなかった。

 さて、その一人とは一体誰なのだろうか。


「このアサルト様がァ!いるというのに誰も来んとは何事だ!成敗してくれるわ!」


 そう言って俺は椅子から立ち上がり、そして盛大に転んだ。後ろに転び、後頭部を思いきり打った。

「うぎゃあ」というマヌケな声がバーの中で響く。

 店主の親父は禿げた頭を撫で回しながらため息をついて見て見ぬ振りをした。


「俺は……最強だぁ……」


 大の字で寝転がったままうわ言を呟くこの哀れなピエロは何者か。

 コイツはかつては遥か彼方の異星から日本にやってきた千年を生きる侍、の成れの果てだ。

 今は自己憐憫と酒に浸って溺れている。

 かつての自信に満ち溢れ、傍若無人の悪魔だった姿はどこにもない。


「なんだ、大道……笑っているんだろ。笑いたきゃ笑えよ……」


 今世紀最大の恥晒しである負け犬である俺は大道に絡む。


「ぶっ…うわっははははははははは!いーひっひっひっひっ!おもしろ!おもしろ!」


 大道は笑えと言われたから両手をタンバリンを持ったチンパンジーが馬鹿みたいに叩くように両手を拍手して叩きながら、大口を開けて笑い泣きするかのように笑いまくった。

 今は体裁を保つために正道の顔に化けているが、大道が喋る時は大道の顔に戻るため、文字通りの一人二役となり、混沌に満ちていた。

 まったく笑えないのに、なぜか笑えてくる。

 どうしてだろう。


「……で、笑ってやったが、これで満足か?」


 大道はぶっきらぼうに言った。

 彼は俺達がここで腐っているのを良くは思っていないようだ。

 俺達はヤクザに正体をほとんど見破られた。

 否、ヤクザ如き、俺の手に余る相手ではない。だが問題はそのヤクザの組長がかつての俺の隊長で俺より遥かに強く、おまけに本気で 俺達を殺そうとしている。

 このように完全に戦意喪失しているし、俺は弱者を守れず、相棒を守れず、自分の命一つ守る事さえできず後悔と失意の奥深くに溺れて死ぬのだろう。

 もう、どうすることもできない。


「お前は自分がこの世で一番惨めで哀れな存在だと思ってるらしいが、案外似たような奴はどこにでもいるもんだぞ」


 大道は俺に語り掛ける。

 まるで言い聞かせるように、説得するかのようにだ。


「これは俺の友人の話なんだけどな、父親が突然消えてとびきり不安になったそうだ。誰かがいなくなる事は、ソイツにとっての不安の種になった。だから常に家族を気にかけ、友達を欲しがるし、彼女だって欲しがる」

「いや、その友人とはお前だろ。そもそもお前に友達はいない。回りくどく話すんじゃない。気持ち悪い」


 せっかく大道が気を利かせて情けない秘密を話してくれたのに、俺は聞く耳持たずで聞き流す。

 「それでも」と大道は退かずに言う。


「俺はお前の力が必要なんだ。俺達がアイツ等をぶっ殺さないと、俺の家族も友達も全員が危険な目に遭う。それにあのまま奴らを放っておくと民間人だって巻き添えを喰らうぞ」

「ふん、今更他人の心配か。自分と自分の親しい者達にしか関心が無かったくせにこういう時だけは綺麗事を語るとはな。笑える」


 俺は鼻で笑う。今の俺は完全に打ちのめされている。

 立ち上がることが無理かもしれないくらいだ。

 そうだ、こういう時大道はアレをやっていたな。

 俺はズボンのポケットから平べったい冷たい板を取り出す。

 人が遠くの誰かと交信することが出来る機械だ。

 それを使って未来の自分に助言を乞おう。

 俺は大道や今まで食ってきた人間の脳の情報を利用して板、否、スマホの画面を慣れた手つきで捜査する。


 だが肝心な事を忘れていた。


「俺の連絡先がない……」

「当たり前だろうが。人間に寄生してる化け物の連絡先なんて登録するはずがないだろ。というかお前、アレをやるつもりだったのか」


 俺は項垂れる。

 女々しいと自信で思っていた行為をしようとし、あまつさえ大道にまでバレてしまった。

 そもそもどっちみち出来たとしても露呈してしまうのだが。


「ふはは、まさかお前も友達がいないなんてな」


 大道は笑って言う。

 だがそこには嘲りや侮蔑の感情はなく、友達と話すかのような、同じ理解者を見つけたかのような温かい声だった。


「……前にも言ったが、俺は向こうの世界では弱者扱いされていた。同胞達は俺よりも強く、才能があった。俺は奴等とは違い、何も考えずただ敵に真正面から突っ込んで戦う程の能無しだった。友と呼べる奴はいなかった。ウェポニアンは強さこそがすべて、その信条に従えない者など、まともな扱いはされない」


 俺は昔を思い出すように話す。

 事実、俺は時を遡りながら話していた。

 俺も周りに負けじと己を鍛えていたが、同胞達は常に俺の数歩先を行く。

 溝は埋まることはなく、深まるばかりだった。

 特に俺が所属していた部隊の隊長のスマッシュは、俺を見下し、劣等種だのウェポニアンの恥晒しだのと俺を常に罵倒していやがった。

 奴こそが俺の最重要殺害対象だったが、ウェポニアンの部隊隊長を任されるだけあって、俺が言うのもなんだが化け物じみた強さだった。

 何度戦っても勝てず、落ちこぼれ扱い。

 俺は奴を殺さない限り、前には進めない。

 そしてここから進むこともないだろう。


「なるほどな。お前の落ち込んでる理由は過去のトラウマの再来か」


 大道が納得した様子で頷いた。

 どうやら俺の心の声が聞こえていたらしい。ウェポニアンと宿主の精神の波長が合うと無意識に思っている事でも流れ出てしまうことがある。

 正道と居た時もそうだった。

 正道、俺のただ一人の友。

 奴の息子とまさかこのような関係になるとは思いもしなかった。

 今、大道は何を考えているのだろう。

 俺を負け犬と思うだろうか。 

それとも俺を友と呼んで憐れんでくれるだろうか。


「だから、聞こえてるって」


 大道が顔を出し、制御権が入れ替わる。

 表情が次々と変わり、店主の男は顔を引きつらせて俺達を見ていた。


「まぁ確かにあんだけ吠えといて逃げ出すのは情けないとは思うが、誰しも簡単には過去のトラウマに打ち勝つのは簡単じゃないさ。でも、今なんじゃないのか?今奴に会ったからこそ、向き合う時なんじゃないのか?」


 俺は至極真っ当な事を言われて面を喰らう。

 そんなことは分かっている。

 卑怯な方法で殺し損ね、そして姿を現したかつての怨敵。

 だが俺は未だ怖気づいていた。

 千年もの時を生き、それが無駄だったと思い知るのが怖いのだ。

 もしこのまま戦って敗北し、大道を巻き込んで、正道との約束を守れなかくなる事こそ、一番に怖いが。


「俺はお前の言葉があったから花連にデートを申し込めたんだ。それにお前の生き方は俺にすげえ影響を与えたんだ。俺はお前に──」


 大道が何か言いかけた瞬間、バーの入り口の扉が勢いよく開いた。

 息を切らした女がゼェゼェと荒い呼吸で室内の静寂が破られる。

 その女は見覚えがあった。

 茶の髪に肉付きのイイ女、そして俺の信奉者だと名乗った女。有馬花連だった。


「ハァ…ハァ…やっと見つけた……」


 有馬花連は両膝に手を突いて息を整えていた。

 ここまで走って来たのだろうか、額から汗を流して疲労の様子が見える。


「な、えっ!?花連!?なんでここが!?」

「ああ、それはいいの。私が大道君のスマホにGPSアプリを仕込んで位置特定してただけだから。それよりもね……!」

「いやそっちの話ちゃんと聞かせろよ!」


 大道は自分の携帯電話が勝手に位置特定のために登録されていたことを聞きたがっていたが、彼女は有無を言わさず、大道に近づき両手で大道の両肩を掴んだ。


「薫さんが……」


 有馬花連は息を整えながら言葉を一生懸命紡ぐ。


「薫さんが……ヤクザの人達に連れ去られたの!」

「はぁ!?」


 大道が声を裏返すほど有馬花連の言葉に驚いた。

 薫、大道の異性の友にして恋煩いにかかった女。

 その女が何故……


「私と大道君がデートをしてた時、彼女もこっそり来てたの」

「えっなんで?」


 大道は疑問を口にする。

 奴の口ぶりは戸惑いと疑問がほとんどだった。

 理解できないという表情だったが有馬花連は続けて説明する。


「あなた達の戦い振りを見学してたら、私、アイツ等に捕まっちゃったの。でも薫さんが私の身代わりになって……」

「いや、もっとわけわかんねぇよ。なんで俺のデートの監視までして、しかも花連の代わりに捕まってんだよ!?」

「それは……あなたのことが好きだからよ」


 ポツリ、と有馬花連は言う。


「……ん?君が好きなのは俺じゃなくてアサルトだろ?」


 俺は自分で言ってて胸の奥がチクリと痛んだが、花連は首を振った。


「ち、違うの!私がじゃなくて、薫さんがよ!」

「薫?薫が俺を……?」


 大道は疑問を顔に浮かべた。


「俺はてっきりライクの方の好きかと……」

「違う違う。ラブの方だよ」

「なんだライクだのラブだのと。食えるのかそれは」


 俺は訳の分からん言葉に惑わされながら聞いていたが、大道が我に返り「こんなことをしている場合じゃない」と慌てふためく。


「アイツはどこに!?」

「ヤクザの人達は私にこう伝えろって言ってたの。『お前が喧嘩を売った場所に来い』って」


 喧嘩を売った場所……つまりはあの高層ビルか。

 確か東雲ビルと呼ばれていたはず。


「こうしちゃいられねぇ。早く助けに行かないと!そして今度こそアイツ等全員ぶっ殺す!行くぞアサルト!」


 大道は息巻いて吠える。


「いや、ダメだ。俺は行かない」

「何言ってんだよ?いい加減ビビるのは辞めろ!」

「ビビッてない!」

「ビビってんだろ!」


 人格を何度も入れ替え俺達はお互いに叫ぶ。

 互いに大声を上げ過ぎて息切れを起こしてしまった。


「いいか、本当にビビッてねぇんならよく聞け。今、俺の親友の女の子が助けを求めて涙を流している。そんな子を、弱きを助けて悪しきを挫く正義の侍が放っておけるのか?」


 大道は俺の良心に訴えかけてくる。

 俺は大道の言葉に胸を打たれかける。

 俺は正義や侍という言葉に弱い。

 本当はもっと言って欲しいが、これ以上言われると説得されて俺は結局助けに行ってしまう。

 それは嫌だ!

 だが大道は俺がそのような言葉に弱いと気づき、有馬花連に目配せをする。


「俺はお前の力が必要だ。お前は強い。最強の侍だ!」

「ぐっ!」

「そうよ!あなたは私の退屈な人生を変えてくれたヒーロー。あなた無しの人生なんて考えられない!」

「ぐふお!」

「それは俺に対して言って欲しかったんだけど……」


 大道は有馬花連の言葉に深く傷つくも、再び元に戻り、俺に応援の言葉を浴びせ続ける。


「お前は孤高の正義の侍!一度刀を抜けば相手を殺すまで止まらない復讐の使者だ!」

「あなたは本当にセクシーなのね……あなたのその大きくて長い刀で悪い人を華麗に斬り伏せる所を見せて♡」

「本当はそれも俺に対して言って欲しかったんだけど……」

「う…うおおおおおおおお!」


 俺は二人の黄色い声援に段々と失われた自信が戻って来た。

 後ろ向きだった気持ちが徐々に無くなっていく。

 そうか、俺に必要だったのは強さじゃない。

 人々の歓声、応援による自己顕示欲が満たされることだったのか。


「でも俺は、負け犬で奴よりも弱くて……」


 俺は彼等にこんなにも鼓舞されているのにまだ弱音を吐いていた。

 だが大道は俺の胸倉を掴む。

自分で自分の胸倉を掴んでいる光景は不思議だったのだろうか、バーの店主も有馬花連も首を傾げてこちらを見ていた。


「うるせぇ。お前が負け犬だろうがスマッシュより弱かろうが、んなもんクソくらえだ」


 大道は吐いて捨てるように言う。


「俺に続いてこう言え。『俺は負け犬だが気にしねぇ』ってな」


 大道はラストスパートと言わんばかりに一気に畳みかけようとしてくる。

 この言葉を言ったら俺は確実に奴に戦いを挑んで勝利を勝ち取らなくてはいけなくなる。

 それは俺にとっては悲願のはずだったが肝心の一歩が踏み出せずにいた。


「お、俺は負け犬だが……ああいやダメだ。とてもこんなことは──」


 俺が日和って口を噤みかけた時、パァンと甲高い音と共に俺の頬に痛みが走った。

ビンタだ、ビンタをされた。

 ヒリヒリして痛い。

 誰にやられた?大道だ。

 奴が自分で自分の頬を叩いた。

 だが俺が肉体を使っているので感覚も俺に直接来る。

 痛い。


「甘えんな。それでも戦士か?侍か?もう一度ちゃんと言え」


 やはりビンタをしたのは大道だった。

 奴は自分の頬に自分の右手で平手打ちをした。

 痛がる気配が無い。

 自分の身体のはずなのに何故か他人にビンタして説教しているような雰囲気だ。

 何故俺がこんな目に遭わなければならんのだ。

 それもこれも全て……奴だ。

 奴のせいだ。

 あの忌々しいクソ野郎。

 スマッシュのせいだ。


「お、俺は負け犬だが気にしねぇ……」


 俺は蚊の羽が振動しているようなか細い声で言う。

 だが大道は「はぁ~」と呆れた顔でため息を吐き、


「もう一度」


と言った。

 俺は一度行ってしまった以上、二度も三度も言うも同じだと思い、再び声に出す。


「俺は負け犬だが気にしねぇ」

「もっと大きく!」

「俺は負け犬だが気にしねぇ!」

「もっと自分の想いを込めて!」

「俺は負け犬だが気にしねぇ!俺は奴をぶっ殺す!!」

「そうだその意気だ!」

「奴の四肢をぶった斬ってダルマにして海に放り投げて魚の餌にしてやる!!俺をコケにしたことを──で○○を××して▽▽して──」

「もういいもういいもういい」


俺は自身の奥底に眠っていた鬱憤不満怒り殺意その他諸々の負の感情が溢れ、アドレナリンが放出しまくっていた。

 俺の様子に大満足の大道はにこやかに笑い、「次にやらなきゃいけないことは分かってるよな?」と聞いてきた。


「あぁ勿論だ。お前の友を救い出し、ヤクザ組織を壊滅させてお前達の平穏を守り、俺はスマッシュを血祭りにあげてやる!」


 俺はバーのカウンターテーブルに拳を叩きつける。

 木製のテーブルはバキィと木くずと共に大きな音を立てて粉々に砕け散り、ただのゴミとなった。


「さぁ行くぞお前ら!俺の復活の侍伝説をその目に刻み付けてやる!」


 俺はバーの扉を蹴り上げて店から出た。

 店主の怒号が聞こえた気がしたが俺にはもう何も聞こえなかった。

 俺の名誉を取り戻すため、ぶっ殺したい奴をぶっ殺すため、俺は歩き出す。


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