小さな恋の拳③
決戦の日取りは約一か月後の七月七日になった。
提案したのは茉優ちゃんで曰く、
『ギリギリまで引き延ばすよりある程度、足りないぐらいで切り上げた方が焦りが良い方向に働くんじゃないかな』
一か月ぐらいしかない。
その焦りが特訓の良いスパイスになるというのは俺も納得だった。
でもやっぱり女の子。それだけじゃなかった。
『後はまあ、七夕。織姫と彦星のご加護がありますようにって感じ?』
離れ離れの恋人たち。一年に一度、かけがえのない逢瀬を重ねている彼らのように。
亀ちゃん先輩と間下先輩が織姫と彦星になれるかは分からない。
でもそうなれるように験を担ぐのは悪くないと思う。
そんなこんなで茉優ちゃん監修の下、亀ちゃん先輩が果たし状を書き直接、間下先輩に手渡した。
間下先輩は何か考えている様子だったらしいが素直に受けてくれたようだ。
となれば後はもうがむしゃらに鍛えるだけ。
「っしゃ! どっからでも来なさーい!!」
そして土曜。人気のない裏山で特訓が始まった。
ちなみに動物園に行く約束は先延ばしになった。今行っても気兼ねなく楽しめないだろうという茉優ちゃんの提案だ。
「お、おう……それは良いけど何だその格好……?」
「いや折角だからレスラーになり切ってみようかなって」
今の俺は上半身裸でマスクとロングタイツだけ。
ちなみにこのハートをあしらったマスクは母さんお手製でこれ着けて偶にプロレスごっこやってんだ。
「勇八くんはコスプレとか好きそうだよね。ま、それはともかく先輩」
「お、おう」
「まずはどれだけ動けるかを見たいから深く考えずとりあえず攻めてみて」
「分かった」
「勇八くんはこう上手い具合に相手してあげて」
「あいよ」
曖昧な指示だがニュアンスは伝わっているので問題ない。
「じゃあ、行くぞ!!」
大きく腕を振りかぶり殴りかかってくる。
これはまた典型的なテレフォンパンチだ。
身体は流れ気味だし拳もブレている。戦いが苦手という言葉に嘘はなかったようだ。
「っと」
「うぇ!?」
真正面から片手であっさり受け止められぎょっとする亀ちゃん先輩。
もう片方の手で軽く胸を押してやれば「わ!?」と声を上げ後ずさった。
「さあ! どんどん行こうどんどん!!」
「お、おう!!」
それからしばし亀ちゃん先輩の攻勢を受け続ける。
彼の息が上がったところで茉優ちゃんがストップをかけ、
「ダメダメだね」
評価を告げる。ドストレートな★1に亀ちゃん先輩がガックリと項垂れた。
もう少し手心を、と言いたいがここで甘やかすのは駄目だろう。
一か月である程度、カタチにするためには厳しくいかんとな。
「ただまあセンスがないのと使い方がなってないだけで身体そのものは悪くないんじゃないかな?」
勇八くんもそう思うでしょ? と話を振られたので頷き口を開く。
「始める前の準備運動とか見てる限り柔軟性とかはあるもんね」
子供だから、というのもあるが生来身体が柔らかいんだと思う。
柔軟性というのは大事だ。これがあるかないかでかなり話は変わって来る。
「まずはパンチの打ち方からだね」
「そ、そんな初歩的な……?」
「おいおいおい亀ちゃんせんぱぁい。基礎は大事だぜ基礎は」
「間下先輩は真面目な人なんでしょ? 基本を疎かにするような男に靡くとは思えないけど?」
「……それもそうだな。よし分かった! パンチの打ち方から教えてくれ!!」
あらやだ素直。こういうとこ良いと思う。
「物分かりが良くて大変よろしい――勇八くん、どのパンチ教える?」
「そうだなあ」
空手の正拳。ボクシングのジャブ、ストレート。中国武術の崩拳。
一口にパンチと言っても色々ある。
「まずは正拳からが良いと思うんだけど」
「うん、私もそれで良いと思う」
競技人口も多いからネットを漁れば教材も山ほど出てくる。
そういう意味ではボクシングのワンツーなんかも探しやすいがこっちは亀ちゃん先輩にはまだ早い。
リズムとか意識するのはもうちょっと先の話だろう。
「まずは動画で見てもらおうか」
スマホを操作し俺のお気にの空手家のチャンネルにアクセスする。
俺や茉優ちゃんも口頭で説明はできるが戦業の説明のが上手だからな。
まずは戦業の説明を見聞きしてもらう。その上で俺と茉優ちゃんが実際に目の前でやってみせる。
「……これ、当たるのか?」
「実戦と練習ではそりゃ違うに決まってるでしょ。これはあくまで基本なんだから」
「まずは基礎から頑張ろう亀ちゃん先輩」
何度も何度も反復練習を身に着けた上で、実際にどう当てるかを学んでいくのだ。
一足飛びにいきなりパンチを当てようだなんてのは考えない方が良い。
「腋が開いてる。キュっと締めて」
「こ、こうか?」
「あ、今のは良い。引手がしっかりしてたよ亀ちゃん先輩!」
「おう!」
茉優ちゃんが厳しい指摘をしたら俺が良いところをピックアップする。
特別意識したわけではないが教えている内に自然と飴と鞭の役割ができあがってしまった。
そんなこんなで数時間。そろそろおやつ時というあたりで解散と相成った。
日暮れには早いが亀ちゃん先輩、家の用事があるらしい。
「夜も反復練習を忘れないこと。良い? 先輩」
「おう! 今日はありがとな! また頼むよ!!」
亀ちゃん先輩の姿が見えなくなったところで茉優ちゃんを見る。
「うん。それじゃ行こっか」
「ああ敵情視察だ」
茉優ちゃんはそっけないように見えてその実、かなり本気で亀ちゃん先輩の応援をしている。
その証拠に女子の伝手を辿り間下先輩が通ってるプロレス道場を割り出し見学まで申し込んでくれた。
「同じ道場に通ってる他の先輩が協力してくれる手筈になってるんだよね?」
「うん。私たちが来たらスパーに誘って戦ってるとこ見せてくれるってさ」
「……しっかり観察しなきゃだ」
「だね――――それはさておきそろそろマスク外さない?」
「おっと失礼」
服は終わった後で着たんだがマスクは忘れてたぜ。
身支度を整え俺たちは間下先輩が通う道場へ向かった。
到着すると事前に話を通していた女子の先輩が俺たちを迎え中に通してくれた。
「……あれが間下先輩だって」
「ほーう?」
端の方で首ブリッジをしている女の子をそれとなく観察する。
「……亀ちゃん先輩よりでけえな」
可愛いというよりカッコいい系の女の子。
見た限り亀ちゃん先輩より身長も体重もありそうだ。
これぐらいだと女子のが発育良いから不思議でもないが……。
「キツイね」
「うん」
地力で負けてて体格差もある。これはかなり厳しい。
「む」
ふと間下先輩と目が合った。
跳ね起きた先輩がてくてくとこちらに歩いて来る。
……何かバレたか? 横目で茉優ちゃんを見るが平然としている。強いなこの子。
「君、うちの学校の十波くんでしょ」
「え……あ、そうですけど。先輩だったりします?」
「うん。私は5-2の間下麻里香っていうんだ。よろしくね」
「どもっす。えっと、何で俺のことを?」
「何でってそりゃ色々噂になってるからさ。バトルで勝利と唇を奪った拳小一のモテ男だって」
お前もかい。
いや亀ちゃん先輩も言ってたけど……え、マジにそんな噂出回ってんの?
「何一つ間違ってないじゃん」
「それはそう……いやモテ男ではねえよ」
誰かに告られた経験もないしな。
「で、その十波くんが何でここに?」
「私の付き添いです。ちょっと最近行き詰まっちゃって何か新しいものを取り入れようと思いまして」
その一環でこれまで縁のなかったプロレスに興味を持ったのだと茉優ちゃんは言う。
当然、方便だ。事前に考えてあった言い訳だろうがよくもまあスラスラと。
女は生まれながらの役者だというが正にって感じだな。
「へえ……ところでもしかしてあなたが」
「はい。十波くんに公衆の面前でファーストキスを奪われた相沢茉優です」
「あらあらまあまあ!」
ニマニマと何やら楽しそうな間下先輩。
「んふふふ」
「……何すか?」
「いや別に? そっか。そういうことなら……折角だし戦ってるとこ見てく?」
お? アシストなしで良い流れがやって来たな。
「良いんですか?」
「良いよ。ってか私が興味あるから。十波くん、ちょっと私とやってみない?」
俺かよ。まあ願ってもないことだが。
「良いっすよ」
「やった! 先生に許可取って来るから準備運動でもして待っててよ!」
「りょ」
許可を取りに行った間下先輩を見送り茉優ちゃんに語り掛ける。
「俺はリングの中でしっかり味わってくるから」
「うん。私は外からちゃんと観察するよ」
こつん、と拳を突き合わせる。
少しして間下先輩が戻って来た。無事許可を取れたとのことで揃ってリングイン。
「まずは相手の一撃を食らう。それが俺のスタイルでしてね。不快に思われたらすいません」
最初に断っておく。
透さんぐらい差があるならともかく二つしか離れてないからな。
そして見る限り楽勝、とまではいかないが負けることはないだろうというのが俺の見立てだ。
「了解。プロレス向きだけどひょっとしてやってる?」
「父母のスタイルがプロレスなんで多少は使えますけどそれとは無関係な俺自身のスタンスですよ」
「そう。じゃ、遠慮なく!!」
ダン! という力強い踏み込みから俺の頭を引っ掴んだ間下先輩が身体を弓のようにしならせる。
(これは……ッ)
ドギツイ衝撃が顔面を貫いた。
ナックルアロー。鉄拳制裁とも呼ばれる打撃技。
プロレス見ててこれが出るとこの上なくテンションの上がる俺の好きな技の一つだ。
「どう? なっかなかのもんでしょ♪」
「……イエス!!」
ごめん茉優ちゃん。ごめん亀ちゃん先輩。
すんげえ楽しくなってきちゃった。
細かいことは後回しにして今はバトルを楽しませてもらうね……。
心の中で詫びを入れる。
茉優ちゃんは雰囲気でそれを感じ取ったのか呆れたように溜息を吐きながらもお好きにどうぞ、と肩を竦めた。
いよし許可出た楽しむぞぅ!
「じゃあ今度は俺の番だ」
一、二の三で跳躍からの鋭い二段蹴りを見舞う。
一撃目はギリギリ防がれたが二撃目は対応し切れず間下先輩が軽く吹っ飛ぶ。
「今のはプリンセスミーティアの……ッ! ひょっとしてファン?」
「まあ、グッズを部屋に飾る程度には」
母は兎に角足癖が悪い(良い意味で)。
繰り出す華麗な蹴り技の数々で多くのファンを魅了している。
そんな母は俺にも同じ技を使って欲しいようで幾つか蹴り技を伝授されている。今の二段蹴りが正にそれだ。
まあ伝授と言っても母のそれはコマンドありの必殺技で、俺のは単なる動きの模倣。
同じ動きでも必殺技だと威力が違うので完全に身に着けたとは言えないだろう。
「なるほど。付き添いに来たのは“そういう”理由だけじゃなかったってことだ」
「???」
「何でもないよ。じゃ、続きやろっか!!」
真正面から突っ込んで来る間下先輩。意図を察した俺も迎え撃つように前に出る。
接触。手四つでガッチリと組み合う。プロレスの醍醐味だよな。
(燃える闘志が伝わって来るぜ! ああ、今度は父さんのスタイルで行かせてもらう!!)
それから十分ほど、リングの上でぶつかり合った。
結果は俺の勝ち。あちこち痛いが満たされた心の前では実にどうでも良いことだ。
「君、良いねえ! どうだいうちに入門してみないか?」
「あはは。いや、俺は付き添いなんで」
目的は果たせたのでこれにておさらば!
とも行かずそれからしばし茉優ちゃんと実際に体験してみようということで道場の練習に参加することになった。
本題からはずれているが、まあ楽しかったのでオールオッケー!
「「ありがとうございました!!」」
お礼を言って道場を後にする。
これから話し合いだが、身体を動かしてお腹が空いたので近くのファーストフード店に入ることにした。
「とりあえずお互い、正直な感想を打ち明けようか」
「だね」
ポテトをつまみながら茉優ちゃんは言った。
亀ちゃん先輩も居ないし気を遣う必要はないので俺も同意した。
「「いやー、これはキッツイ」」
俺たちの見解は同じだった。
得手不得手があるのは当然のこと。人間だからな。
それでも亀ちゃんがせめてバトルに対して普通ぐらいの適性があったのなら……。
そう思わざるを得ない程度には間下先輩は強かった。
「……でも良い人だったよね間下先輩」
「亀ちゃん先輩の言った通りだ」
「あんな人と互いに想い合えるようになれば素敵だよね」
「うん」
示し合わせたわけではないが互いに喉を潤すためシェイクを口にした。
そして、
「頑張ろう勇八くん」
「うん。できることは精一杯してやんなきゃな!」
困難であればあるほどに燃え上る。それがファイターというものだろう?




