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……カチャカチャ
食器を並べる音だ。
俺はベビーベッドに掴まり立ちをし、慌ただしく準備をしているシェルとダリヤを見やる。
シェルとは姉のセレスティアの事だ。
言葉を発するようにはなったが、セレスティアなんて長ったらしい名前を上手く発音できる訳もなく、俺はシェルと呼ぶようになった。
シェルも俺が名前を呼ぶと嬉しそうに笑う。
二人が何をガチャガチャと準備をしているかというと、今日は俺の誕生日だ。この異世界にやって来て、新しい生を受けた俺、ノアは一歳になる。
「ノア様、今日のお食事はセレスティア様がお作りになったのですよ」
「シェル、すごい!」
「ふふふっ、ノア、そんなにきらきらした目で見ないで。……私はシェフのお手伝いをさせてもらっただけよ」
それでもまだ幼い女の子が台所に立つとは偉いものだ。
その上、俺たちは貴族の子だ。よく許しが……いや、恐らくこっそりと手伝いを申し出たのだろう。
そう、薄々感じていたが、俺とシェルは結構身分のある家の子なのだろう。生まれた時から侍女に囲まれ、部屋の装飾は煌びやか、シェルの服装もいつも綺麗なドレスだし、すぐに新しい服に替わっていく年齢の俺も高そうな服ばかり着ていた。
ちなみにダリアはただの侍女、ではなく、俺の乳母だったようだ。まだ二十歳そこそこの若い女性だが、この世界の人々は結婚が早い。
騎士の旦那がいたが、遠征先で命を落とし、そのショックで妊娠中だった彼女の子どもは流れてしまった。
そうした経緯でうちに召抱えられ、子どもに向けられなかった愛情を俺たちに注いでくれた。
乳母なのだから、彼女の母乳が俺の食事だ。
前世の年齢を考えれば同い年程の女性の母乳をもらうなど、彼女いない歴イコール年齢の俺からすれば難易度が高過ぎる。しかし、そこは生きる為の本能だろうか?全くなんの感情も沸かずに母乳をもらい、すくすくと育った。
だが、時折過る背徳感の中、半年経ってようやく与えられた離乳食に俺は歓喜した。
一切母乳を欲しがらなくなった俺に、ダリアは少し寂しいと言っていたが、俺に食事を与えられると、シェルは喜んでいた。
「さあ、ノア。準備が出来たわ。一緒に食べましょう」
シェルが俺に近づき、抱き上げようとする。
「お嬢様!お待ちください!」
慌ててダリアが制止した。
しっかりとした受け応えをするので、ずいぶん大人びて見えるが、シェルはまだ七歳になる歳で、いくら赤ん坊とは言え俺を持ち上げるのは心許ない。
シェルとの出会いを思い出し、俺でもドギマギする。
シェルはむーと頬を膨らまし、抗議の表情を浮かべたが大人しくダリアに従ってくれた。
シェルが俺の為に用意してくれた食事は離乳食なので、見た目に食欲を唆るような華やかさはないが、素直に嬉しい。
ダリアとシェルも別に自分の分を用意しており、一緒に食事をする。
サンドイッチにスープか。羨ましい。
「シェル、ちょうだい」
「だーめ、これは大人の食べ物なんだから」
チッ、やはりダメか。俺も早く味の濃い料理が食べたい。
「お嬢様、使用人の私までお食事を共にすることをお許し頂きありがとうございます」
ダリアは瞳を潤ませた。
「いいえ、わがままを聞いてくれてありがとうダリア。……どうせいつも食事は一人だもの……」
シェルがぽつりと呟いた。
瞳に翳りが滲んだが、パッと顔をあげ俺を見る。
「ノア!今日は一日中私と過ごしましょう!グロリア様はお茶会でいらっしゃらないの」
今日は俺の誕生日だが、どうやら母は居ないらしい。
モンペで息子を溺愛しているようだが、シェルほど俺の顔を見に来る事は無いし、父の姿は見たこともない。
顔も知らない父や、癇癪持ちの母と過ごすより、この愛らしい姉と優しい乳母と過ごす方が穏やかな一日になるだろう。
「うん!」
俺は姉に満面の笑みを向けた。
食事を終えた俺たちは遊び尽くした。
ボールを追いかけ、積み木で立派な城を建て、折紙を適当にちぎって画用紙に貼った。カラフルなだけのなんのモチーフもないちぎり絵をダリアに向ける。
「……あげう」
「ノア様……」
ダリアが目に涙を浮かべる。
「……私、今日ほど幸せな日はございません」
今日はダリアの涙腺がるゆるゆだな。
どれもこれも子どものお遊びだが、案外楽しいものだな。しかし、子どもの体力は無尽蔵というが、赤ん坊は別らしい。
まだ一時間程度しか遊んでいないようだが、もう眠気が襲ってきた。
「ノア、私とお昼寝しましょうか」
流石、我が姉である。エスパーかと疑うほど俺の感情を見抜いてくる。
「それでは、ノア様はベッドに……」
ダリアが俺を持ち上げてベビーベッドに運ぼうとしたが、シェルが引き止める。
「待って、あっちのベッドがいいわ」
シェルが指差す方には簡易的なベッドが置かれていた。ダリアが普段使用しているベッドだ。
数時間置きにミルクが必要であったり、いつ体調を崩すとしれない赤ん坊は乳母と同じ部屋で寝泊りをする。
豪華な装飾品のあるこの部屋は俺の部屋、らしいが、俺がもう少し大きくなるまでと乳母のベッドが置かれているようだ。
ダリアを信用して……という訳ではなく、この程度の装飾品盗まれたとして、なんの痛手にもならないという事なのだろう。
「……しかし、お嬢様、ノア様にはまだ危険です。それに、お嬢様が使用人のベッドで寝るなど……」
「お願い、ダリア。ノアと一緒にお昼寝したいの」
シェルがうるうるとした瞳でダリアを見つめる。
あの姉は……ダリアが断れないことを分かってやっているな。
「ふふふっ、ノア、今日は一緒にお昼寝ね」
ダリアから承諾を勝ち取ったシェルはにこにことご機嫌だ。
俺は寝相が悪いという事で、ダリアのベッドのど真ん中に陣取り、その横にシェルが寝そべっている。
やはり、ダリアの方が折れてしまった。
「お嬢様、今日だけ特別ですよ」
「ありがとうダリア。大好きよ」
シェルは寝転んだまま声を掛ける。
「もう……お嬢様ったら」
ダリアの呆れたような、しかし、どこか温かみのある声が届いた。
「ノア、私、とっても幸せよ。……今までで一番……幸せ」
この世に再び生を受け、混乱と驚きの中、なんとか赤ん坊をやってきた俺にとっても、このささやかな幸せが、とても特別なものに感じる。
「シェル……ノアも幸せ」
「今日はみーんな幸せね」
シェルが優しく微笑んだ。