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「ご馳走様でした」
歩き回った事もあり、いつにも増してお腹が空いていた私はぺろりと完食した。
私には少し高い椅子を飛び降りて厨房を覗くと、男はまだ何やら仕事をしているようだ。
食器を片付けようかと少し迷ったが、慣れない事をして失敗するかもと思い、お言葉に甘えてそのままにすることにした。
「あの…ご馳走様。今日も美味しかったわ」
真剣な面持ちで作業に当たる男に声を掛けることも躊躇われたが、せめて礼儀を尽くさねばと思いお礼を伝える。
こちらをチラリとも見なかっが、どうやら私の声は届いたようで男はひらひらと手を振り返してくれた。
それからも、私付きの侍女は付けられる事がなかった。入れ代わり立ち代わり、毎日違う侍女が来る。
してくれる事といえば、朝の身支度、浴場の準備、シーツの取替えくらいである。
朝の身支度とはいえ、洗顔用の水とタオル、その日の着替えが置いてあり、ほとんど手伝ってはくれない。脱いだ寝間着を回収して洗濯するくらいだ。ソフィのように優しく髪を梳かしてくれるわけでもないので、自分で髪を整える。
浴場も時間になるとお湯が張られている。髪や身体を洗ってくれるでも、傍に控えて見守るでもないので、自分で全てする。寝具は私が部屋にいない間に整えられているようだ。
食事は相変わらず運ばれてこない。一度自分で取りに行ったからだろうか?食事の世話をする必要がないと思われたようだ。
これまで、乳母のソフィがべったりと付いて回っていたので、なんでも一人で行うことが新鮮で、初めこそ気楽さを感じていた。
しかし次第に、物寂しさを感じるようになった。今までは、「ねえ」と一言声をあげれば、微笑みながら「はい」と応えてくれる人が傍にいた。今は他愛もない話でさえ話す相手がいないのだ。
もうすっかり歩き慣れてしまった道を辿る。向かうは厨房である。自分で食事を取りに行くようになって、そろそろ一週間を過ぎる頃か。
扉の向こうにはいつも通り、シェフが一人、料理の仕込みと言うものをしていた。
「いつも一人なのね…」
「ああ、他のコックなら普段は宿舎の方だ。ここではグリーンフィル家の人間の飯の用意をしてる。たったの三人分だ。俺一人で十分だろ」
「ふーん」
それにしては、とっても広い厨房なのよね。私は改めてぐるりと厨房を見回した。
「そんなことより姫さん、今日も自分で取りに来たのか?」
「そうよ…」
通常、貴族が厨房まで料理を取りにくることなどない。しかし、ここに来なければ食事にありつけないのだから仕方がないのだ。
「もっと、ガッと強く言ってやれ」
「ガッ……?」
「なんであれ姫さんは公爵令嬢。この屋敷で偉いヤツなんだ。強気に自分の意見を通していけ」
「そう…よね」
そうよね。この屋敷で私より偉い人なんてお父様しかいないわ。人の目を気にして縮こまる必要なんてないわ。
もっと、自分の我儘を通してもいいのよね…。
「シェフ…私と一緒に朝食を食べなさい!」
「それは駄目だ」
「なんでよ!」
「俺はまだ仕事がある。そもそも使用人が姫さんと食事を共にするわけにいかないだろ」
自分の意見を通せとか言ったくせに、全く私の意見を通す気が無い。
彼はふーと息を吐くと呆れた目を向けてきた。
「大体俺は食い終わってる」
「ならもっと早起きするわ」
私は食い下がろうとしたが、はいはいと軽く流された。彼はそのまま私の朝食を持つと歩き出す。
「ほら姫さん、飯の時間だ。どうせ今日もここで食べるんだろ?」
運ばれていく料理を追い掛けて椅子に座ると、目の前に置いてくれる。あれ以来、彼の仕事部屋は私の食事場所になっていた。
勿論その間、シェフはソフィのように片時も目を離さずに見ているわけではない。彼は厨房に戻り仕事をしているので、結果的には一人で食べている。
それでもこの時間は私にとって特別な一時になっていた。
それから幾月かが過ぎ、無事グロリア様が出産されたとの話を耳にした。それから一月程、経っただろうか?しかし、これも使用人達のお喋りから知っただけで、直接誰かから聞いたわけではない。
一応私の弟よね……。
「家族なのに…」
ぽつりと思わず零れた自分の言葉に視界が滲む。
『強気に自分の意見を通していけ』
シェフにそう言われたのが遠い昔のように感じる。
それでもその言葉は、確かに私の中で輝きを放っていた。
「よし、弟に会いに行こう」
自分に気合いを入れるために口に出す。
今ではあっちこっち歩き回ってどの階にどういう部屋があるのかは知っている。
確か三階に数ヶ月前から調度品を新調している部屋があった。おそらくそこだ。
服装は変じゃないかしら?
改めて自分の姿を見る。
うーん。初めて弟と会うのよね。弟は服装なんて別に見てないだろうし、忘れちゃうだろうけど……。
大きなクローゼットからリボンの付いた大きな箱を引き摺り出す。お父様から誕生日プレゼントで貰ったドレス一式。
一度中身を見ただけで袖を通していない。去年貰ったからまだ入るはずだ。
去年の白露の頃。
そういえば、ソフィと過ごした最後の誕生日。それから一ヶ月もせずにソフィはこの屋敷を去った……。
『ねえ、ソフィ今年もお誕生日に贈り物が届いたわ』
大きな箱に近づくと、リボンにカードが挟まれていた。
『このカードは何?』
『それはメッセージカードですね。プレゼントを送る時に気持ちとして付けるんですよ。中のメッセージは今度読み方を教えますね』
『ふーん、何が書いてあるんだろ』
何気なくカードをひらひらと動かしながらぼんやりと眺めていると、ふと見慣れた単語が目に付いた。
これは、ソフィに教えて貰ったわ。セレスティア・グリーンフィル。私の名前…。
そして、カードの最後にもグリーンフィルと書かれている文字が見えた。
ーーーーーー私と同じ名前の人。
つまりはお父様!?
頬にかあっと熱が集り、赤くなるのが分かる。
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
これまでの贈り物もお父様から?
ちゃんと私はお父様の子どもなんだ。お父様から愛されているんだ。
『ねえ、ソフィ。グリーンフィルからって書かれているわ。これってお父様からのプレゼントなのかしら』
ソフィは一瞬考えるかのように押し黙った後に、
『ええ、そうですよ』
とにこやかに微笑んだ。
『私、お父様にお礼を述べてくるわ』
ソフィの返事を聞くや否や、パッと部屋を飛び出した。
早くお父様に会いたい。
お父様の執務室の扉をノックする。
屋敷にいるならきっとここに居るはずだ。
『…誰だ』
中からくぐもった声がした。
『お父様、私です。セレスティアです』
『…なんだ』
『その、お礼を言いたくて』
『…お礼?』
『はい、お父様。素敵なドレスをありがとうございます』
『ドレス……?』
少しの沈黙に心臓がバクバクと脈打つ。
『なんのことだ……?』
続く言葉に私の心は打ち砕かれた。すうっと指先が冷えていくのを感じる。
『あの、お誕生日の…あぁ、いえ、なんでもありません。お時間を取らせて申し訳ありません』
『……誕生日だったか、気に入ったならいい』
ああ、そうか、お父様は私の誕生日すら覚えていないんだわ。
『…失礼致します』
私は踵を返し、部屋へと戻った。
誕生日だろうと扉越しの会話。顔を合わせることもない。
公爵家の体裁を保つ為に贈られる品。お父様は中身を見てすらいないんだわ。
メッセージカードは店の者の配慮かしら?笑えるわ。血の繋がった家族からは祝福の言葉すら貰えないのに…。
部屋に帰るとぽろぽろと涙が溢れて止まらなくなった。
ソフィはおろおろと慌てて、あれやこれやと気を使ってくれた。
『お嬢様、甘い物を召し上がりませんか?』
『…いらない。食欲はないの』
しばらくして、ソフィが紅茶を運んできた。
『いらないって言ったのに…』
ぶつくさと文句を言いながら席に着く。
『まあまあ、気分が落ち着きますから』
ソフィは言いながらテキパキと手を動かす。
橙赤色の水面を揺らす紅茶に、ソフィがトロリと飴色に輝く蜜のようなものを入れた。
『さあ、どうぞ』
差し出されたカップを手に取るとふわりと甘く優しい香りが掠めた。カップを覗くと小さな花弁がゆらゆらと揺れている。
『…美味しい』
ぽつりと零れた言葉にソフィが優しく微笑んでいた。




