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「ねえ、ルーカス。この凄い匂いのする白い花は何かしら?」
「それはドクダミ。家では虫除けとか虫刺されに使ってるよ。あと、僕が怪我したときに葉を揉んで傷口に付けられたこともあったな」
「この独特の匂いが虫さんも嫌なのかしら?」
「母さんはお茶にもしてた」
「え、これ、食べられる物なの?」
赤紫色の鮮やかな茎に、ハート型の丸みを帯びた可愛らしい葉っぱ。大きく濃い緑の葉の中に白く可憐な花が散りばめられている。
しかし愛らしい見た目に反して、少し近づくだけで何とも言えない香りが鼻を突いた。
眉を顰める私が、何を言わんとしているのか理解したのだろう。ルーカスは苦笑した。
「大丈夫、乾燥させればこの匂いも気にならなくなる」
「植物って面白いわね」
一度ノアの姿を見てから少しだけ心に余裕が出来た私は、こうして彼に植物のことを教えてもらうようになった。
「この伸び切った細ながーい草は何?雑草?抜いた方がいいの?」
猛々しく伸び放題になっている草に手を伸ばす。
「あーっと、待ったー!」
ルーカスが慌てた様子で、伸ばした私の右手首を掴む。
首を傾げて振り返る私に、小さくちぎった平たい葉っぱを差し出してきた。
「匂い嗅いでみて」
言われるままに鼻に近づけると、スーッと爽やかなレモンのような香りがした。
「なんだか落ち着くわ」
「これはレモングラス、雑草じゃないからな!」
「見た目と違って素敵な香りがするのね。どんな使い道があるの?」
期待を込めてルーカスを見る。彼は小さく溜息を吐くと話し出した。
「これは虫除け、その素敵な香りが虫は嫌いなんだ」
「あら、そうなの。虫さんとは気が合わないわね」
「食欲が無いとか、腹が痛いとか、お腹の調子を整えてくれる。ハーブティーがおすすめだ。他の紅茶とも相性がいいからブレンドティーにも向いてる」
「凄いわね」
思わずぱちぱちと拍手をする。
「華の無い見た目だけど凄いんだよ」
「違うわ。貴方が凄いって言ってるのよ」
「へ、僕……?」
きょとんと不思議そうな表情を向けた彼の顔が途端に赤くなっていく。
「いや、家で使っているから知っているだけで…それに全部母さんからの受け売りで……」
まごまごと恥ずかしそうにする様が可愛い……などと口に出してしまうとまた怒られそうなので胸の内に秘めておく事にした。
「なんだよ…そのにやにやとした顔は!」
……内に秘めたつもりが表に出てしまっていたようね。
しかし、凄いと思うのは本当だ。
ルーカスのお母様は街の薬師で、薬草の扱いに長けている。彼は庭師のお父様の手伝いのみならず、お母様の仕事の手伝いもしており、自然と知識を吸収しているようだ。
「本当に感心しているのよ?貴方ほど植物に詳しい人は大人でも中々いないわ。庭師でも薬師でも…他のどんな職業でも貴方なら立派に成し遂げられるわ」
ルーカスは赤くなった顔をさらに耳まで赤くし、
「あー、もう!僕の事はいいから!次は何が気になる!?あのいつも見てる生垣?名前はトキワマンサクって言って……」
その後は、普段よりも早口で捲し立てる彼を微笑ましく見ていた。
ルーカスと出会って幾月か過ぎた大暑の頃、いくら自然の多い中とはいえ、本格的な暑さがジリジリと肌を焼く。
「セレスティア~、そろそろ下りて休憩しろよー」
今日も弟の姿を見る為に木に登っている私にルーカスが声を掛けてきた。
「そうね。今下りるわ」
太い枝に足を掛けて下りていく。と、ふっと気が遠くなるような感覚に襲われ枝を踏み外していた。
ドンッという強い衝撃が背中に走る。同時に頭がぐわんぐわんと揺さぶられ、締め付けられているような気持ちの悪くなる痛みが絶え間なく襲いくる。
「いっっってぇ」
という声が聞こえたかと思うと、柔らかな地面が動く。地面が動く?どうやら私は、人の上に落ちたようだ。
私の身体を強く揺さぶらないようにゆっくりと、私から離れたその人はルーカスだ。
「おい、セレスティア。大丈夫か?」
私の頬に手を当て、顔を覗き込んでいる。私は起き上がる事さえ億劫で、緩慢な動きで瞬きをし、小さな声で応えた。
「大丈夫よ…」
ルーカスの緊迫した表情は少し和らぎ、
「少し待ってろ」
と言うとその場を離れた。
ドッと汗をかいていたようで、風が肌を撫でると涼しい…というよりも寒気が走った。
地面に倒れたまま、一人でいることが心細い。ルーカスはどこに行ったのかしら?
「悪い、待たせた。起き上がれるか?」
「ええ」
ルーカスの手を借りながら上体を起こし、幹に背をつける。
「飲め」
差し出された木製のカップにはスライスされたレモンがぷかぷかと浮かんでいる。
「これは?」
「塩レモンの砂糖漬けだ。近くにある飲料用の井戸ポンプから水は拝借してきた」
コクリと一口飲む。……薄い。
飲み物を飲んでいる間にルーカスは私の身体をぺたぺたと触ってきた。
「ねえ、落ち着かないのだけれど」
「んー?顎は打ってねぇか?顔は少し擦り傷が出来てるな」
「顎は多分ぶつけてないわ。今一番痛いのはこの腕ね」
ズキズキと痛みを訴える右腕を自分の目線まで上げて見ると、皮膚が広範囲に擦りむけて真っ赤になっている。
余計痛くなったわ。見なきゃ良かった。
「足は動くか?頭は痛くないか?」
「足は…大丈夫そう。気分はさっきよりいいわ」
「そうか…」
言いながらルーカスは何か草らしきものを揉んでいる。
「え、なにそれ」
「ん?大丈夫、水を汲んだ時にこれも一緒に洗ってきたから綺麗だ」
「待って、待って…それ、傷に塗るの?もしかしてドクダミ?」
いやよ。だって、あの独特の匂いがすっごーく苦手なの。
「大丈夫、ドクダミじゃない。これはオトギリソウ。切り傷、打ち身に効くし、止血、痛み止めにもなる」
言われてみれば、こんなに近くにあるのにドクダミの香りがしてこない。
「今はとりあえずこれしか出来ないけど、明日、煎液をハップ剤にしてくるよ」
確かにドクダミの匂いはしないけれど…草ァっという匂いが主張してくる。
「ハップ剤?」
「濃く煮出したものを布につけて、患部に巻き付けるんだ」
「ありがとう…」
よく分からないけど…。
「ほんと、ばか…ばーか」
突然暴言を吐かれた。
ムッとして、私の手当てをすすめる彼を見る。
「バカっていう…」
ことないじゃない…と続く言葉が出なかった。ルーカスが酷く苦しそうな顔をしていたからだ。
「ご…ごめん…ごめんなさいいぃ」
きっと、とても心配させたんだわ。『大丈夫か?』と言いながら、私の顔を覗き込んできた彼の顔を思い起こす。
焦燥に駆られる表情で、酷く焦っていた。
「なっ、泣くなよ……僕の、僕の方が怖かったんだからな!」
そう言ったルーカスも大粒の涙でぼろぼろと泣き出していた。
しばらく二人でわんわんと泣いていた私たちが落ち着いた頃には、二人とも目が真っ赤に腫れていた。
「じゃあ、セレスティア…。僕は医者じゃないから傷の手当てしか出来ない。必ず公爵家の医者に見せろよ」
未だにお互い、グズグズと小さく鼻をかみながら言う。
「ええ…本当にありがとう。心配かけてごめんなさい」
お医者様か……。
『心に大きな穴が…』『生涯の鎖に…』
かつての言葉が突き刺さっていく。
ノア…ごめんなさい。私が離れて貴方は傷つくことは無くなったかしら?今でも笑って過ごせているかしら?




