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ソフィがいなくなって、私は屋敷内でより孤立していった。まず、食事が届かないのである。

私の身の回りの世話も、乳母であるソフィが全て担ってきた。

どうやらそれを引き継ぐ使用人すらいないようだ。


待てど暮らせど食事は来ない。ついには腹の虫さえ空腹を訴えだしてきた。

これ以上待っていても仕方がない。

私は部屋を抜け出して、自分で食べ物を探すことにした。



しかし、私のこれまでの行動範囲は決して広くなく、自室、中庭、浴場くらいしか思い浮かばない。

食事は部屋にソフィが運んでくるし、御手洗は部屋に備え付けがある。外出はもっぱら中庭だ。


「食べ物ってどこにあるのかしら?」

匂いを辿ればあるいは……。いえいえ、現実的じゃないわ。



ふと、すれ違った侍女に声を掛けようと呼び止める。

「ねえ…」

「はい?」

侍女は振り返り、私を視界に止めると眉をひそめた。

「なんでしょうか?」


言え、言うのよ、私。聞くだけじゃない。

食べ物はどこ?それだけ、一言だけ……。

しかし、私の声は喉をひゅーひゅーと抜けていくだけ。

不快感を(あらわ)にこちらを見る目が恐ろしく、相手の目を見返すことすらできない。


ーーーーーはあぁ。

ついには露骨に大きな溜息を吐いた。思わずビクリと肩が震える。そんな私を冷ややかな目で見下ろし、

「……では」

侍女はそれだけ告げるとその場をさっさと後にして居なくなってしまった。



私はその場にへたりこんで呼吸を整える。

怖い怖い怖い怖い怖い……。

どうしてあんな目で見るの?じわりと視界が滲む。


しかし、いつまでも座り込んでいようともお腹は膨れない。

よろよろと立ち上がり、歩き始めた。

人に聞くなんて無理よ。虱潰(しらみつぶ)しに探すしかないわ。



どれくらい歩き回っただろうか?

時計の持ち合わせもないので正確な時間は分からない。

いい加減私のお腹も限界だ。足も痛くなってきた。

そんな満身創痍な私の鼻腔を芳ばしい香りがくすぐった。


見つけた!

他の部屋とは違い、美しい装飾などは施されていないシンプルな両開きの扉を開け放つ。

中は想像よりも広く、いくつかのカウンターが置かれていた。


一面は煉瓦(レンガ)が敷き詰められ、石造りの壁に囲まれている。普段目にする白塗りのつるりとした壁とは違う。ちょっと触るとザラりとした感触が指先に伝わってきた。

目線を向ければ、壁には整然と大小様々な銅製の鍋やフライパンが並べられている。それらの器具は丁寧に磨き上げれており、赤銅(しゃくどう)色の輝きを放っていた。


正面には一際大きなカウンターがあり、そこにはこちらに背を向けるようにして立っている人物がいた。

清潔な白いコックコートを身にまとった男が一人。白銀の髪は褐色の肌に(まぶ)しいほど映えている。



「ん?」

当然こちらに気づいた男が振り返る。

「おや、鼠でも入り込んだかと思えば、うちの姫さんじゃないか?」

屋敷の令嬢に対して失礼千万な物言いだが、胸を苦しくさせるような威圧感はない。その表情は意地悪く歪められることはなく、ただ思ったことを口にしただけという風に飄々(ひょうひょう)としている。


「えっと、貴方は?」

「俺?一応この屋敷のシェフだよ」

「シェフ…?」

「んー…統括料理長?余計分からないか?」

一度振り返っただけで男の視線は再び手元に移っていた。

こちらを見もせずに返答する様は、不躾に思えたが私にはそれがとても楽で心地好いものに思えた。


つまりは料理を作る人ということよね。

「あの、食事は…どこかしら?」

「ああ、そうか。ソフィの姉さん居なくなったんだったな」

他の人の口からソフィがいないという事実が零れることに、胸がズンと重くなる。


落ち込む私に気づきもせず、男はカウンターの一つを指差す。

スープにサラダにパン、グリルチキンなど普段私が取っている食事と変わらないものが置いてあった。

「ほれ、食べていいぞ。遅いから冷めてしまったが、味は俺が保証する」


「貴方が作ったの?」

「ああ、いつも俺が作ってるよ」

「そう、いつもありがとう。とても美味しいわ」

男は振り返り、初めて私の顔をじっと見た。


私の赤い眼とは違う、温かみのある朱色の瞳。遠目にチラリと顔を見ただけの白髪(はくはつ)の男だったため、もっと年嵩(としかさ)の男性かと思ったが、その声音は若々しく、青年と呼ぶに相応しいほどの年齢に思えた。


私の顔を見て、他の使用人達のように冷たく見下げた物言いをされるのかと、思わず身構える。

しかし、男は歯を見せて、にかっとはにかんだ。

何やら作業をしていたらしい濡れた手を、白いタオルで拭いて近づいてくる。


「姫さんはいい子だな」

そう言って、大きな手でぐしゃぐしゃと乱雑に私の頭を撫で回してきた。私は思いがけないことに呆然とする。

「姫さん、ちゃんと俺が作ったメシ食ってるか?思ったよりチビだな」

「失礼ね。チビじゃないわよ」

その後に続く無作法な言葉に我に返った。


「まあ、食ってるならいいや。それじゃあ、持って行ってくれ」

男はひらひらと手を振り、丁寧に手を洗うと再び作業に戻った。

「あの、ここで食べたらダメかしら?」

おずおずと男に尋ねる。



あの量の食事を持って歩くのは大変だし、なによりもうお腹が空いたのだ。早く食べたい。

「駄目だ。ここには色々と仕事道具があって、子供には危ないんだ」

「私大人しく出来るわ。それに子供じゃないもの」

自分でも我儘を言っていることは分かっているため、誤魔化すかのように頬を膨らませる。


いけない、いけない。

これじゃあ、余計に子供っぽいわ。自分の頬を撫でてキリリと表情を引き締めて見せた。

男はそんな私を見て、フッと余裕の笑みを浮かべる。……腹ただしいわ。



「分かった…。でもここでは駄目だ」

「え…」

往生際悪く、屁理屈をこねようとした私を制するよに言葉を続ける。


「隣の部屋を使え。俺の仕事部屋だ。汚すなよ?」

「当然よ」

「俺はまだ仕事がある。一人で食うことになるが、なにも触るな」

「……分かったわ」

ちょっと自信ない……。


「俺は姫さんを信用して一人にするんだ。いいな」

念を押すかのように続く言葉に私は俯いていた顔を上げる。

信用してるなんて初めて言われた…。他の人達には勿論期待すらされたことは無いし、ソフィは過保護に私が一人でしようとすることを止めていた。

「任せて頂戴!」

初めて向けられた言葉に胸を弾ませて返事をする。



「食べ終わったら部屋に帰れよ。食べた後の食器はそのままでいい」

一人にするとは言ったが、私を部屋に案内すると同時に料理も運んでくれた。

案内するといっても、部屋は厨房と繋がっており、廊下に出る必要性もない。


通された部屋は、一目で全てを見渡せるほどの狭い部屋で、一面の壁は棚になっており、本がぎっしりと詰め込まれていた。

ふとすると息が詰まりそうな圧迫感があるが、正面には大きめの窓があり、そこには青々とした葉に橙の可愛らしい花弁を着飾った樹木が見える。


「本が沢山あるのね…」

「ああ、ほとんどが料理に関するものだ」

独り言のように零した言葉を拾い上げてくれる。

私は窓辺に寄り、外を眺めた。部屋に入った時から感じていた甘く柔らかな香りが強くなる。

厨房は一階に位置するため地面が近い。ふと、見下ろした地面は樹木の花弁が落ちたのだろう。一面が鮮やかな緋色に染め上げられていた。


「あんまりうろちょろするなよ」

男は言うと片手に持っていた料理をトレーごとテーブルに置く。

「…うん」

適当に相槌を打ちながら、窓枠に乗った小さな橙の花を摘んで顔に近づけた。

どうやらこの部屋の甘い香りはこの花から薫っているようだ。



「ねえ、これなんて花?」

「ああ、外にある木なら金木犀(キンモクセイ)だ」

光に透かすと飴色に輝く花弁を見つめる。

「貴方の瞳と同じ色ね」

男は一瞬驚いた様に見えたが、すぐに先程と変わらぬ表情になり、

「いいから、早く食べろ」

と呆れた様に言い放った。



「……ありがとう」

私は大人しく窓から離れて席に着くと料理を口に運ぶ。

……美味しい!!

声には出さなかったが、空腹で食べ物を待ち構えていた私のお腹にスープが染み渡り、自分でも顔が綻ぶのが分かる。


再び大きな手が私の髪をくしゃくしゃにした。

「残さず食えよ」

そう言い残すと男は厨房へと戻って行った。

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