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ぼんやりと、ただ時が過ぎるのを待つ日々。もう外に出たいとも言わなくなった。
『許可を取って』と言われていたが、そもそも許可が下りたことはない。
誰とも言葉を交わすことなく、与えられる食事を口にして眠る。
私の世界は窓から見える裏庭の景色だけになった。
まるで世界は色を失って、柔らかな土を踏みしめて植物に触れ、ルーカスと他愛もない話をした毎日がどこか遠い夢物語だったかのように思える。
やがて色鮮やかだった木々も鳴りを潜めて、薄ぼんやりとした灰色の景色が広がっていた。
まともな暖房装置も置かれていないこの部屋は、建物の中とはいえどひんやりとした空気が漂っている。
「今日は一段と冷えるわ」
ぽつりと言葉を零して、悴んだ手足を擦る。
「あのー…」
声を掛けながらゆっくりと廊下に繋がる扉を開けた。
しかし、想定していた使用人の姿は見当たらない。
ーーーーーあれ?
なにか寒さを凌げるものか、温かいものでも持ってきてもらおうと思ったのだが…。
普段は私が部屋を出ないように見張りとして立っている使用人の姿がなかった。
恐る恐る辺りを見回して扉の外へ足を踏み出してみた。
ぎゅっと眼を閉じて身構えたが、咎められることもなく、人の気配すら感じない。
不思議に思い、首を傾げる。
「このお屋敷が寒いから、皆部屋に篭っているのかしら?」
……なんにせよ、これはチャンスでは?
今なら、誰に止められることもなく外に出られる。ルーカスに会いに行ける!
そう思い立つとすぐに部屋に戻り、動きやすく暖かな服装に着替えるとベッドの下から靴を引っ張り出した。
この靴を取り出すのも久々だ。
慎重に廊下を通って階段をおりる。誰かと鉢合わせするのではないかと身構えていたが、幸い誰とも会うことなく外に出ることができた。
久々に全身で浴びる陽の光は、目を細めるほどに眩しく、冷たく乾いた空気の中で私を暖かく照らしてくれた。
辺りは霜で凍りついたように静かで、息を吸うと澄んだ空気が喉を突き刺す。
一歩を踏み出すとサクッと乾いた音が足裏から響くようだった。冬にだけ訪れる感覚に楽しくなって辺り一面の霜を踏み締めながら歩く。
ーーーーーザクッ、サクッサクッ。
って、のんびり遊んでる場合じゃない!
思わず感情の赴くままに楽しんでいたが、いつ見つかって連れ戻されるとしれない。
我に返った私は急いで約束の樹に向かった。
数ヶ月ぶりに見る約束の樹は、生い茂っていたその葉を落とし、赤茶色の枯葉がぽつりぽつりと枝先で揺れていた。
落ち葉や枯れ草が風に揺られてカサカサと音を立てる以外に、辺りはシンとして、まるで時が止まっているかのようだ。
ーーーーールーカスはいないのね。
まあ、常にここにいるわけではないし、毎日会っていたわけでもない。
久方ぶりの外でまだ帰りたくないし……。
私は幹を背にして、落ち葉の上に腰を下ろした。
動きを止めるとより一層寒さを感じる。
パリパリに乾燥しているように見えた落ち葉や地面にも当然霜が降っていたようで、座って熱の篭ったお尻がじんわりと湿ってきた。
悴んだ手足が凍って動かなくなるのではないかと思い指先をにぎにぎとこまめに動かす。靴下を履いているとはいえ、ペラペラの薄い靴の保温効果は十分ではない。
「じっとしていたら余計に寒い!」
しばらく座って待ってみたが彼が来るかも分からないのだ、その間に凍えてしまう。
ガバッと立ち上がると、中庭を散策することにした。
見慣れた木々の葉はすっかり落ち、地面を覆い尽くしている。陽の光に照らされた落ち葉は、霜が溶け始めて赤や金色にキラキラと輝いていた。
窓越しに見ていた灰色で鬱蒼とした世界とは全くの別物のようだ。
そうして中庭をぐるりと回って約束の樹に戻ってきたが、その日彼は姿を現さなかった。
「ごちそうさまでした」
届けられた朝食を食べ終えて、急いで身支度を整えるとベッドに細工を始めた。
細工といっても丸めた衣服や猫のぬいぐるみをベッドに置いて、人一人が眠っているように見せ掛けるだけだ。
我儘を言って一つだけ返してもらったお気に入りの猫のぬいぐるみ。
「こんなことに使ってごめんね」
ぎゅっと抱き締めるとふわりと布団を被せた。
なんともおざなりな作戦のように見えるが、きっと侍女達に気づかれることはない。
この部屋に閉じ込められた私のすることは、窓の外を眺めるか、文字の無い絵本を見つめるか、寝るかくらいしかないのだ。
食器を下げにきた時、私が寝ていたとしてもなんらおかしなことはない。そもそも使用人たちは、私を気遣って声を掛ける…なんてことすらしないだろう。
第一の関門は廊下に見張りが居るか居ないかだ。
ーーーーーキィ。
ゆっくりと扉を開けると小さく軋んだ音が鳴る。
そろりと顔を覗かせると、先日と同様誰の姿も見当たらない。
よし!心の中で歓喜して、するりと部屋を抜け出すと私は中庭へと向かった。
目指すは約束の樹。
しかし、この日もルーカスと出会うことはなかった。
その次の日も、そのまた次の日もーーー。
なんで?どうして?
こんなにも長い期間ルーカスが中庭に来なかったことはない。
急に見張りがいなくなったのはなぜ?
寒いから?監視に飽きたから?……もう必要なくなったから?
ドクリと鼓動が跳ねた。
私が怪我をしたあの日、ルーカスと一緒にいた事を使用人たちやグロリア様が知ってしまった?
彼はこの屋敷から排除されてしまったのかしら。だから居ないの?
私の所為で…。
あんなにも大切そうに庭を作り、楽しそうに植物について語っていた彼から私は奪ってしまったのだ。
『貴女は所詮、傷つけるしか能のない魔女の娘』
『貴女はいずれまた……傷つけるでしょう』
グロリア様の声が脳裏にこびりついてジリジリと私の首を締め付けていく。
「カッ…はっ…はっ…はっ」
呼吸の仕方すら忘れてしまい、苦しくなってベッドに倒れ伏す。
涙は後から後から溢れ出して硬いシーツへと染み込んでいった。




