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それから私は度々ノアに会いに行った。
ダリアは嫌な顔をせずに私を迎え入れてくれる。
私がノアのいつもと違う様子に気付くと「ありがとう」とお礼を述べてくれる。そんな人はソフィしかいなかった。
私の屋敷での立ち位置は相変わらずだったけれど、ノアとダリアと過ごす日々は穏やかで、他の使用人やグロリア様に向けられる視線に傷つこうとも彼らの目を逸らさず見返すことが出来た。
以前のように縮みこまって、嵐が去るのを待つ私ではない。
そんな私が気に食わないのだろう。彼らの言葉はより一層鋭利に私の心を抉り取ろうとしていた。
『魔女』
『厄災』
『罪深い』
彼らの発する言葉の真意はよく分からなかったが、私の心は確実に疲弊していった。
けれど、ダリアの穏やかな声色やノアの純粋な笑顔に触れる度に、ああ、私は許されているのだ……と、私の心は砕かれずにいれたのだ。
「すごーい。ノアはもう立ち上がれるのね」
「はい、まだ掴まり立ちで手を離して歩くことは出来ませんがノア様も、もう一歳になりますからね」
「え?」
少しばかり驚きの声をあげた私を、ダリアは笑顔を浮かべたまま首を傾げてこちらを見た。
「……ノア、お誕生日なの?」
「セレスティア様、ご存知なかったのですか?」
今度はダリアが驚いたように目を見開いた。
「……うん」
だって、なんとなく産まれたんだなーって知っただけで、いつ産まれたかなんて詳しくは知らないもの。
「では、お誕生日会をしませんか?」
「お誕生日会?」
ダリアの提案に思わず顔をしかめる。それってパーティってこと?私は今まで社交の場に顔を出したことは無い。
「でも、私お友達もいないし…礼儀作法だって自信ないわ」
「そのように格式張った大きなものではありません。この三人で行いましょう」
「……三人で?」
つまりは、ノアとダリアと私?とっても楽しそう!
「はい、ノア様も離乳食を召し上がるようになりましたし、セレスティア様のお食事もお持ちして…」
「あ、ねえ、ノアの食事ってシェフが作っているのよね?」
「はい、そうですね」
突然の私の質問に不思議そうに目を瞬かせながらも応えてくれる。
「分かったわ。ありがとう」
私は礼を述べると立ち上がった。
「え?お嬢様?」
出口に向かうと、部屋の扉を開けて、廊下に出る手前でくるりと振り返る。
「ダリア、詳しい日時は後日決めましょう。あと、貴女の食事も用意するわ。一緒に食べましょう」
私の提案にぽかんと呆けた顔をしていたダリアだが、我に返るとにこりと笑みを浮かべた。
「はい、かしこまりました」
その笑顔を見て、私はノアの部屋の扉を閉めた。
「シェフ!話があるの!」
「はいはい、話ね。ほら出来た」
扉を開け放ち、開口一番に声をあげた私の話を適当に受け流しながら目の前にコトリと皿を置いてきた。
出来たてで湯気立つそれは食欲唆る香りが立ち上る。
白身魚にトロリとしたソースが乗り、鮮やかなグリーンの焼いたアスパラガスが添えられている。
「うわあー、美味しそう!じゃなくて!」
思わず目を輝かせるが、食べ物に釣られて用件を忘れてる場合じゃない。
「あ?……はいはい」
シェフは今しがた出来上がったメイン料理とスープ、サラダをトレーに乗せると隣の部屋へと歩き出した。
「え、ちょっと、待って」
慌てて追い掛ける。
「ご馳走さまでした」
結局誘惑に負けて目の前の料理をぺろりと平らげてしまった。
「で、話ってなんだ?」
珍しく私が食事をしている間もシェフはこの部屋に留まっていた。
「……今日はお仕事は?」
「ん?…俺だって四六時中働いてるわけじゃねーよ」
そう言って頭をぐしゃぐしゃと撫で回してくる。
「もう!」
いっつも髪をぐちゃぐちゃにするだけで直してくれないんだから。私はぶつくさと文句を言いながら手櫛で髪を整えた。
「……ねえ、ノアの食事もシェフが作ってるんでしょ?」
「ああ、坊っちゃんね。そうだけど?」
「私にも作れるかしら?」
「……はぁ?」
もの凄く不安げな表情を浮かべる。
「まさか、姫さんが作る…とか言い出すんじゃないだろうな?」
「そのまさかよ!」
不安そうなシェフを安心させる為に、精一杯自信ありげに宣言してみせた……が、特に効果はなかったようで、
「ダメだ」
と一言、一蹴されてしまった。
「……なんでよ」
不貞腐れて頬を膨らます。
「貴族の令嬢が料理なんてするもんじゃないだろ」
「今さら…貴族の令嬢らしい振る舞いなんて誰にも期待されてないわ」
気持ちと共に、視線までもどんどん下を向いていく。
「……でも」
私はパッと視線を上げて、シェフの緋色の瞳をじっと見つめた。
「たとえ誰に期待されずとも、私はノアの姉としてありたい」
姉として何をすべきなのか、何が出来るのか分からない。それでも、何かをしたいと、してあげたいと思うのだ。
形だけとは言え、私の誕生日には毎年お父様から贈り物が届く。それが一つの家族の形ならば、私もなぞらえたい。
けれど、私に自由に使えるお金があるのかも知らないし、そもそも物心ついた頃から屋敷を出たこともないのだ。
私がノアに出来ること、与えられるもの。
私が幸せに感じるものをノアにも分け与えたい。それがこの不躾な男が作った料理を食べている時間だといったら目の前の男は笑うだろうか?
私はぐっと拳を握り、目に力を込めてシェフを見た。
彼は暫く見つめ返していたが、諦めたように小さく溜息を吐くと、
「分かった」
と一言、頷いた。
それから私は自分の食事を自分で作るようになった。
と言ってもシェフが隣にいるため、私のする事はお手伝い程度で失敗したことはない。
初めは恐る恐るだった包丁捌きも様になってきたし、一人で竈に火をつけることだって出来るようになった。
一人でお料理出来ちゃうんじゃない!?と思いつつも、シェフが許してくれるはずも無いので、大人しくシェフの監視の下でお手伝いをしている。
「まあ、危なっかしさは落ち着いてきたんじゃねーの?」
というシェフのお墨付きはもらった。
どうにかお誕生日会に間に合ってよかったわ。
「シェフ、本当に、本当に、ありがとう」
素直に礼を述べたが、シェフはまたしても私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回して、
「本番はこれからだろ?礼を言うのはそれからだ」
と生意気な返答をしてにっと笑っていた。




