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シェルが怒りのままに走り去ったあの日以来、シェルと再び会えなくなるのでは?と不安になりながらも俺は中庭を訪れていた。


しかし、その心配は杞憂に終わり、

「シェル……?」

と恐る恐る声を掛けた俺の目の前にシェルはひょこりと姿を現した。



唇を尖らせてムスッと不機嫌な表情のまま隣へとやって来てちょこんと木陰へ腰掛けた。

無言のままに地面を手のひらでトントンと叩く。座れということだろうか?


機嫌は直らないままだが、会ってくれて良かった。俺は安堵して、大人しくシェルの横に座る。

シェルの膝には(くだん)の本が抱えられていた。

黙ったままでいるシェルにおずおずと声を掛ける。


「シェルこの前はごめんね…?その本は知り合いが…俺の女家庭教師(ガヴァネス)がとても大切にしていた物だから気になったんだ。なんの本なのか聞いてもいい?」


シェルはぎゅうっと強く本を抱き締めた。

「……お母様の日記よ」

え、母というと、グロリアではなく、シェルのお母さんということか?何故それをオリーブが?


「えっと、中身はもう読んだの?」

とりあえず何か言葉を続けなければと思い、俺はシェルに問いかけた。


シェルがぽそりと何かを呟く。

「え…?」

聞き直すかのように声を上げると、再度ボソボソと何か言葉を発した。

「シェル、聞こえないよ」

観念してハッキリと問い掛けると、シェルは立ち上がり怒鳴るかのように大きな声を発した。



「……読めないの!私は文字が読めないのよ!!」

顔を赤らめて、肩で息をしている。余程恥ずかしかったのだろう。

「ご、ごめんシェル。とりあえず、落ち着いて。座って?」

場の空気が悪くなると、すぐに謝ってしまうのは日本人の悪い癖とも言うが、この場では功を奏したようで、シェルは大人しくその場にストンと腰を下ろした。


「あ、この前怒ったのも、文字が読めないのが恥ずかしかったから、とか?」

前回突然怒り出したことを不思議に思っていたが、ピンときて思わず口を()いて出た。しまったと思い、シェルを見やると案の定こちらをじろりと睨みつけていた。


「そうよ。……文字も読めない癖に本を持っているなんてと、馬鹿にされた気がしたの」

どんどん不機嫌になっていく姉の表情に慌てた俺はペラペラと調子良く口が動く。


「あ、じゃあ、俺が読んであげようか?」

しかし、その提案にシェルが喜ぶ訳もなく、より一層、(いかめ)しい表情になり眉間の皺が深くなる。

今のは言葉の選択をミスった……。


そりゃあ、微妙な立ち位置の弟に大切な母の日記なんて読んで欲しくないよな。

「いや、そうじゃなくて…シェルが読めるように手伝おうか?」

「手伝う…?」

「うん。俺がシェルに文字を教えるよ」



シェルが俺の顔をまじまじと見つめてくる。

……この発言も失敗か?

笑顔を取り繕って次の手を考える。そんな俺を凝視していたシェルの紅い瞳が煌めいた。

「ーーーーー本当?」

驚きと喜びの入り交じった表情で、その瞳は期待に満ちていた。


「うん、上手く教えられる自信はないけど、シェルが自分の力でお母さんの日記を読める手伝いをさせて欲しい」

日本語が出来るからと言って、人に日本語を教えられる訳ではない。それでも俺にはよい先生が付いているわけだし、ついこの間までは自分が習っていたんだ。

俺でもシェルの力になれるはずだ。


「ノア、ありがとう」

シェルは俺に抱き着き、ぎゅーと強く抱き締めてきた。

いくら九歳のか弱い女の子とはいえ、まだ幼い俺にとっては中々に苦しい。

しかし、瞳を潤ませながらありがとう、ありがとうと呟く姉を振り払うことは出来なかった。




とりあえずこの日は、文字を教える準備をするからと言って早めに帰ることにした。

シェルは珍しく素直にコクコクと頷き、またねとにこやかに手を振った。


おお、なんだか順調じゃないか?

初めは自分の為にまともな性格に矯正してやろうと思っていたが、今では姉を不憫な境遇から抜け出させてやりたいと思っている。


そう言えば、シェルに女家庭教師(ガヴァネス)を付けていないと、あの悪夢のような食事の日に両親が話していた気がする。

この国の識字率は知らないが、貴族の令嬢に対する待遇にしてはあんまりではないか?


あれから父とは特に関わってもいないが、シェルの様子を多少なりとも気にしていたような気がする……。

今度直談判でシェルの女家庭教師(ガヴァネス)を頼んでみよう……。

一先(ひとま)ず、シェルの今の状況をどう思っているのか問い詰めてやろうか。


そもそも、貴族だからって親としての責任を放棄し過ぎじゃないか?俺は思い出したかのように、ふつふつと怒りが湧いてきた。



考え事をしながら歩いていた俺は、いつ間にか自室の扉の前まで帰ってきていた。

ノックをするでもなく、普段通りに扉を開ける。

ちらりとこちらに一瞥をくれたオリーブは本を読んでいたようだ。


栞を挟み、静かに立ち上がると礼儀正しく挨拶を述べる。

「おかえりなさいませ、公子様。本日もお早いおかえりですね」


「オリーブ、助けて欲しいことがある」

間髪入れずにそう伝えると、彼女は不意のことに目を(しばたた)かせたのちに薄く微笑んだ。

「かしこまりました。私でお力になれる事ならばなんなりと」


今度は俺の方が面食らって目を見開いた。

「……要件を聞かないのか?」

いくら何でも向こう見ずというか…俺を信用し過ぎでは?


「はい、公子様のおっしゃることですから、セレスティア様の事では?」

いや、まあ、うん、そうなんだけど…。まあ、話が早くていいや。

「実は、シェルに文字を教えたいんだ」

(はな)からオリーブに頼る気満々である。


「お嬢様は読み書きが出来ないのですか?」

オリーブは訝しげに眉を寄せた。

「そうらしい、女家庭教師(ガヴァネス)がいないようなんだ」

「良家のご令嬢としては、おかしいですね…」

顎に指の甲を当て、少し考えるような仕草をしたのちにパッと顔をあげた。



「かしこまりました。この件は全て私にお任せください」

「え?」

オリーブにアドバイスをもらいながらシェルに教えていくつもりだったが、彼女は別になにか考えがあるらしい。

彼女なら少なからず良い方向に進めてくれるはずだ。オリーブが俺を信用してくれているように、俺も彼女に信頼を寄せている。


「分かった。シェルの事をお願いします」

俺は目線を下げ、スっと腰を屈めて礼意を表した。

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