14
その日は久しぶりに夢を見た。
前世の夢を見るのは、この異世界にやってきてから始めての事だった。
そこは真っ白な空間だった。
カーテンレールの仕切りに囲まれ、ベッドがポツリと一つ置いてある。窓際なのだろう。開け放たれた窓からは爽やかな風が吹いてくるようだ。
ベッドの横に据えられている床頭台には、シンプルな花瓶に綺麗な花が生けられている。
ベッドに眠る人物は人工呼吸器を取り付けられ、身体中に包帯が巻かれている為その顔は判別できない。
ベッドサイドモニタから流れる機械音だけが部屋に響いていた。
しかし、俺にはその人物が何者なのか、分かってしまった。彼は……
ーーーーー俺だ。
これは、前世の俺の姿だろうか?事故後の俺はこんな状態だったのか?
今まで歩んできたノアとしての人生は夢だったのだろうか?
俺は晃としての人生を再び歩き出すことができるのか?
「晃…ごめんね。ごめん」
ふと、謝る声が聞こえた。ベッドの横に置かれた丸椅子に女性が座っている。謝罪する女性は前世での姉である。
小さな身体を更に小さく丸めて、自身の顔を手の平で覆っている。
ーーーーー姉ちゃん、もう泣かないでよ。
その肩に触れようとして、俺にはその手すら、身体がないことに気づく。そうか、目の前で眠るこの包帯男が俺なのだから、それを見ている俺は意識だけ外側にいるということなのか?
晃でも、ノアでも、涙を流す家族一人慰められないんて皮肉だな。憐れな自分に嘲笑がこぼれる。
「晃…起きてよ。もうご馳走…冷めちゃったよ」
姉は声を詰まらせながら話し始めた。
「晃…お父さんから誕生日のお小遣いもらって……私にプレゼント買ってくれたんでしょう?私もね…お父さんからお金、送られてたの……二人で美味しいもの食べろって…それでね、私…シャンパン買ってたんだ……。晃は真面目だから、成人するまでお酒も飲んでないよね?」
そこで一呼吸置いて、姉は顔をあげた。
「晃、二十歳の誕生日おめでとう。帰ったら一緒にお酒を飲もう。だから、はやく帰ってこい」
そう泣き腫らした顔の姉は精一杯の笑顔を作っていた。
俺は、姉にどれほどの思いをさせてきたのだろうか。
ふと、姉の隣に男性が立っていた。俺たち姉弟の父である。
いつの間にか姉の服装も変わっている。別の日だろうか?
「二人ともすまない。不甲斐ない父ですまない。いつも傍にいてやれなくてすまない」
姉はぼろぼろと涙を流しながら首を左右に振っている。父が姉の両肩を掴み、俯く顔をまっすぐに見つめた。
「小百合、これ以上自分を責めないでくれ……晃もお前も俺の大切な家族なんだ。これ以上家族の苦しむ様は見たくない」
父親の泣く姿を初めて見た。こんなにも小さな人だっただろうか?
姉の肩から手を離し、グッと握り締めた拳は震えていた。
あぁ、そうか。晃の戻る世界はもうないのだと悟ってしまった。
動かぬ自分の身体をじっと見つめる。……この身体はもう長く持たないのだろう。
ーーーーー父さん、姉ちゃん、沢山泣かせてしまってごめん。
こんなにも愛してくれてありがとう。
二人の元には戻れないけど、二人が家族で幸せだったよ。
俺は新しい家族を大切にする。もう家族を泣かせたりしないよ。
だから二人とも笑ってくれ……。
そして、俺は目覚めた。
大人でも十分過ぎる広さのベッドにふかふかの枕、羽毛布団。シーツもカバーもつるつると肌触りの良い高級品だ。
三歳の誕生日を迎えてから、ダリアは別室である。
……長い夢を見ていた気がする。
ふと、肌が突っ張るような感覚があり、頬を触ると僅かに濡れたような跡があった。
夢を見て泣いていたようだな……。袖で乱暴に拭いとる。
ベッドサイドワゴンに手を伸ばし、カチリとランプの明かりを灯した。
ワゴンの上には、俺の上着が丁寧に折り畳まれて置かれていた。
これは、シェルに渡したやつか?俺は上着にそっと手を置いた。
わざわざシェルが俺に持ってくるはずはないだろうから使用人に届けさせたのだろう。
ーーーーーシェルもう少し待っていてくれ。
翌週からオリーブとの授業が再開した。
公爵家で力を持つには、まずは知識を身につけなければならない。これまで以上に勉学に時間を割かなければ……。
俺は取り憑かれたかのように机に齧りついた。
ダリアには体を壊さないか?と心配されたが、これ以上シェルを待たせられない。
しかし、シェルに会うための時間も確保したい。難しいな……。
「あの…先生……」
適当な理由をつけて講義に自由な時間をもらう。
この方法もいつまでもつだろうか。そろそろ別な手段も考えなくてはならないな。目標は、そんな事を考えずに堂々と会えることだが……。
ダリアに協力を仰ぐのが一番理に適っているが、俺とシェルが会うための協力をしたと母が知ればダリアに何かしらの処罰が下るかもしれない……。
考えながら別邸を目指して走る。
毎週のように抜け出しては人に見つからぬよう中庭に向かい、また時間内に戻れるように走っているため、身体も身軽になってきた気がする。
シェルの部屋の場所は分かったが、いくら姉弟とはいえ、女の子の部屋にそう何度もズカズカ入るものではないだろうから俺はいつも中庭でシェルを探していた。
探すと言っても、あの日以来シェルは大人しく姿を現すようになったため、名前を呼べば直ぐに会えるようになった。
「シェルーー」
俺が声をあげれば木陰からひょこりと顔を覗かせる。
「ノア…お疲れ様」
これまでのような凄烈さは影を潜めた。
あの頃のように穏やかなシェル…にはまだ遠く、どこかぎこちなさがあるが、今ではぽつりぽつりとお互いの話をしている。
シェルの話によると、俺のあの亜脱臼事件からシェルが責任を負い、別邸に追いやられたらしい。
別邸の屋敷内は息が詰まるため、よく中庭に訪れるようになったそうだ。木に登っていたのは、俺とダリアの姿が見えるかもと思ったのがきっかけらしい。
これまでも使用人達は冷たかったが、別邸にきてからは顕著になり、段々と俺の事が憎く思えてきたようだ。
どこにも向けることの出来ない精神的な負荷がシェルを追い詰めていったのだろう。
「ノア…貴方は何も悪くないのに、ごめんなさい」
シェルは膝の上で拳をぎゅっと握り締め、俯いたまま顔を上げない。
「シェル…俺の方こそ気づかずにごめん。だから泣かないでくれ」
「泣いてないわよ!ばーか」
顔をバッと上げたシェルの赤い瞳は潤んでいたが、涙は零れ落ちていなかった。
はははっと笑い合う。
再開した時には、シェルと再び笑い合える日が来るとは思わなかった。しかし、
ーーーーー口の悪さは残ってしまったな。