義母の雄叫び ~魔王の嘆き~
《タケルを旅に出す?》
すっとんきょうな顔で、手にしていたペンを落とす魔王様。
片時もタケルと離れたくない彼は、今日の仕事が書類のみと知り、それを抱えていそいそと洞窟に戻ってきていた。
そんな彼を冷ややかに一瞥し、ニワトリは大きく頷く。
『人間らは七つで洗礼を受け、仕事を探し、十歳には働きに出ると言う。タケルもそれに倣うべきだろう』
そう、あれからダミアンの努力もあり、甘々な魔王様の元でもタケルは大きくなった。今年で七つである。一人前の人間として一人立ちさせるには教会で洗礼を受けさせねばならない。
それを聞いて思わず慌てる魔王。
《ち、ちょっと待てっ! まだ七つだぞっ? 成人もしていないのにっ!》
あわあわと立ち上がった彼の頭を、すぱーんっと引っぱたくニワトリ様。その容赦ない力に揺らされ、一時魔王の目の前がブレた。
『その前に洗礼が必要なんだって言っているだろうっ! 教会で真名をもらわないと、働き口すらないんだよっ!』
この異世界ラグナスの人間には魔力がなく魔法も使えない。荒んだ中世観の強い発展途上な世界だ。
魔物や魔族がいるため、地球と比べると文明の発達がかなり疎外されている。
多くの魔物らは森や海に棲んでいて滅多に人里には現れないが、反面、人間らは魔物を恐れて森や海の開拓も出来ない。
そういった諸々が絡み、この世界の人間らの暮らしは、けっこう苦しいものとなっていた。
そんな暮らしにタケルを投げ込みたくはない魔王様。
わちゃわちゃしつつも、彼は必死にダミアンを説得しようと声を荒らげる。
《俺が最後まで面倒を見るしっ! タケルが成人したら、ここを出て一人立ちさせるから、それまでは協力してくれよっ!》
『で? タケルに仲間も番う相手も与えず、寂しく一人で囲い込み、飼うつもりかい?』
辛辣な眼差しに侮蔑を乗せ、ダミアンは魔王を見据えた。
思わず絶句し、言葉を失う魔王様。
『子育ては一人立ちさせたら終わるんだ。その後は子供らの人生さ。子供らが道を踏み外しでもしない限り、親の出番はない。最後まで面倒を見る? その最後ってのは、いつのの話だい?』
言われて魔王は愕然とした。彼はタケルが老衰してこの世を去るまで見守るつもりだったのだ。
その思惑の中に、タケルの友人や伴侶の存在はない。それではまるで籠の鳥と同じである。飼っているも同然だった。
すぱっとダミアンに言われて、初めて自覚した魔王様。
『やっぱりね。その顔。ずっとタケルを手元に置いておくつもりだったんだね?』
やれやれと肩を竦めるニワトリ様。
《だって..... タケルは小さいし、弱いんだ。ちょっと眼を離したら簡単に死んでしまうかもしれないじゃないか》
あうあうとしどろもどろな御託を魔王が並べていると、そこへタケルが帰ってくる。ダミアンの子供らと共に。
五年にはヒヨコだった彼等も、今では一端のニワトリだ。精悍な鶏冠を持つ立派な姿。
体長三メートルほどのニワトリ達は、十年で一人前となり、それぞれ一人立ちして森にテリトリーを確保するらしい。
魔物は長生きするほど大きく、通常の魔物ニワトリは三メートル前後の大きさである。ダミアンほどの大きさまで生き残るのは稀なのだとか。
兄弟らとワイワイしていたタケルは、魔王がいることに気がついて首を傾げる。
「あれ? 父ちゃん帰ってたのか? 今日は御馳走だぜ?」
にっと笑うタケルの手には、見事な山鳥。どうやら狩りをしてきたらしい。
あの大惨事な事故から五年。力無く泣いていた幼児様は立派な少年に成長した。
魔物であるダミアンの子供らに付き従われ、洞窟のある森周辺は彼の庭。毎日、野山を駆け回り、ダミアンから狩りや森の知識を教わっている。
ああ、大きくなったなぁ.....
思わず感慨に耽る魔王様。
彼の中では、今でもタケルは小さな幼子のままである。どれだけ心配しても用心しても、し足りない。
山歩きをするようになったタケルを案じて、守護や防護のアクセサリーに丹精を込めたのも記憶に新しい。
それらは今、息子の両腕に煌めいている。
「何の話してたの?」
子供の成長に感無量で涙ぐむ魔王を、きょんと不思議そうな顔で眺め、タケルは母親代わりのニワトリを見た。
おうおうと嗚咽をあげる魔王をうんざりした顔で睨めつけつつ、ダミアンはタケルに答える。
『お前さんの洗礼の話さ。前に説明しただろう?』
ああ、とばかりに少年は眼を見開いた。
このニワトリの魔物は長生きで博識。すでに千年以上を生きており、数いる魔物達の中でも古参に当たるらしい。
当然、人間の社会にも詳しく、タケルに必要な知識を過不足なく教えてくれた。
その一つが件の洗礼だ。
これを受けて教会から名前をもらわないと、人間の社会で生き辛くなるのだとか。
魔物しか知らないタケルにはピンと来ないが、自分と同じ人間が沢山いる街とかは気にかかる。
『お前は賢いし、獲物も一人で獲れるようになった。そろそろ人間社会に戻る頃だと思うんだよ』
「え? 僕、追い出されちゃうのっ?」
思わぬニワトリの説明に困惑し、訳も分からず泣きそうに顔を歪める少年。
その顔に驚き、魔王はガシッと我が子を抱き締める。まだまだ細く柔らかいタケルの身体。それは魔王から見たら、とても外界に出せるようには思えなかった。
《そんなことするわけないじゃないかっ! お前は、ずっと俺と暮らせば良いんだっ!》
「お父ちゃんっ!」
ひしっと抱き合うバカ親子に戦慄き、ダミアンはケーっと鶏冠を逆立てた。
『そういうことは、これを片付けてから言いなっ!!』
ニワトリ様が翼を差す先には、魔王が設えたタケルのスペース。
最初は畳八畳ほどの広さだったそこは、この五年の間にタケルの成長に合わせて大きく拡張されていた。
.....そう、ダミアンの居住スペースを侵害するくらいに。
『勉強のスペースくらいは分かるさっ! 必須だろうっ! でも、剣術や槍術の専用スペースとか、おかしくやないかいっ? 外でやりなっ、外でっ!!』
タケルの生活スペースの倍はある鍛練場。ダミアンの空間にかなり食い込んでいるソレ見て、魔王はいたたまれず、そっと顔を逸らした。
《.....だって。雨とか風とかあるじゃないか》
『過保護も大概におしーっ!』
ケーっと鶏冠を逆立て、魔王の脳天をガスガスと突っつくニワトリ様。容赦のないソレに魔王は悲痛な声をあげる。
《痛いっ、痛いっ! すまんってっ! ほんと申し訳ないっ!!》
毎度見慣れた風景に苦笑し、タケルは少し思案した。
人間社会うんぬんはともかく、成人したら一人立ちするのは当たり前だろう。
その選択肢に人間の街を入れる可能性もある。ならば過ごしやすいように、洗礼は受けておくべきかもしれない。
「洗礼を受けても、ここを追い出されるわけじゃないよね?」
心細そうに尋ねる少年。
ぶわっと涙をこぼして再び抱きつこうとした魔王を脚で踏みつけ、ダミアンは大きく頷いた。
『勿論だよ。何時でも帰っておいで。死ぬまで、ここはお前の家だよ』
ふっくりと微笑むニワトリ様に安堵し、タケルは洗礼を受けにいってみようかと前向きに考える。
《たっ、タケルっ、無理はしなくて良いからなぁ.....っっ》
巨大なニワトリに踏みつけられながらも、しぶとく呻く魔王様。
うっ・るっ・さっ・いっ、と、どすどすダミアンに踏みつけられてあがる、か細い断末魔。
それに苦笑いしつつ、タケルは獲ってきた山鳥を捌きに泉へ向かった。
『タケル、一人立ちか?』
「そうかも」
さかさかと羽をむしり、丸裸になった山鳥を見つめ、一匹のニワトリがタケルに話しかけてきた。
このニワトリはダミアンの子供らの一人。タケルがこの洞窟に連れてこられた時に生まれたヒヨコだ。
この五年で彼らも大きくなった。可愛らしいヒヨコ姿から立派な鶏冠を持ったニワトリ姿に。
そのサイズは三メートルほど。これが魔物ニワトリの標準サイズらしい。
魔物は一人前になるまで十年間ほどかかるため、未だにダミアンの子供らは母親と洞窟に棲んでいる。
生まれた時から共に育ったタケルは、彼等にとって兄弟も同じで、タケルの一人立ちのは話を聞いた彼は心配げに顔をすり寄せた。
『人間の成長は早いと聞いたが、早すぎる。タケル、一番小さいのに』
すりすりと頭を擦り付けるのは一番大きな兄弟。一人立ちするまで魔物に名前はない。タケルにとっては、皆、兄さんである。
心配そうな兄に眼を細め、タケルはポンポンとその柔らかな頭を叩いた。
「心配しないで? 僕、強くなったし。ほら? 獲物だって捕まえられるもの」
デロ甘な父親と違い、しっかり者の母ニワトリが施したスパルタ教育の賜物である。
ダミアンは、タケルの行く末を案じ、徹底的に生きる術を教えてくれた。それに伴う知識や一般常識も。
『お前には戦う嘴や爪も、逃げる翼もない。だが、有り余る知恵と器用な五本の指があるんだ。ようく考えて生きる術を見出だしな』
ばさっと翼を拡げ、ダミアンはタケルに飛んで見せた。
ニワトリは羽ばたきの浮力を借りて、モノによっては数十メートルほど飛び上がれるモノもいる。
体長七メートルもある巨体なら、楽々百メートルほど飛び上がれた。
ふわあぁぁぁっと大空を跨ぐダミアンを仰いで、タケルは感嘆に眼を見張る。そして己の非力さに歯噛みした。
僕も嘴や爪が欲しかったなぁ。せめて翼だけでも..... なんで人間に生まれてしまったのか。母さんの本当の子に生まれたかったなぁ。
こっこっと頤を鳴らしてすり付く兄の身体を羨ましそうに眺め、タケルはその首に巻き付いた。
温かい体温と重なる鼓動。
「心配いらないよ。僕、頑張るから」
兄ニワトリは複雑そうな顔で弟を見つめる。その顔は何かを思う顔だった。
そして号泣する魔王を余所に、タケルは一人立ちを決め、近くの人間の街で洗礼を受けることとなる。
色々な旅仕度を用意し、魔王から多額の路銀を受け取り、タケルは洞窟に一時の別れを告げた。
《やっぱり、行くなぁぁっ! タケルぅぅっ!!》
『往生際が悪いっ! さっさと行きな、タケル』
追ってこようとする魔王をダミアンが押さえつけている隙に、洞窟を飛び出したタケルは、思わぬモノを眼にする。
そこには騎乗用の装身具を身につけた兄がいた。
『俺、ついてく。母ちゃんから名前をもらった。俺も一人立ちする』
どうやら、まだ早いと言うダミアンを説き伏せ、タケルに同行するため許可をもらったらしい。
一人立ちといっても世界を見て回るだけ。一人前になってタケルと戻ると約束し、兄はダミアンから名前をもぎ取った。
装身具は魔王製。兄ニワトリの申し出は魔王にとって渡りに船である。
往路の安全のみならず、護衛も兼ねられる優秀な道連れだ。くれぐれも、くれぐれもと魔王に頼み込まれた夕べを思い出して、ふっと喉の奥に笑いの込み上がる兄ニワトリ。
『今日から俺はルドルフだ。一緒に世界を見て回ろう』
にっと澄ました顔で頭を斜に構える兄に噴き出し、タケルはその背中に股がる。
「ありがとうね、兄さん」
『楽しみだな』
ふふっと顔を見合わせて二人は人間の世界に向けて脚を踏み出した。
こうして世界中を巡るタケルの旅がはじまったのである。