小悪魔な彼女は、かっこいい。
それに名前をつけるのならば……。『スローモーションの出会い』だ。
可愛いものが好きだからと言って、自分が可愛いとは限らない。
綺麗ものが好きだからと言って、その人がとてつもなく美人ということは決してない。
けれど、彼女は違う。
ある日の街なかで、本屋の店頭に横積みされていた雑誌に、光の視線は吸い寄せられていた。
手に取ったそれは、十代に人気のティーン誌。
指が震えるほどに緊張しながら、ページを捲る。
白のワンピースに、ショート丈のライダースジャケット。それにロングブーツをあわせて、パンダのぬいぐるみを持っている、アッシュグレーヘアーの女の子。
――可愛いっ……! 服もパンダも可愛い! だけど、この子がもっと可愛いっ!
全身が震える。
雷に打たれたらこんな感じだろうか。
幼いときに木の上から落ちて頭をぶつけた時とは、まるで比べ物にならないほどの衝撃だった。
――好きっ!
その写真一枚で、光は恋に落ちていた。
◇◆◇
「ねえ〜あたしたちと遊ぼうよ〜?」
「…………」
「この子よりあたしのほうがいいんだよね!」
「…………」
艷やかな黒髪からのぞくシルバーのイヤーカフに、装飾された爪先の指が伸ばされたのを、首を振って軽くいなした光は街路樹の影を進む。
「待ってよ〜!」
「一緒に遊ぼうよ〜!」
「君、めっちゃセンスいいから、買い物でもいいよ〜?」
「……ごめんだけど、無理だから」
日曜日の午後。
全身おしゃれにしている少女たちに囲まれてしまった光は、できるだけおざなりにならないように断りを入れた。
特に、店に用があるわけではない。ただぶらりと、ウィンドウショッピングでもしようかと思っていただけ。
普段なら高校の友人たちの物色に付き合うが、今日は光ひとり。
存分に好きな服を見ることができる。
今日の光の服は、ひとつ上の兄から借りたアート柄のシャツに、黒のスキニーパンツだ。それにグレージュのマウンテンパーカーを羽織っている。
少し肌寒いから、とパーカーを持ってきたが、これがいいと、少女たちが掴んでくるのが気になった。
自分たちだけで遊んでくれて構わないのにと、内心どうしようかと思考する。
気がつけば周りに女の子が集まりすぎて、歩道を占領してしまっていることに、光はもやもやしてしまった。
ここは強く断って、退場していただこうか……。
そう結論に至った光は後ろを向いて、目の前を過ぎった少女を目にとめて。息を吸った――。
あの時以来の、スローモーション。
風になびくアッシュグレーの長い髪。
――ホンモノ…………。そう! この私が、彼女を間違えるはずがない!
「ごめん! 待たせた!」
そう言って、光は女の子たちの中を割り、目の前にいた少女の腕を取る。
「え――?」
「急にごめん。 ちょっと話し合わせて!」
「…………」
小声で少女に願うと、戸惑いながらも頷いてくれた。
くるりと少女の進行方向を変えて、光は背後の女の子たちの方を振り返る。
そして、事情をつかめず、口を開けてぽかんとしている彼女たちへ、
「彼女と会えたからバイバイ」
と、光は笑顔を向けたのだった。
◇◆◇
「本っ当にすみませんでした! 巻き込まないようになるべく彼女たちに顔が見えないようにしたんですけど……」
「あれって、あなたの彼女たちじゃないんですか?」
「違います! 初めて会った人達です……。声をかけられてしつこくて……」
百貨店の化粧品フロア。
新色とラベルが貼られたリップティントを手の甲に塗りつつ、少女が流し目で光を見上げてくる。
――うっ! 小悪魔みたいな視線が可愛いっ!
光が腕を掴んで利用してしまったのは、ティーン誌の雑誌モデル『あや』だった。
光の初恋で、憧れの女性。
こちらのトラブルに巻き込んでしまったお詫びにと、姉に頼まれたと言う、彼女の買い物についてきた光だ。
――まさか、こんなところであやさんに会えるなんて夢にも思わなかった! それも一緒に買い物してるなんて……! 雑誌の比じゃないくらい可愛いっ!
周りの女性も店員も、ちらちらと彼女に注目している。
だが、無理もない。
「モデルさんは写真加工も一般的とか言ってるけど、あやさんの肌は湯で卵みたい」
「……光くん、声に出てます……」
「声に出したらマズイですか?」
「…………マズくはないけど……。さすがに、恥ずかしい……」
ほんのり赤みがさした頬は桃のよう。
――可愛すぎるっ!
今日の彼女のコーディネートだって、とんでもなく可愛いのだ。
袖口が大ぶりのフリルになっているブルーのシャツと、マーメイドラインのロングスカート。スカートは白地にシルバーの花柄が描かれていて、彼女が歩くたびに裾を目で追ってしまう。
全体を引き締めている黒のショルダーバッグが、十代にはちょっと手が出ないブランドだ。
ティーン誌では可愛いメイクをしていることが多いが、今日は『少し年上のお姉さん』がイメージだろうか。細いアイラインが彼女を小悪魔っぽく見せている。
「ピンクのティントより、少しローズの方が好きなんだけど、でも私の肌はピンクが合うんだよね……」
手に出した二色のリップティントを光に見せて、今日の目的である色味の話をされる。
今日はまだ、くちびるには塗っていないらしい。
少しぷっくらしているさくらんぼのようなくちびるが、まさかまだ何も塗っていないということに驚いて、光はあやの口元をガン見てしまった。
「…………光くん、見すぎ……」
「うっ。すみません。……でも見てしまうんです……」
困った眉をされてしまい、さすがにやりすぎたか? と反省するが、仕方がない。
あやはティーンズモデルだ。だから、紙面以外で顔出しをしていない。動いて喋っている姿を間近にして、見ないなんてことができるだろうか。いや、できるはずがない。
できることならずーっとカメラで撮影して、それをDVDに焼いて、光が死んだときは棺桶に一緒に入れてほしいくらいに憧れで大好きな人なのだ。
「……せめて写真にしてくれると嬉しいかも……」
苦笑して、光に微笑みを向けてくれる。
「……い、いいんですか……? 写真……」
「うん、いいよ。後で公園にでも行こう。……さあ、光くんがキスしたいのはどっちの色かな?」
「こっち……」
なにか聞き間違いをしたような気がした。だが、光は彼女にいちばん似合うと思うピンク色を指差した。
「うん。わかった」
一度手の甲にティントを塗って、手持ちのリップブラシで色を取る。
鏡を覗きながら縁取りをして、さらにくちびるに色を乗せていく。
「……どう、かな? 似合う?」
手に乗せた色をオイルで拭き取って、あやが振り返った。
ニコッと、まるで雑誌を切り取ったような天真爛漫に見える笑顔。
まるで、花の蜜に誘われる蝶のように。
光はふらふらと近づいて――。
「かわいい……」
あやがまばたきをした刹那。
光はピンク色のくちびるに口づけていた――。
「――……っん」
騒がしかったはずの店内が静かになり、あやの声にならない声が響いた。
ゆっくり顔を離した光は、彼女の驚いている顔に「ごめん」とくちびるを動かす。
そして、
「がまんできなかった……」
「………………」
赤面したあやが、ぐいっと、光の腕を引っ張る。
慌てて百貨店を出て、光はあやに連れられて路地裏に連れ込まれた。
――あやさん、見た目は細いのに力強いんだ……!
モデルさんはみんな、スタイルや健康維持のために、運動をしている人が多い。
あやもきっとそうなのだろう。
「君はなに考えてるんだ?!」
「え……?」
今まで聞いたことのない低音。
光がぱちぱちとまばたきをしていると、あやは、ぐいっとティントリップをぬぐい、深い溜め息をついた。
――え?
「……まさか、男にキスされるなんて、考えもしなかった……」
――は?
「よくも公衆の面前で俺にキスなんてしたな……!」
――……っ!!
「お……男の……子?」
「……せっかく、ファンなら夢でも見させてあげようかとか思っただけなんだけど。本気にされるなんて考えもしなかった」
あやがアッシュグレーの髪をかきあげると、中から黒髪が現れた。
――ウィッグ……!
「……はぁ。これが、ティーンズモデルあやの正体。わかった? 光くん。俺は男だ」
◇◆◇
「結構目撃者いたよな……。まずいな……。姉さんに怒られるかも……。はあ……。だから自分で買いに行けって言ったのに……」
「あやさん?」
「さっきスマホ持ってたヤツいるし……。あぁ〜もうすでにSNS流出?! 『公衆の面前で突然キス?!』とか書かれてたらどうしよう〜」
「あやさん!」
「それもよりによって男? 俺が好きなのは女だ。こんなキスで男に欲情なんか」
「あやさん!」
「うあわっ」
光に背を向けてブツブツ言っていたあやに、声をかけた。
驚かれるほど自分の世界に入っていたのだろうか。さすがに勘違いさせてしまっていては申し訳ない気持ちでいっぱいになった光は、先ほどまでと違ってしかめ顔のあやに頭を下げた。
「突然すみません。ですけど、話を聞いてほしいです」
「わいせつ行為の現行犯で掴まりたくなければこのまま俺の前から去ってほしいんだけど?」
いっさいの息継ぎのない容赦ない退去要請に、少し挫けそうになった。
仕方がない。さっきまでが幸せすぎた。
だが、これだけは伝えなければいけないと、光は少し高いところにある綺麗な顔を見つめた。
「……あの場でキスをしたことは謝りません! あやさんが可愛すぎたのがいけないです」
「なに? それって、可愛ければ犯罪行為をされても文句言えませんって言うのか? 男にキスされて嬉しく思う奴なら問題ないって言うのか?」
「違います! そうじゃありません!」
「……じゃあ、なんだよ? 話って」
先ほどよりイライラが伝わってくるしかめ顔を、なんとかしたくて光は単刀直入に切り込んだ。
「私、女です!」
「…………は?」
それ以上何も言われないので信じてもらえてないのだと解釈した光は、着ていたパーカーを脱いで、シャツも脱ぐ。
「ちょっ!」
「これで、信じていただけますか?」
ゆったりとしたメンズシャツに隠されていた。タンクトップの下には確かに、男には無い膨らみがあった。
「し、信じるから! 服、着て!」
「はい」
慌てて後ろを振り向いたあやに苦笑して、光は脱いだばかりのシャツを着た。走って暑くなったのでパーカーは肩に羽織るだけにする。
「着ましたよ」
「…………」
五秒ほど経って、ようやくあやが振り向いてくれた。
「……女の子……」
「はい。混乱させてしまったことは謝ります。幼いときから兄のお下がりを着ていたので、普段からこういう格好をしているんです」
「……そう」
あやが、深い溜め息をつく。
「それで? 俺にキスをした理由は?」
先ほどのため息は意識の切り替えだったらしい。
迷惑をかけられたからと、なにか注文をつけられてもおかしくない状況なのに、光の話を聞こうとしてくれているあやの優しさに感激してしまう。
「……本当に、無意識でキスしていたんです。自分でも驚いていて。だけど、したくなっちゃったから謝りません」
「へえ……」
なにか間違ったことを言っただろうか。
あやの表情がおかしい。あんなに小悪魔のようで可愛かったはずの綺麗な顔が、今は悪魔のように恐ろしく感じてしまった。
少し後ずさってしまった光を、あやの大きな一歩が追い詰める。
「無意識だから謝らないのは、理屈としては理解できる。だが、俺が受けたこの残念な気持ちは、どうしてくれるんだ?」
「それは……」
「確かに、今の格好はとても似合ってる。モデルしてる俺が言うんだからそれは自信持っていい。それで俺のピュアなハートを傷つけてくれた光ちゃんは、俺にどうお詫びしてくれる?」
「………………かっこいい」
「…………は?」
壁に拳をついて、息がかかるほどの距離。
キスをしたときは一瞬のことでわからなかったが、一度あやを男の子と認識すれば、もう男の子にしか見えない。
綺麗な男の子はすなわち、かっこいいのだ。
「わたしは、かわいいのとかっこいいのが好きです。だから、あやさんのことが大好きです」
「ほう。……俺も昔っから美女の間で仕事しているせいか、目は肥えてるんだ。モデルになってもおかしくないくらいには光ちゃんはかっこいいと思うよ。その度胸と合わせてね」
「あやさんにそう言ってもらえるのは、とても嬉しいです」
「…………俺のことをそれだけ好きでいてくれるのは嬉しいよ。けど、こんなことされてもまだ好きでいてくれるのか?」
大きく目を見開いた光とは対象的に、見事なアイシャドウのグラデーションが、目の前。
左肩に感じる熱と。くちびるに感じる熱。
ゆっくり離れていくくちびるが最後、まるで離れがたいと言っているように。
ふたたび角度を変えて重なった。
何度も。
何度も。
触れるだけのキスが。
あやのリップティントをすべて、光に転写しているようだ。
「…………ぅん。…………ぷはぁ!」
もう無理だ、と。光は首をねじってキスの雨からようやく逃れることができた。
はあ、はあと荒い呼吸をする光のくちびるの端についたピンク色を、あやが指で拭う。
どうしてキスをされたのかわからずに見つめていると、苦笑された。
「鼻で息を吸えばよかったのに」
「あ! ……頭、真っ白になってて……」
「…………可愛いね。光ちゃんは。うん。可愛い」
急に連呼される可愛いに、言われ慣れていない光の顔が、いよいよりんごのように真っ赤になる。
「さっきの光ちゃんの言葉を借りるなら、俺も」
「さっき……?」
ニコッと、街なかで初めて出会ったときと同じ笑みを浮かべたあやが言う。
「俺は、かわいいのとかっこいいのが好きです。だから、光ちゃんのことが好きです」
「へ?」
「可愛い。さっきまでかっこいいな〜って思ってたんだけど。うん。光ちゃんは可愛い」
目が点になっている光の、赤い頬をツンツンと指でつついて。
あやが囁いた。
「真っ赤なりんごが大好物なんだけど、齧っちゃってもいいのかな?」
「!!」
「冗談」
可愛い女の子の格好なのに、微笑むあやは、とてもかっこよかった。
◇◆◇
あの後。
さすがにこのままずっと狭いところにいられないと、あやが電話をかけた相手が、あやの姉だった。
まだ仕事の途中だという姉にあやの家まで車で送ってもらい、路地裏の汚れがついてしまった服を洗うために洗濯機を借りている間、あやの服を借りることにした。
天使のような人と思っていたあやの、かっこいい服。
あやにはジャストサイズらしいが、光には少し大きい。
光が脱衣所を借りている間に女装を解いたあやは、とても女装してモデルをしているとは思えないほどに、かっこいい男の子だった。
リビングのソファに並んで座ると、あやがモデルになったきっかけを教えてくれた。
「俺には姉がさっきのも合わせて三人いるんだけど。小さいときから姉たちのおもちゃだったんだよね。西洋人形みたいな服を着せられて。モデルをしてる姉の付き人のバイトをしたときに、メイクさんに試しにメイクしてもらって……。そのまま写真撮られて。いつの間にかモデルデビューしてたんだ」
「もしかして……パンダ……」
「え? 覚えてるんだ?」
「だって……そのあやさんに一目惚れしたんです」
「…………」
照れて顔を赤く染める光に近づくと、あやは真っ赤な部分にくちびるを寄せる。
「ほんと美味しそうに真っ赤だね……」
「そ、そんなこと言って本当に食べるのは無しですからね!」
「ふふ」
愉しそうにしているあやとは真逆に、真っ赤なところは頬だけでなく顔全体に広がった。
「まさか、イケメンだと思った男の子が、こんなに可愛い女の子だったなんて誤算だったな……。プロの俺が、完全に騙されてた」
「……だ、男装を褒めていただけるのは、嬉しいです」
「ねえ、高校生だよね?」
「はい。S高の一年生です」
「え、本当? 俺、三年だよ。学校で会えるね」
「まさか! あやさんみたいな綺麗な先輩、見たこと無いですよ?!」
「本当。学生証見せようか? ふふ。普段はもっと地味にしてるから。これは特別。光ちゃん仕様」
「――っ!」
誰にも言わないでと、チュッと頬にキスされた。
これ以上光を真っ赤にさせてどうしたいのか。
先ほどからあやの言動は、モデルであるあやのときには一切見られなかったものだ。
肩が触れるほどの至近距離で座っている。おかげで光の心臓はずっとうるさくてたまらない。
洗濯機が止まるのはいつだろう。
だんだん近づいてくるあやに対して、これからどうしたらいいんだろう。
なにか考えてもすぐに緊張してしまい停止してしまう。
そんな光に気づいているあやは、いじわるく何度もキスをして、光を現実に戻すのだった。
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