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「あの、ちょっと…」
その日の夕食を持ってきた侍女に声を掛ける。
相手は心底面倒臭そうに立ち止まってこちらを見た。
「なんです?お嬢様。私は忙しいんですけど?」
「怪我をしてしまって…お医者様を呼んで欲しいの」
「はあ…そうですか」
こちらをじろじろと見回してくる。そんなにじっくりと見なくても、身体中傷だらけなのは一目瞭然だ。
「奥様に報告しておきますよ」
『奥様』という言葉を耳にして、反射的にびくりと体がこわばる。
「ええ、お願いね」
辛うじてそう返した自分を褒めてやりたい。
次の日いつも待ち合わせしている場所に着くと、すでに待っていたらしいルーカスが走り寄ってきた。
「セレスティア!大丈夫か?痛みは?」
「平気よ。あっちこっち痛いけど、歩けないほどじゃないわ」
ルーカスに手を引かれ、座れと言われた木陰に大人しく腰を下ろす。
「医者には見せたか?」
「いえ…まだ……使用人には伝えてるわ」
医者を呼んでくれるかは分からないけれど…。
「なら傷口を見せろ。僕が手当てしてやる」
「あまり痛くしないでよ?」
ルーカスは塗り薬や包帯などをどこからか取り出し、手際良く処置を施してくれた。塗り薬は薬師のお母様が作ったようだ。
傷にはならずに皮膚が変色し、腫れてしまっている箇所には昨日彼が言っていたハップ剤が巻かれた。
ハップ剤の薬は彼が作ったようで得意顔だ。
「セレスティア、昨日はちゃんと診なかったけど、足首も確認するから靴を脱いでくれ」
「……え?」
一瞬、思考がフリーズしてしまった。
靴を脱ぐ?足首を見せる?
……それって、足裏が見えてしまうんじゃないの?
赤褐色に変色した醜い皮膚を思い出す。
いや、だめだめだめだめ!いくらルーカスでもだめよ!
ほら、早く、と言わんばかりにこちらを見つめてくる彼から、ジリリと小さく距離をとる。
「足首は大丈夫よ。全然痛くないし、いつも通り動くし…」
大丈夫!とアピールするために、足首をぐるんぐるんと回して見せた。
「そうか、良かった。念の為の確認だ」
私の想いは彼に届かず、いいから見せろと、じりじり近寄ってくる。
「あの、ほら…淑女は人様に裸足を見せるものじゃないし?」
「言ってる場合か?いいから足を出せ」
「……はい」
繰り広げられる押し問答に負けた私は結局靴を脱ぐことになった。
診察のために私の肌をじーっと眺める彼の動きがぴたりと止まる。
「この傷は……」
「あっ、大丈夫。前怪我したところだし、今は全然痛くないの」
足に触れるルーカスの手に力が入り、ぎゅっと強く掴まれた。
「……ッ、痛いわ」
「あ、悪い。……セレスティア、公爵令嬢の君がなんでこんな傷を?」
「それはーーーーー」
結局私は、ノアとの出逢い、グロリア様のこと、鞭打ちされたこと、追われるようにしてこの別邸にやってきたことを話した。
「あの、ルーカス……?」
彼があまりにも黙ったままなので不安になる。
……もしかして幻滅された?やはり恐ろしい魔女だと、そう思われた?
「君は…君は、悔しくないのか?憎らしく思わないのか?」
「え……?えっと、誰に対して?」
予想外の反応に素っ頓狂な返事を返してしまったかもしれない。
「継母だよ!それに何も知らない弟に、君を見下す使用人たち皆さ!」
まるで怒ったかのように言葉を吐き捨てるルーカスに萎縮してしまう。
「いえ、悪いのは私よ…。私がノアを傷つけて…それで」
「それで?それが鞭を打っていい理由になる?こんな狭い屋敷に閉じ込められた君のことを知らずに、のうのうと庭を散歩する弟が憎くないの?」
「いいの…いいのよ」
悪いのは私だから。悪いのは私…。
そう思わないと全てが許せなくて、視界が真っ黒に染まりそうだった。
だって、私が悪くないのだとしたら、私はなんの為に耐えて、なんの為にここに居るの?
「私は…」
脱いだ靴を拾い上げ、伸ばされたルーカスの手を振り払うと裸足のままに駆け出した。
「ーーーーーセレスティア!」
制止する彼の声に振り返ることもなく、私は逃げ帰るかのようにその場を離れた。
部屋へと戻ると、濡らして固く絞ったタオルで汚れた足裏を拭き、持ち帰った靴をベットの下へと押し込んだ。
と、同時にガチャリと扉が開く。
侍女に続き部屋へと入ってきた人物はグロリア様だ。
「あら…しばらく見ない間に随分と……」
じろじろとこちらを見回す彼女が何を言わんとしているのかは感じ取れる。
走ったばかりで乱れた髪にヨレヨレのドレス。上気した顔はさぞ見苦しく映っていることだろう。
「グロリア様につきましては麗しく…このような手狭な所にどういったご用件でしょうか」
「随分な物言いね。貴女にお医者様をお連れしたのよ?」
そう言ったグロリア様の後ろには人が控えていたようで、初老の男性がスっと姿を現す。
「それにしても…」
彼女はつかつかと私に近づくと、強引に顔を掴みじろじろと眺め回してきた。
「こんなにも見える所に怪我をして…価値が下がるじゃない。マリネル医師!傷が残らないようにしてちょうだい」
「最善を尽くします」
その後私は、医師による処置を施された。
その間もグロリア様は帰ることなく不機嫌そうに手当をされる私を見ている。大きく擦りむけた私の肌が露になると目に見えて眉を顰めた。
派手なドレスで私の部屋の簡素な椅子に座る彼女が滑稽に見えて何だか笑いが込み上げてくる。
「まだまだお若いですから、時間をかけて傷痕は分からなくなっていくでしょう」
「そう、ご苦労様。帰っていいわよ」
マリネル医師と呼ばれた男性は、軽く会釈をして帰っていった。
なぜこの人達は帰らないの?
そう、突然医者を連れてやってきたグロリア様とその侍女は部屋に残ったままだ。
スっと椅子から立ち上がり、再び私の前に寄ってきたグロリア様はその細い右腕を振り上げた。
ーーーーーパンッ!
打たれた左頬がヒリヒリと熱を持つ。
「傷痕の残る怪我を負ってはなりません。いくら醜い魔女の娘といえど、貴女は公爵令嬢。いずれはこの公爵家の為に家を出るのです」
ーーーーーパンッ。
「そのための価値を下げてはなりません」
ーーーーーパンッ。
「いいですね?」
「はい…」
「それと…裏庭に近づくことを禁じます。今後部屋を出る時は必ず許可を取って、使用人を同伴させなさい」
返事をせずにいる私に構わず、侍女を連れて扉へと向かう。黙ったまま俯くこちらに一瞥をくれて、扉は音を立てて閉まった。




