小さな恋の拳 Result
決戦の日、来たれり。
七月七日放課後。特訓場に設置した手作りリングの脇で俺と茉優ちゃんは二人を待っていた。
「……にしても我ながら流石だな」
この特設リングは廃材を使ったDIYだ。
父に事情を話したら、
『アオハル~!!』
とか言ってめちゃ乗り気になった。何なら俺が作ってやるとも言ってくれたがそれは断った。
亀ちゃん先輩の花道だもの。ここまで支えて来た俺が整えてやりたい。
なので材料と作り方だけを習って前日に茉優ちゃんに手伝ってもらい組み上げた。
「泣いても笑っても今日で全部にカタがつく。先輩、緊張してないかな」
「してるでしょ。でもそれ以上に燃えてるはずさ」
お喋りしつつ待っていると、二人が姿を現した。
亀ちゃん先輩と間下先輩は無言で別れ、それぞれの位置についた。
(……気合入ってんな)
亀ちゃん先輩は当然として間下先輩。
動きやすいジャージとかではなくリングコスチュームだろアレ。
「先輩たち、準備は良い?」
「何時でも」
「おう!!」
揃ってリングインするのを見届け茉優ちゃんは俺に視線を向けた。
コクリと頷き用意していたゴングを叩き鳴らす。
「試合開始ィ!!」
初手、動いたのは間下先輩だった。
ダッシュからの踏み切り、跳躍――――プロレスの華、ドロップキックだ。
「間下先輩……ビュウウウウティホォオオオオオオ!!」
思わず賞賛の声が出てしまうほど丁寧で美しい一撃だった。
そうそうこれこれ。プロレスと言ったらドロップキックよなァ!!
バスターやドライバー系も派手だし好きだけど俺はやっぱドロップキックですわ。
「そして見事、防いでみせた亀ちゃん先輩もエェエエエクセレンツ!!」
身体を丸め被弾面積を減らし両腕で頭を庇うようにしっかりガード。
バトルが苦手な亀ちゃん先輩がしっかり対処できたことにも賞賛を送りたい。
亀ちゃん先輩からすればドロップキックは奇襲のように感じたはずだ。
初っ端、いきなりそんな大技は来ないだろうと思ってただろうしな。
にも関わらず焦りを滲ませながらもしっかりガードした! 偉い! すごいぞ!!
「……亀井」
「お、おう」
「あんた、良いコーチについてもらったね」
「! ああ! 最高のコーチさ!!」
そのやり取りの意味はイマイチ掴みかねるが褒められたのは分かる。
なので全力で喜んでおこう。
「やったー!!」
「勇八くんテンション高過ぎ」
すいません。でもこれで盛り上がるなって方が無理でしょ。
俺のせいで流れが少し途切れたが間下先輩の攻めが再開した。
荒々しくはあるが初手のドロップキックのような大技はなく堅実な攻め手。
(よし、よし、良いぞ亀ちゃん先輩。焦らずじっくりいこう)
亀ちゃん先輩は忠実に亀の騎士作戦を貫いている。
恐怖があるだろう。焦りがあるだろう。痛みがあるだろう。
でもそれらを全て飲み込んでじっと堪え続けている。その姿は抱き締めたいぐらいに愛おしい。
「そろそろ」
小声で茉優ちゃんが呟く。
そう、そろそろだ。そろそろ一度目の反撃の機会が訪れる。
バトルだからな。合図などはしない。亀ちゃん先輩が自分で掴み取ってこそだ。
頑張れ、頑張れ、と心の中で声援を送る。
「「!」」
間下先輩の攻勢の切れ間が訪れたその刹那、亀ちゃん先輩がアッパーを繰り出した。
浅くはあったが当たった。確かに当たった。俺と茉優ちゃんは思わず手をガッ! と握り合ってしまった。
俺が審判なら即刻、退場レベルの行動だが問題ない。試合開始の合図こそしたが俺は別に審判じゃないからな。
事前にどっちかが倒れるまで続くルールで俺たちは観客だと告げていたし。
「やるじゃん」
と間下先輩。ちょっと嬉しそうだ。
「へへ、だろ? でも今のは浅かった。次はもっとドギツイの行くぜ」
闘志は十分。そうだ。そりゃそうだよなあ。
だって、
(好きな女の子の前だもん)
無限にカッコつけたくなるのが男の子ってもんだ。
ああそうさ。やってやれ亀ちゃん先輩。燃え尽きるまで亀ちゃん先輩のカッコイイとこ魅せつけてやんな。
大丈夫。俺と茉優ちゃんがしっかり見届けてやるからさ。
「「バックドロップ!!」」
背後を取った間下先輩がバックドロップをキメた。
ドロップキックも好きだが俺はこれも好きだ。決まった後の美しい曲線にどうしようもなく興奮する。
それはさておき亀ちゃん先輩だ。
「……しっかり受け身は取れてるね。これで終わりってことはなさそうだよ」
うん、と茉優ちゃんに同意する。
散々投げまくった甲斐あって受け身もしっかり出来ている。
これで終わることはないと一安心だが、しかしダメージはしっかり刻まれている。
ちりちりと胸を焦がす不安。と、その時である。
「! そうか。ああ、分かった。分かったよ」
立ち上がった亀ちゃん先輩が視線を向けず腕を伸ばしこちらにぐっと親指を立てて見せた。
言葉よりも雄弁なサイン。すまねえ。俺らが亀ちゃん先輩を信じなくてどうするんだって話だよな。
「見守るぜ。目を逸らさずに」
間下先輩のギアが上がった。
亀ちゃん先輩が本気で挑んで来ていることは果たし状の時点で分かってはいただろう。
だが彼女は善良な人間だ。それゆえどうしたって実力、経験の差ゆえ心のどこかで戸惑いもあったのだと思う。
情け容赦なく亀ちゃん先輩を打ち据えるのは気が咎めてしまう。
だが亀ちゃん先輩が男を見せたことで完全に腹が据わったのだと思う。
本気には本気を。あらん限りをぶつけてやろうという気迫が目に見えるようだ。
(苦しい、苦しいな。でも亀ちゃん先輩。これはチャンスだぜ)
間下先輩の心を動かしたのは亀ちゃん先輩の奮闘なのだから。
つまり想いはしっかり届いてるんだ。だからもっと、もっと伝えよう。
言葉にはできないその気持ちを拳に乗せて!!
「……間下先輩の息も切れてきたね」
「ああ」
息も絶え絶えなのは亀ちゃん先輩の方だ。
しかし間下先輩とて確実に消耗している。
攻めることで失う体力。時折やって来る拙くはあるが真っ直ぐな反撃によるダメージ。
それらは確実に間下先輩に消耗を強いている。
バトルは我慢比べの様相を呈して来た。
「先輩も満身創痍だけどその目はギラッギラに燃えてる」
「そうだな。ホント、カッコイイよ」
泥沼のような戦いに持ち込めたことには確かな意義がある。
ここまで持ち込めたのならば彼方にあった勝利の可能性さえ掴み取れるかもしれない。
辛いよな。苦しいよな。もう何もかも投げ出しちまいたいよな。
(でも我慢だ。後少し、後少し耐えれば)
そんな俺の想いは亀ちゃん先輩にも伝わっていたのだろう。
ガードの隙間から見えた目が「分かっている」と告げていた。
「「あ」」
そして遂に、その瞬間が訪れた。
亀ちゃん先輩が切れ間を狙っていることは間下先輩も当然理解していただろう。
それでも自分の方が強いという矜持ゆえか攻撃を優先していたのかタイミングをずらすことはなかった。
だが亀ちゃん先輩の強さを認めたのかダメージが俺たちの見立てより深刻なのかここでタイミングをずらした。
三手ほど早く攻撃を切り上げ距離を取って呼吸を挟もうとしたのだろう。
しかしリングに付着した血と汗で滑り、倒れこそしないが軽く仰け反ってしまう。
「OK(副音声:受け取ってくれ間下)」
足を開きしっかり根を張って身体を捻りタメを作る。
「――――OK!!(副音声:これが俺の全力だ!!)」
回転を加えながら放たれたその拳は亀ちゃん先輩が持つ唯一の必殺技。
その名は渦巻く恋心。
好きで好きでしょうがない。でも好きという気持ちは良いものばかりではない。
届かなかったりすれ違ったりで哀の感情が混ざったりもする。
喜び哀しみ。胸の中で渦を巻く恋の螺旋そのままに打ち出すコークスクリュー。
(……サポートMVPは茉優ちゃんだな)
茉優ちゃんの協力を得て始まった必殺習得作戦。
正直、最初は大丈夫かなと思っていた。
茉優ちゃんが考案した恋心を煽るための方法がちょっと疑問だったからだ。
亀ちゃん先輩の前で茉優ちゃんとべたべたする、だもん。
『考えてみてよ。目の前で女の子と男の子がべたべたしてたらさ。どうしたって想像しちゃうでしょ』
『想像?』
『もし自分が好きな子と両想いになれたら、ってさ』
スキンシップは最たる例だと茉優ちゃんは言った。
解放できずにいる悶々とした恋心をもっと悶えさせることができる。
その読みは正しかった。ほんの数日前、亀ちゃん先輩は必殺技に目覚めたのだから。
(いやマジで頭上がらないわ)
目の前で放たれた必殺技を見て改めてそう思った。
「ッッ~~!!」
体勢を崩したところを狙い打った。
しかし間下先輩もさるもの。踏ん張りはきかずともないよりはマシ。
咄嗟の判断で胸の前でクロスガード。亀ちゃん先輩の拳はガードの上を叩くに留まった。
が、
「ぉぉおおおおおおおっらぁあああああああああああああああ!!!!」
ガードの上から打ち抜くように亀ちゃん先輩は残りの体力全てを注ぎ込み拳を振り抜いた。
吹っ飛んだ間下先輩がロープに叩き付けられる。
必殺技は炸裂した。しかし、勝負を変えるほどのものではない。
だがそれはあくまでバトルの“勝敗”だ。
「「……」」
もう指一本動かせないのだろう。リングの中央で立ち尽くす亀ちゃん先輩。
一方の間下先輩はゆっくり息を整え、立ち上がった。まだまだ戦えるだろう。
しかし気のせいでなければその目にはこれまでとは違う光が見えるような気がする。
「……すげえな間下。俺のま」
「亀井。質問に答えて」
「お、おう?」
「あんたさ」
すぅ、と一息入れて投げられた質問に亀ちゃん先輩が目を剥いた。
「――――あたしのことどう思ってる?」
「ど、え……あ、どどどどどうってあば」
めっちゃ混乱してる。いや俺もだ。
え、何? どういう意図で? 表情が無だからわかんないんだけど。
「良いから答えて」
念を押されやがて観念したように亀ちゃん先輩は言う。
「……す、好きだ。二年の頃からずっと」
流されるように告白してしまった。
その気恥ずかしさや情けなさがあるのだろう。
それでも言ってしまったからにはと亀ちゃん先輩は思いのたけを全て吐き出した。
「だよね」
聞き終えた間下先輩が小さく頷く。
「途中からずっとそんな気持ちが伝わって来たし。でも、言葉にしてもらわないとさ」
「ど、どういうことだ?」
困惑する亀ちゃん先輩。
「……鈍いわね」
あ、と俺は思わず声を漏らした。
亀ちゃん先輩は気付いていないがこれって……隣の茉優ちゃんを見ると彼女は小さく笑っていた。
「――――こういうこと」
「「「!?」」」
しかし次の瞬間、茉優ちゃんですら驚愕に目を見開いた。
間下先輩が亀ちゃん先輩の唇を奪ったのだ。
したのだ! ちゅーを! 目の前で!!
触れるだけの短いキス。顔を離した間下先輩の頬は真っ赤だ。
さっきまでの無表情は必死で恥ずかしさを押し殺していたのだろう。
「……まあ、最初はあたしもそこまでってか意識してなかったけどさ」
ぽつぽつと語りだす間下先輩を見て茉優ちゃんはハッ! と息を呑んだ。
そして、
「……行こう」
「え? あ……うん、そうだね」
俺たちが見届けるべきものはしっかり見届けた。
これ以上は野暮ってもんだ。流石は乙女。繊細な気遣いだ。
俺と茉優ちゃんは振り向かずこの場を後にした。
しばらく歩き二人の姿が見えなくなったところで俺は口を開く。
「亀ちゃん先輩……良かったね」
「うん」
「何っ、かさ。今俺、すっげえ胸が温かいよ」
「私も」
誰かの恋が成就する瞬間を見届けられるなんてとても素敵な機会を得られた。
これだけでもう、ここ一か月の労力に見合った報酬と言えよう。
「……私も、頑張らなきゃ」
「どったの?」
「ううん、何でも。それよりさ。これで気兼ねなく遊びに行けるね」
「うん! いや動物園めっちゃ楽しみだわ!!」
「私たちが行く日の予定見たらナマケモノの試合があるみたいだよ」
「ナマケモノ……え、ナマケモノがバトんの? ど、どうやって……?」
めっちゃ見たいじゃんね。




