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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

BL/BLを含むNL

一途な宦官は永遠の愛を王に捧ぐ[R15 BL]

作者: 燈子




 あの夜。

 愛していると告げたことが、そもそもの間違いだったのだろう。

 だが、たとえ分かっていても、俺はきっと同じ過ちを繰り返すのだ。


 ***


 楊鳳寿は、国一番の武家に生まれた。

 楊家は、二百年前の戦乱の時代、天下に武勇を轟かせた大将軍にして、王が最も信頼していた王弟・楊煌明を始まりとする、名門中の名門だ。

 もっとも、正室腹の子とはいえ、第三子であった鳳寿に家を継ぐ予定はなく、一族の他の人間達と同じように武人となり、国に仕えて生きるはずだった。


 鳳寿は生真面目で、高潔だった。

 正しく生きることを何よりも大切にしていた。


 民のために、国のために、王のために。


 鳳寿にとって、それは全て同じ意味であった。

 王とは国のために在り、国とは民のために在ると信じていたから。

 だから鳳寿は王に仕えようと思い、武官を志したのだ。


 十五の年。

 鳳寿は国の武官登用試験に臨んだ。

 物心つく前から、一流の武人たちを遊び相手とし、木の剣を振り回していた鳳寿にとっては、国内の実力者達による実技試験すら児戯にも等しかった。

 あっさりと首席合格した鳳寿は、自宅の正面に屋敷を構える幼馴染の家に向かった。


「華英、華英よ!合格したぞ。もちろん首席だ!」


 屋敷に招き入れられるやいなや、鳳寿は庭へと駆け出し、晴々とした声で宣言した。

 無造作に束ねた黒髪を振り乱し、庭から友の部屋に向かって朗々と告げる。


「俺は約束を守ったぞ。お前はどうだ、華英」

「……うるさい人ですね、あなたは」


 呆れ果てたと言わんばかりの声とともに、鳳寿が仁王立つ目の前で、部屋の戸が開き、涼やかな美貌の少年が一人現れる。

 咲き初めの梅花のような少年だ。


「山猿でもあるまいに、玄関から入ってくることは出来ないのですか?」


 ため息をつきながら、気怠げにかきあげる髪は射干玉の黒。

 春夜の闇を紡いだような髪が、指の隙間からこぼれ落ち、清婉な色香が匂い立つ。

 普通の男であれば、あらわになった白い首筋に釘付けとなっただろうが、首も座らぬ幼い頃から華英を見慣れた鳳寿は、ただ快活に笑うだけだ。


「庭を通った方が早いだろう」

「あなたは礼儀作法を一から学び直すべきですね」


 侮蔑も露わに言い放つ少年に、鳳寿は堂々と胸を張る。

 少年ながらも鍛え上げられた肉体に、彫りが深く整った顔立ち、威風堂々とした振る舞いが相まって、まるで一国一城の主のような威厳である。

 たとえ会話の内容は、お小言に対する子供じみた反論であろうとも。


「なに、やろうと思えばできるさ」

「じゃあ我が家でも心がけてください」

「俺とお前の仲だ、気にするな」

「……会話になりませんね」


 うんざりと首を振る華英に、鳳寿は楽しげに問いかけを重ねる。


「そんなことより、華英よ。お前の試験はどうだったのだ」

「もちろん首席合格ですよ。胡家の者として当然です」


 澄まし顔で答える華英に、鳳寿は明るい歓声を上げた。


「さすがは俺の華英だ!十四歳での首席は史上最年少だろう!」

「……あなたのではありませんし、胡家に生まれたからには、この程度で喜んでいては恥です」


 つん、とそっぽを向く華英の頬がわずかに赤らんでいる。

 まっすぐな鳳寿の称賛に照れているのだと察し、鳳寿はさらに笑み崩れる。


「何を言っているのだか。お前の努力の成果だろう。ちゃんと誇れ」

「私ですから、当たり前です」

「まったく、素直ではないな」


 鳳寿は肩を竦めて、意固地な年下の幼友達に目を細めた。


 華英は、代々文官を輩出する文の名門・胡家の未子だ。

 建国王の腹心にして友であった初代宰相・胡華月を始祖として、歴史に残る名宰相を何人も輩出している。

 建国王の妹をはじめとし、何人もの王女が降嫁している胡家は、王家と並び最も古く、三百年以上続く家系である。

 近年では中枢から遠ざかっているが、名門には変わりない。


 現当主の嫡子にして唯一の男児である華英は、異母兄弟や従兄弟たちを含めて最年少であったが、今の世代の中では最も聡明で、初代宰相の再来と謳われている。

 その才は学問だけにとどまらず、幼い頃より書画から歌舞音曲、詩歌に至るまで天才の名をほしいままにしてきた。

 期待されすぎて性格が捻くれていることと、少々体が弱いことを除けば、弱点のない少年である。

 胡家から久々の宰相が出るのではと、期待がかかっていた。


「なんにせよ、今日は酒盛りだな!武の俺と文のお前。俺たちがいればこの国は安泰だ」

「随分と大きなことを仰る。あと、私は酒は嫌いです」

「ではお前は甘い水でも飲んでおけ」


 可愛げのない返答ばかりを繰り返す一個下の幼馴染に肩を竦め、柔らかく鳳寿は笑う。

 文の胡家と武の楊家は権力争いの場でも敵対しにくいことから、代々良好な結びつきが続いており、お互いに持ちつ持たれつの関係を維持している。

 この時代も、おそらくはそうなっていくと思われた。


「ともに王を助け、国のために尽くそうじゃないか」

「ふん、武の頂点を取ってから仰いな」

「おう、待っていろ」


 自信満々に胸を張る鳳寿に、華英は口元を緩める。

 鳳寿の思い描くこの国の未来があまりに清々しいものだったので、不覚にも華英の心まで軽やかに弾む。


「……まぁ、あなたと協力するのも吝かではありません。私はさっさと上に参りますので、あなたも早くいらっしゃいな」

「おう、どちらが先に頂点を取れるか競争だな」

「ふふっ、それは勝負になりませんね」

「はん、言ってろ」


 軽口を叩き合いながらも、二人の瞳は煌き、弾けるような笑顔を交わしていた。

 輝かしい将来を信じて。




 未来への希望に浮き立つ若い少年達はまだ知らなかった。


 権力とは欲に塗れたものであり、玉座とは血に穢れたものなのだと。

 そう知っていれば、鳳寿は決して剣をとらず野山を駆けて過ごし、華英はひっそりと湖のほとりで詩を詠んで暮らしていただろう。


 大人たちに守られていた綺麗な少年達にとっては、誠に信じがたいことに。

 繁栄と平和に浸りきり、建国王の教えを忘れた国の政治は腐敗し切っていた。


 この国で、王は国のために生きてはおらず、国は民のために存在してはいなかった。

 政治を動かしているのは、民草を思う王と心正しき官吏などではない。

 政の中枢を牛耳るのは強欲な汚吏で、王の喉元を押さえ込んでいるのは血の紅を差した妃だ。

 権勢を望む身勝手な汚吏達は贅沢を喜びとする愚かな妃と結びつき、妃らの実家と繋がって、私服を肥やすことに専心している。


 それを知ってなお、少年達は国のために尽くすのか。


 否。


 彼らは国に絶望し、そして作りかえようと決めるのだ。

 彼ら自身の手で。




 ***




 光の差し込まぬ不潔な地下牢で、一人の男が鎖に繋がれていた。

 鍛え上げられた四肢は枷をはめられ、鎖に繋がれている。

 申し訳程度に包帯が巻かれた左肩からは、半身が真っ赤に染まるほどに血が滲み出ていた。

 右頬には痛々しい刀傷がそのままにされており、命を保つための最低限の治療しか施されていないことが明らかだった。


「これが『国』か」


 低い声が、闇を震わせて響いた。


「これが『政治』か」


 暗く淀み、光を失った目で地を睨み、憎々しげに呻く。


「これが、『王』か……ッ!」

「……そうですよ。アレが、当代の『王』です」


 暗闇の中から、冷たいほどに落ちつきはらった声が答えた。


「……誰だ」

「チッ」


 何も見えない闇の中で誰何すれば、さも忌々しげな舌打ちが聞こえてくる。


「あぁ、嫌だ嫌だ。臭いし、汚いし、捕まった間抜けは私の声すら忘れているし」

「……あぁ。華英、お前か」


 暫くの思考の後で発された名前に、再び華英は高らかに舌を打った。

 小さく光を灯した華英は、眩しそうに顔を歪める鳳寿を、思い切り見下した顔をして見せた。


「考えなきゃ分からないなんて、随分な話ですね。呆けたんですか」

「はは、すまないな……」


 かつてのような軽口を叩くこともなく、鳳寿は力なく笑い、謝罪する。

 うつろな眼差しを向けられ、華英は泣き出しそうな顔をした。


「とりあえず、ここから出ましょう」

「くくっ、この状態で、どうやって?傷を負い、手枷と足枷をはめられ、獣のように繋がれている。お前、俺を嗤いにきたのか?……冗談も大概にしろ」


 憎悪すらも混じった暗い声で、鳳寿は吐き捨てた。


「ここは、次期宰相と呼び声が高い俊才様が来るところじゃない。さっさと帰れ……お前は、体制側の人間なのだろう?」


 この国の腐敗に憤った鳳寿は、何度も王へ進言しようとした。

 けれど全ては、王の側近達の手によって握り潰された。

 その一人は間違いなく、現宰相の副官として宮廷で辣腕を振るっている華英なのだ。


「居たくて居る訳がないだろう。出ようにも牢の鍵がないんだ。耳障りな冗談は止めて、今すぐ出て行け」


 いっそ嘲るように、突き放した言い方をする鳳寿に、華英は傷ついた表情を見せる。

 しかし一瞬俯いた後、華英はすぐに平静な顔を取り戻した。


「鍵ならありますよ、ここに」


 ちゃりん、と軽い金属音とともに現れた武骨な鍵束。

 優美そのものといった風情の華英が手にするにはあまりに不釣り合いなそれに、思わず鳳寿は唖然とする。


「どこからかっぱらってきたんだ」

「あなたが気にする必要はありません」


 澄ました顔で答えて、華英はあっさり鉄格子の中に入ってくる。

 不自然な体勢で座り込んでいる鳳寿の前に膝をつき、華英は眉をひそめる。


「随分な深傷を……早くこの不衛生な場所から出て、手当てをせねば」

「だが、手枷と足枷がある。随分と警戒されてしまったんだ」


 おどけた顔で手足を揺すり、ジャラ、と鈍い金属音を絶てて見せれば、「何を諦めているんだか」と蔑みの目で鳳寿を見て、華英は鼻で笑った。


「あなたが愚王の前で暴れるからでしょう。馬鹿者が」

「華英?」


 華英が仕えているはずの君主を愚王と言い切ったことに驚いた鳳寿は、次の瞬間更なる驚愕に目を見開いた。


「それに、見くびらないでください。枷の鍵もありますよ」

「なっ!……むしろなんであるんだ?王の部屋に忍び込んだのか!?」


 己に剣を向けようとした鳳寿へ激怒した王が、己の手自ら嵌めた枷の鍵。

 王が懐にしまいこんだはずの鍵を取り出した華英に、鳳寿は呆れて小さく笑った。


「華英、相変わらずお前は、まるで奇術師のようだな」

「恐れ入りなさい」


 思い返せば、幼い頃から手先が器用で、金庫の鍵を開けるのが得意な奴ではあった。

 風が吹けば散ってしまう花のような儚げな風情でありながら、したたかで意地汚いところも多かった。

 敵にまわったと思っていた幼馴染が、己を助けるために奮闘してくれたことを察して、鳳寿は久々に心からの笑みを浮かべる。


 わずかな灯の中でも手際よく解錠しながら、華英は真剣な声で囁いた。


「拷問好きな王の残虐性に助けれました。その場で斬り殺されていたら、どうしようもなかった。……裏から出ましょう。外に馬がつないであります」

「だが、……逃げても、今の俺では故郷までお前を守りきれん」


 自由になった手足を軽く動かした鳳寿は、不自然に固まった筋肉と痛む傷に顔を顰める。


「……華英よ。助けてくれたことは礼を言う。だが、お前は一人で逃げろ。俺はどこかに隠れ、隙を見て」


 苦渋の顔で言い募る鳳寿を、華英はうんざりと遮った。


「何を弱気になっているのですか。利き腕が残っているでしょう?……外れの丘に味方が待っています。そこまでは腕一本で頑張ってください」

「み、かた……?」


 思いもかけない朗報に瞠目する鳳寿を満足げに見つめ返し、華英は鮮やかな赤い唇で笑みを形作った。


「あの昏君と、腐敗した政府に反感を持っているのは、あなただけじゃないってことです。……まったく、水面下で慎重に準備を進めていたのに、あなたが騒ぎを起こすから予定が狂いました」


 平然と謀叛の企てを暴露する華英に、鳳寿は唖然とした。

 腐敗した王朝で淡々と出世を重ねていた華英は、もう昔の綺麗な少年ではないのだと、自分の華英はもう消えたのだと、そう思っていたのに。


「お前、変わっていなかったんだな」

「当たり前でしょう。私は魑魅魍魎の欲に塗れても、己まで醜悪な悪鬼となり果てるような小物ではありません」


 侮るな、とまっすぐに鳳寿の目を見返す華英は、幼い頃の誇り高く穢れない、澄んだ瞳のままだ。


「疑って、悪かった。……あと、計画をぶち壊して、すまない」


 小さくなって謝る鳳寿は、華英の怒りを恐れた。

 己の完璧な計算が崩れることを、華英は幼い頃から酷く嫌っていたから。

 しかし、殊勝に過ちを認め謝罪した鳳寿に、華英は目を瞬いた後、子供のようにくしゃりと笑った。


「いえ、別に。……英雄が現れた時が、最高の好機ですよ」

「英雄?」

「ええ、あなたですよ、鳳寿」


 思いがけない言葉に固まる鳳寿を楽しげに見つめ、華英は人差し指一本で、鳳寿の心臓を突いた。


「なってくださいよ、鳳寿。私達の……私の、英雄に」




 ***




 戦乱は苛烈を極めた。


 腐敗した王城で、私利私欲を肥やした貴族達は、新たな英雄の誕生を恐れた。

 各地で放棄した民衆と、清廉であるがゆえに苦渋をなめてきた心ある貴族達とともに、鳳寿は戦地を駆け抜けた。


 天を駆ける龍のように、戦場で鳳寿は自在に舞う。

 両の手に剣と槍を持ち、蠢く雑草を薙ぎ払い、憎き獣を討つ。

 そこに迷いはなかった。


 しかし。


「ぐはっ」


 鳳寿の槍に貫かれた兵士が地に倒れ、頭を覆っていた頭巾が外れる。

 幼いと言っても良い顔から推し量るに、鳳寿が武官になったばかりの年齢ほどだろう。

 唇が小さく、母を呼ぶように動き、事切れた。


「あぁ、ああ、ああああっ」


 向かってくる敵を幾十と屠りながら、鳳寿は鎧の下で血の涙を流す。

 なぜ守りたいと思った民を、救いたいと願った民を、自分は殺しているのか、と。


 戦で犠牲になるのは、か弱い平民と、意思を許されない雑兵達だ。

 彼らに罪はない。

 けれど、殺すしかなかった。


 鳳寿は鎧を外して骸に縋り付き、滂沱と涙を流そうとする軟弱な己の心臓を握りしめ、修羅となって駆け抜けた。

 この苦しみと悲しみを、最速で終わらせるために。

 建国王の苦悩を、大将軍の悲痛を全身に感じながら、鳳寿は戦場を駆け抜けるのだ。






「なぁ、華英。馬鹿なことを言ってもいいか」

「どうしたのです?」


 戦の合間の、僅かな休息の時間。

 明日の作戦を纏め上げた後、夜空に散らばる無数の星を眺めていた時。

 妙に改まった様子で、鳳寿が不意に口を開いた。


「あなたが馬鹿なのは昔からです。遠慮せず仰いな」

「じゃあ、ありがたく」


 揶揄うように促せば、鳳寿も力の抜けた声でくすりと笑う。

 そして、緩く息を吸うと、一息に呟いた。


「愛している」

「っ、な、……ど、うしたんですか、急に」


 あまりの驚きで言葉につっかえながら、華英は強張った笑いを浮かべて振り向いた。


「急ではないさ」


 鳳寿はまるで春のような穏やかな顔で、愛おしいものを見る目で華英を見つめている。


「この世に生きる誰よりもお前を愛している。そしてこの世に生きる誰一人として、俺よりお前を愛してはいないだろう」


 あまりにも熱烈な告白に、華英は息が止まりそうになった。

 血液が全身から心臓に集まり、凄まじい速さで脈を打っている。

 顔からはむしろ血の気が引いていただろう。


 月の下で青白く映る華英の顔をどう読み取ったのか、鳳寿は「案ずるな」と苦笑して、まるで幼子にするように華英の髪を撫でた。


「お前を押し倒すようなことはしない。……俺は、お前に相応しくないからな」

「え?」


 自嘲するように呟かれた言葉の真意を尋ねようとした華英は、次の瞬間、唇の自由を奪われて瞠目する。


「ん……」


 乾いた唇が、まるで花びらに触れるようにそっと合わせられた。

 唇をこじ開けることもなく、舌を吸うこともなく。

 まるで、羽が触れたかのような、優しい接吻。


「お前に手を出すのは、これが最初で最後だ、華英よ。俺はこの混乱を終わらせる。そして……この戦を勝ち抜き、王となる。そうしたら、俺はお前だけを見ていることはできない」


 狂おしいほどの熱を秘めて華英だけを映す瞳は、けれどもっと遥か遠くを見つめている。


「ほうじゅ……」


 目の前で顔を歪める男の名を茫然と口にすれば、理由もなく華英まで泣きそうになった。

 ただ、名を呼んだだけなのに。


「……愛しい華英よ」


 己の執着を振り切るように、鳳寿は長く細い息を吐く。

 わずかばかりの絶望を孕んだ切ない吐息が、華英の頬を撫でた。


「俺は、国のための王となり、民のための王となる。お前だけを想い、お前のために生きることは出来ない。……それでは、お前を幸せにすることなど、到底出来まい」


 おどけたように言って、暴力的な恋情を抑え付け、全てを自己完結させた男は、まるで重荷を下ろしたような顔で笑った。


「馬鹿なことを言ってすまなかったな。……明日も早い。よく眠れ」


 もう一度優しく髪に触れて、鳳寿は自分の天幕へ去っていく。

 髪に触れる振りで、撫でられた頬が痛みを持っている気がして、華英は鳳寿に触れられた場所を右手で押さえた。


「なんて、勝手な」


 戦乱の夜は更けていく。

 震える詰り声をひとつ残して。




 ***




 長い戦が終わった。

 鳳寿は愚王を討ち、新王を名乗って即位した。

 不穏分子はそこかしこに燻っているものの、形ばかりの平穏が訪れたのだ。




「後宮など、諸悪の根源だ」


 焼け焦げた前王の執務室に代わり、新たに王の執務室となった部屋で、鳳寿は忌々しげに吐き捨てた。


「……まぁ、以前の有様を知る者としては、おおむね同意しますが」


 そう言いながらも、華英は渋い顔で首を傾げて意見する。

 華英は、戦乱の最中、片時も鳳寿の隣を離れず、血の中で馬を駆り、夜を徹して戦略を練り、共に勝利への道を走り抜けた。


 そして、鳳寿が新王として即位すると同時に勅命を受け、宰相となっている。

 個の圧倒的な武力で戦力の差を握り潰し、凄まじい速さで国土を制したとして恐れられている王に、まっすぐ物を申せる数少ない人間だった。


「けれど、正しい血筋の王の子が居なければ国が荒れます。後宮は必要悪でしょう」

「うまく使えれば、な。だが、後宮が正しく機能する可能性はほとんどない」


 人間の欲深さと堕落の容易さを嘲り、鳳寿は淡々と暗い未来を予想する。


「後宮は私欲に溺れた化け物の巣窟となり、腐敗は表に波及して、やがては宮廷までも再び血と毒に塗れることになるだろう」

「鳳寿……」


 華英は痛ましげに眉を寄せた。


 かつての透き通る理想を胸に抱き、信じる道を駆け抜けていた溌剌とした青年は、もうどこにも居ない。

 この世の醜さを直視した瞳は暗く翳り、己の手で流した血を吸って心は重く沈んでしまったのだ。

 けれど。


「だが、……そんなことは、させん」


 ポツリと呟かれた鳳寿の言葉に、華英は目を見張り、そしてゆるりと頬を緩めた。


「この国を、俺は、一から作り直すのだ」


 鳳寿の黒い瞳にはぎらつく夏の太陽のような光が宿り、生気が蘇っていた。

 まるで、希望に燃えていた若き日のように。






「決めたよ、華英」


 ある夜。

 城下を視察に出かけ、夜遅くに執務室へ戻ってきた鳳寿は、覚悟を決めた声で言った。


「後宮は、残す。人質の住まいとしてな」


 うっそりと笑った鳳寿に、華英は片眉を上げて詳しい説明を求めた。

 その話題を、鳳寿はずっと避けていたはずだった。

 ある程度宮廷を整え、もう目を逸らせないところまで来ていたので、近々話さなければ、と華英も思っていたのだが。


「後宮は王の『妻』を入れるところでしょう。人質とは、また物騒な。……どういう意味です?」

「有力な家の娘をまとめて入れられる、素晴らしい制度だと気づいたのだ」


 素晴らしい気づきだった、と大袈裟に両腕を広げて見せる鳳寿に、華英は柳眉を顰める。


「……人質としては、弱いでしょう。どの家も、後継にもならない娘の命など、大して重いと思っていませんよ」


 あっさりと問題点を指摘すれば、鳳寿も「そうだな」と同意しながら、狡猾に笑みを深めた。


「娘だけでは弱い。だから、各家の正妻も、娘の世話係の名目で人質として入れようと思う」


 人妻を後宮に入れるという、鳳寿の突拍子もない思いつきに、華英はぽかんと口を開けた。


「正妻は、家と家の結びつきとして嫁いでいる女達だ。何かあれば実家が黙ってはいまい。……女達は、武力を持たず、か弱い。扱いやすい人質だしな」


 ははは、とどこか自虐的に声を上げて笑いながら、鳳寿は椅子に座る。

 酷く疲れた様子で深いため息をつき、鳳寿は両手で顔を覆った。

 憔悴した鳳寿の様子に、小さく首を傾げながらも、そっと華英は盃を差し出す。

 注がれた酒気のない水を一息に飲み干し、鳳寿は血を吐くような声で告げた。


「だが、名目は後宮だ。俺は、そこに入る女達を抱くだろう。王の後宮とは、そういう場所だからな。そして俺は、子を作らねばならない。次代を任せる、優れた子を」


 それが王の務めだ、と呻く鳳寿は、愛の伴わない交合も、愛していない女に子を産ませることも、苦痛なのだろう。

 根が潔癖な少年のままの、この王は。


 どこか冷静に状況を俯瞰しながら、華英は言葉を発することなく静かに立っていた。

 鳳寿が何を伝えたいのか、正確に理解するために。


「だから……お前だけを見ていられない俺には、もうお前を愛する資格すらないのだ」

「……っ」


 何年かぶりの言葉に、華英は思わず息を飲む。

 月と星だけが騒めく夜空の下で告げられて以来、一度として口にされたことのない、愛の言葉だった。


「長い間縛り付けて悪かった。もう、国はあらかた治ったのだ。お前も己の幸せを見つけるがいい。……何処へなりと行け」


 言い捨てて、耐えきれないとでも言うように視線を落とす鳳寿に、華英はくしゃり、と顔を歪める。


「…………あなたは、本当に」


 常に沈着冷静で容赦ない裁断を下し、鉄面皮の宰相と呼ばれる男の顔ではない。

 まるで泣き出す直前の幼子のような顔で、噛み締められて赤みを増した唇は、震える笑みを形作っている。


「見栄っ張りの、大馬鹿者ですね」


 鳳寿から愛されていることなんて、華英はずっと昔から知っている。

 心臓が痛いほどに理解している。


 命を預けあい、生死の境を駆け抜ける中で、幾度となく愛情を叩きつけられた。

 言葉は宣言通りに、一度きり。

 けれど、ふとした時に向けられる熱い視線で、駆けつけた男の冷え切った体温で、死を覚悟した瞬間の命を懸けた態度で。

 その愛は、あからさますぎるほどに。


「なんでそんなに、天邪鬼なんですか、あなた。単純人間のくせに」


 本当は、きっと。

 どこにも行くなと言いたいのだろうに。

 この男は、涙を堪えて華英の手を離すのだ。


 自分では、華英を幸せに出来ないと。

 華英の幸せだけを願って。


 華英の幸せは、鳳寿の側にしかない、なんて、思いつきもしないで。

 泣きそうな顔で、どこにでも行け、と残酷な命令をするのだ。


「はぁ……ほんとうに、愚かなひと」

「え?」


 ぽつりと落とされた呟きが、あまりに落ち着いたものだったから、奥歯を噛み締めて俯いていた鳳寿は、訝しげに顔を上げた。

 どこか諦観したような、もしくは運命を受け入れたような穏やかな目で、華英はふわりと微笑んだ。


「ねぇ、鳳寿」


 ゆるりと細められた眦には扇情的な色香が匂い立ち、長い睫毛の隙間から見え隠れする潤んだ瞳に、戸惑う鳳寿の顔が映った。

 まるで魅入られたかのごとく、黒眸を見つめ返す鳳寿に、華英は暗示をかけるように囁いた。


「最後の夜だと仰るのなら、最後の夜らしく」


 密やかな声は、夜の空気を震わせて、鳳寿の鼓膜を細かく揺さぶる。


「せめて、この肌に触れようとは思わないのですか?」

「な、にを……そんな、不道徳な」


 耳から流し込まれた甘美な誘惑が、脳を侵し切る前に、必死に拒もうとする鳳寿の潔癖な理性を嘲笑して、華英は目の前の興奮で赤らんだ頬にそっと触れた。

 戦が終わってから剣を持つこともなくなり、すっかり柔らかさを取り戻した、白魚のごとき手で。


「鳳寿……相変わらず、綺麗事好きで臆病者な我が友。そして、誰よりも勇猛果敢で心正しき我が君。あなたの信念も道徳も、私にはどうでも良いのです」


 鳳寿を鳳寿たらしめる、水晶のような透明さをどろりと溶かして、奥に潜む獣の欲望を呼び起こす。


「欲しいのならば、どうかその武骨な手で掴んでくださいな、っ」


 呪詛に似た懇願が終わった刹那、華英は逞しい腕に捕らえられていた。


「なぜ、誘う。なぜ、堕落に手を引く。なぜ、……一度でもお前の肌に触れたら、離せなくなると分かっているのに!」


 慟哭のような告白に、華英は満ち足りた笑みを浮かべて、広い背中に両腕を回した。

 宥めるように背を撫でて、耳許で囁く。


「離さなくてもよろしいのですよ。ねぇ、私の鳳寿。あなたは私の王なのですから。あなたが為すことが、王道なのです」






 僅な灯りだけが燈る王の寝所。

 世界から隔絶された部屋で、二人の男が寝台に沈み込む。


「華英、華英、華英ッ」


 溺れた者が空気を求めるような必死さで、ひたすら名を呼びながら、鳳寿は肌理の細かい真っ白な首筋に噛みついた。

 容姿のわりに目立つ喉仏に噛みつけば、華英は鳳寿の下でびくりと震える。


「まるで喉笛を噛み切ろうとする、猛獣ですね」


 どこか嬉しそうに笑われて、鳳寿は興奮を抑えきれなかった。


「華英よ、愛している、愛しているっ」


 喘ぐように同じことばかりを呟いて、甘い肌を貪る。わずかに湿った皮膚を舐めれば、汗の塩味がした。


「ぁ……」


 ほの紅い耳朶を噛むと、華英の口からか細い嬌声が漏れた。


「み、ないでください」


 恥ずかしげに目を伏せる仕草の艶やかさに、鳳寿は我を忘れた。性急な求めに、無意識にか体を強張らせた華英は、わずかな恐れを含む黒眸で、鳳寿を見上げる。しかし、華英の体の強張りに気づいた鳳寿が躊躇いを見せる間も無く、細い両腕は更なる刺激を欲するように鳳寿の体を抱き寄せた。


「ほうじゅ」


 わずかに開いた唇からは鳳寿の名とともに熱い吐息が溢れ、次第に瞳も期待するように潤んでくる。


「だいて」


 稚い響きの懇願に、鳳寿は完全に降伏した。




「鳳寿、ほうじゅ……あぁ、私の王」

「あぁ、華英ッ、華英ッ、俺の華英っ」


 涙声呼ばれる名に歓びを増幅させ、鳳寿は箍が外れたように白い首や肩に噛みついた。まるでこの身体は、己のものだと刻むように歯跡をつける。

 一部の隙間もなく合わせられた肌は熱く、相手の鼓動が骨を伝って感じられた。ドクドクと凄まじい速さで打つ互いの命の音に、興奮が煽られる。


「ほうじゅ」


 このまま心臓が止まってしまうのではないかと思うような鼓動の速さに、思わず不安に駆られた華英は、思わず己の王の名前を呼び掛けた。


「ん?……どうした?」


稚い呼び声に、鳳寿は大粒の汗を浮かべた顔に笑みを浮かべて聞き返した。

 まるで一歳の年の差がとても大きいものだった、幼い頃のような、大人ぶった話し方が、何故かとても嬉しくて。

 華英の唇から、言葉を覚えたばかりの赤子のような、たどたどしい言葉がこぼれた。


「あいしてる」


 ほんの一言の愛の言葉は、華英が初めて告げた鳳寿への心。

 目を見開いた鳳寿は、ぎり、と奥歯を噛みしめ、顔を歪ませた。

 

「それは、私の台詞だ」


 鳳寿の獣じみた低い呻き声とともに、華英を強く強く抱きしめた。


「あいしてる……ッ」


 どちらからこぼれたのか分からない呟きを掻き消すように、どちらともなく口づける。

 互いの熱を感じながら、二人は激しい快楽に溺れた。









「……肌で触れ合うのは、初めて、だったか?」

「…………さぁ。昔のことは忘れました」


 肌を合わせた後の睦言としてひどく不適切な鳳寿の問いかけに、華英は表情を強張らせた後で視線を逸らした。


「すまん、つまらぬことを聞いたな。……あー、なんだ。ちなみに俺は、男を抱くのは初めてだ」


 失言を取り戻そうとして、余計にどつぼにはまっていく鳳寿に小さく笑い、華英は肩を竦めた。


「ええ、若き日に数えきれないほど美女と浮名を流していたことは知っていますよ、花街の名将軍」


 軽やかに揶揄すれば、鳳寿は弱り切った顔で肩を落とした。


「なんとも、面目ないな。……若い男として、発散したい熱があったのだ」

「ふん、ふしだらな。後宮を拒んでいたくせに、花街は良いと言うのですから不思議なものですね」


 皮肉っぽい笑みを浮かべて当て擦りを言う華英に、鳳寿は消沈して言い訳を述べる。


「許せ。お前の面影を求めて彷徨ったが、結局どの妓楼にも、お前より美しい者はいなかった」

「っな」


 あけすけな好意に、華英が狼狽た隙に、鳳寿はそっと顎を掴み、半開きの唇に口づけた。


「お前の初々しい艶やかさに、我を忘れて、思うままに貪ってしまった。無理をさせてすまなかった」


 ちゅ、ちゅ、と可愛らしい音を立てて接吻を口返し、時折優しく舌を吸いながら、鳳寿は愛情に溶けた眸で華英を見つめた。


「いつまでも美しく、誰よりも綺麗なお前を手折ってしまったが、罪悪感を喜びが遥かに凌駕する。どうか、この愚かな男を許してくれ」


 睦言にも似た懺悔を、華英はどこか気まずそうに聞いた。

 黒曜石に似た瞳を伏せ、早口に告げる。


「……気にする必要はありません。あなたが思うよりも、私は美しくも綺麗でもありませんから」


 一呼吸分の躊躇いの後で、華英はぎこちなく口を開いた。


「……本当は、初めて、では、ありません」

「……そうか。何も悪いことではないさ。お互い離れていた間は、それなりに楽しんで」

「そうではありませんッ」

「華英!?どうした、何故泣いている?」


 華英の夜の河のような瞳から、透明な水の玉が次から次に溢れて出る。

 まるで堤防が決壊したかのように。

 苦しげに胸を押さえ、華英は絞り出すように告げた。


「あの、夜、……あなたの処刑がされるはずの日の前夜」


 ごくり、とどちらかの喉が鳴る。

 それは、二人の再会と、始まりの夜の話だ。


「私は、王の寝室へと向かいました」

「なっ」


 静かな声で言い切った華英に、鳳寿は呼吸を止めた。


「男女問わず美形の者を好んでいた色狂いのあの暗君は、私のことを大層気に入っていました。……けれど私は王族の血を引く名門の嫡子で、最年少で次期宰相と言われる人間。簡単には手を出せなかったのでしょう。だから私は、王のあからさまな誘いも、ずっと躱していました。……いつか、切り札とするために」


 暗い瞳で、華英は鳳寿の向こう側の過去を見る。

 触れていた肌はすっかり冷え切って、熱の名残もなく乾いていた。

 華英の心を表すかのように。


「あの夜、上機嫌で眠りについた王の寝室から、あなたの枷を外すための鍵を探し出し、そして牢へと向かい……」


 青ざめた顔で固まった鳳寿の前で、華英は淡々と種明かしをしていく。

 あの晩、なぜ奇術師のように、全ての鍵を手に入れることが出来たのか、を。


「牢番をしていた衛兵二人に媚薬入りの酒を、そして、身体を差し出し」

「もうやめろッ!」


 小さく震える腕で己を抱き締めながら語る華英を、鳳寿は力の限り抱きしめた。


「鳳寿、聞いてください。私は、ちっとも綺麗ではないのです。どれほど頭が立派でも、結局は体を使うことしか出来ない、軟弱な愚者だった。どうか、そんな私を、綺麗だなんて言わないでください」


 泣きそうな声で絞り出された願いはあまりに哀れで、鳳寿は自分の瞳からあふれる涙を止めることが出来なかった。


「私は、あなたを取り戻すためなら、貞節も信仰も道徳も正義も、何もかも捨ててしまえる、愚かで卑小な人間なのです」


 華英の小さな唇が紡ぐ、激しく重い愛の告白に、鳳寿の体が震える。

 抱き締める腕にますます力が篭り、細い体を折ってしまいそうだった。


「あぁ、鳳寿、泣かないで。決してあなたのために犠牲になったなんて、そんなお綺麗な話ではないのだから」


 苦笑しながら、ぼたぼたと大粒の涙を流して男泣きをする鳳寿の顔を優しく手巾で拭き、華英はため息まじりに呟く。


「私にとって、私の体は、あなたを得るための道具でしかなかった。それだけなのです。……あなたが自分を責める必要は、何もないのですよ」


 そんなわけない、と胸中で叫びながらも、鳳寿の唇からこぼれるのはみっともない嗚咽だけだ。

 華英は、奥歯を食いしばり嗚咽を堪える鳳寿の背中を、ひたすらに優しく撫でた。


 鳳寿の涙の泉が枯れてきた頃。

 華英はまるで、歌うように呟いた。


「ねぇ、鳳寿。私は昔からずっと、あなただけを見ております。けれど私は、私だけを見て欲しいとは言いません」


 不思議な言葉に顔をあげれば、澄み切った黒の双眸が、泣き濡れる鳳寿を捕らえる。


「この国を遍く見つめるあなたの優しい瞳が、この国を守ろうと闇に立ち向かうあなたの逞しい背が、私は好きなのですから」


 ちゅ、と母が子を宥めるような口づけが、鳳寿の腫れた瞼に落とされた。

 華英は愛おしげに鳳寿の硬い髪を撫で、愛する王に永遠の誓いを送った。


「あなたはそのまま、王として、この国のために生きれば良いのです。そうして私は、あなたの隣で、あなたのために生きましょう」




 ***




「後宮を管理する女官長を、どこかから探して来ねばなるまい」


 後宮をあけると正式に決定し、鳳寿は新しい悩みに頭を抱えていた。


「この面子を抑えて、うまく立ち回れる人間はいないか?」


 国内のなみいる貴族家から集められた妃嬪とその母親の名簿を見て、華英は冷め切った微笑を浮かべる。


「後宮に放り込んだ各家のお嬢様と奥方様を抑えることができ、あらゆる誘惑と脅迫に屈しず、後宮を管理してくれる者、ですか?そんな人間、そうそう居るわけがないでしょう」


 ばっさり切って捨てた華英に、鳳寿が疲れ果てた目を向ける。


「分かっている。だが、探さねば」

「なに、簡単なことですよ。……後宮の管理は、私がいたしましょう」

「は?」


 華英の言葉の突飛さに、鳳寿は一瞬思考を止めた後で、苦笑して首を振った。


「華英、それはさすがに無理だろう。後宮は男子禁制が大原則だ」


 当然の話だ、と華英を窘めたはずの鳳寿を、華英はくすりと笑った。

 にこり、と妖艶な表情を浮かべる。

 まるで、男でも女でもないもののような。


「……華英?」


 訳のわからぬ恐れに、鳳寿の心臓の音が速くなる。

 押し寄せる切迫感のまま何が言いたいのだ、と詰問しようとした鳳寿に、華英はあっさりと告げた。


「ご安心を。私はすでに、男ではございません」

「……え?」


 無言のまま、華英が帯に手をかけた。

 はらり、はらりと、衣を次々に脱ぎ落とし、最後に下履きが床に落ちる。

 そして華英は、一糸纏わぬ姿を晒した。


「ま、さか」


 愕然と目を見開いた鳳寿の顔が、絶望に染まる。

 カタカタと震えながら、一歩一歩ぎこちなく華英のもとに近づき、跪いた。


「切り落とした、のか」


 その股間には、あるべきものが、なかった。


「胡家は、どうするのだ。お前は後継ではないか……!」

「構いませんよ。異母兄達の誰かが姉上と婚姻してくれれば、私よりよほど血の濃い後継が生まれるでしょうから」


 混乱して非難するように叫ぶ鳳寿に、華英は淡々とした様子で肩を竦めた。

 諦めの悪い鳳寿が事あるごとに、華英を手放そうとするから、わざわざ切り落とす羽目になったのだ、とは言わずに。


「宮廷だけを手中にしたところで、争いの種は潰し切れません。それは、分かっているのでしょう?」

「だがっ」

「鳳寿。じゃあ、あなたに、私より信頼できる人間がいるのですか?」


 言い募る鳳寿の名を鋭く呼んで口を閉じさせ、華英は穏やかに問いかけた。

 返事に窮する鳳寿を満足げに見つめ、華英は子守唄のように優しく囁く。


「後宮も私にお任せなさい。もう二度と争いなど起きようもない体制を、腐るはずのない世界を、二人で築いてやりましょう」


 子に囁きかけるかのような甘やかな声は、奥底に強い信念と激情を孕み、鳳寿の鼓膜を揺らした。


「あなたは妃達に子を産ませなさい。私は嫉妬など致しません。あなたが愛しているのは私だけだと私は確信しておりますから。妃を抱いた後も忘れず私に愛を囁き、抱き締めてくだされば許してあげます」


 くすくすと笑いながらも、まるで狂人のような眼差しで、華英は鳳寿を見つめる。


「そして生まれたあなたの子を、私は愛をもって正しく教育しましょう。国と民を狂信する、正しき王者に」


 明るい未来の夢を描き、華英は楽しげに目を細めた。

 鳳寿はその深淵の見えない闇色の双眸に魅入られ、固まるばかりだ。


「彼らに守られ、発展していくこの国が、永遠に残る私たちの愛の証です。……ねぇ、そうでしょう?愛しい私の王様」


 ちゅ、と音を立てて、華英の柔らかな紅唇が、鳳寿の乾いた唇に触れた。

 ぐ、と唇を押しつけられ、生気も魂も吸い取るように口腔内を掻き回される。


「華英……」


 なすすべもなく床に押し倒された鳳寿は、口の中を弄られて荒く息をしながら、華英を見上げた。

 吹っ切れたような顔をする恋人は、興奮に頬を染めながらも、純真な少年のように笑った。


「私はあなたと、この国を生むと決めたのです。私の幸せはここにある。それをあなたも、いい加減認めて下さい」


 狂った目で捧げられる愛に、覚悟を決めろと迫られる強引さに、鳳寿は微かな後悔と、そして目も眩むほどの狂喜を覚えた。


「あぁ、そうだな、華英。……ずっとここに、俺の隣にいてくれ」


 目の前の白い裸体を骨の軋むほどに抱き締め、その首筋に噛み付いた。


「お前は俺のものだ。もう二度と、手放そうとはせん」




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