13
とりあえず、闇雲に探そうとしていた俺は僥倖に巡り合った。
侍女達が目の前を歩いていたのである。
ーーーーーやった!
彼女たちにシェルの居場所を聞こう。
目の前を歩く侍女は二人。一人はトレーの上に食事を乗せているようだ。
恐らく父が言っていた、消化にいいもの、ということだろう。
つまり、彼女たちは今からシェルの元に向かうはずだ。
流石俺。普段の行いが良い証拠に違いない。
二人はボソボソとなにやら話しながら歩いているようだ。
その時、”魔女”という単語が耳を掠め、俺は歩みを止めた。
ーーーーー魔女?
俺は一度その単語を耳にした事がある。
『悍ましい魔女の娘め』
あれは、グロリアからシェルに向けられた言葉だった。
その時の母の敵意に満ちた瞳を覚えている。
俺は彼女たちにバレないよう、ゆっくりと足音を立てずに後ろを歩く事にした。
最初はボソボソと小さな声で話していた彼女たちも、次第に感情的になってきたのかその声は大きくなっていく。
もはや内緒話とは言えまい。俺にとっては都合の良い話だ。
「あぁ、恐ろしい。どうして私達が魔女の世話なんて、私も本邸に勤めたいわ」
「本当よね。人形のように反応もなくて、嫌がらせにも気づいているのかしら?」
「それにあの黒髪、真っ黒に塗りつぶされた暗闇のようで恐ろしい」
「何よりあの赤い目よ。生まれながらにして親殺し……私たちもいつか呪い殺されるかも」
「まあ、でも、いくら宝石を盗んだところで何も咎められないし……」
「それくらいしなきゃやってられないわ」
彼女たちはクスクスと笑い出す。
悪意を持って紡がれていく言葉一つ一つが脳天に突き刺さっていく。
人形、嫌がらせ、黒髪、赤い目、呪い、盗み……。
ーーーーー”親殺し”
なんなんだ。なんなんだ。なんなんだ。
色々な感情が入り交じり、腸がグツグツと煮え返りそうに熱い。
思わず飛び出して問い詰めてやりたくなる。
掴みかかりそうになる感情を律し、そのまま彼女たちの後をついて行くことにした。
暫くして、彼女たちは一室の前で歩みを止めた。
これだけ沢山の部屋があって、こんな奥まった角部屋が公爵令嬢の部屋なのか?
二人はノックもせずに扉を開ける。
俺は小走りに近寄り、扉の外側に張り付いた。
部屋から出てくる時にバレるだろうか?
いや、バレてもいい。ここは俺の家だ。
それでも構わないと思いながらも、俺の心臓は早鐘のようにバクバクと脈打っていた。
適当に扱われた扉はしっかりと閉まっておらず、半開きの状態だ。
くぐもってはいるが、中でのやり取りは十分に聞こえてくる。
「お嬢様入りますね〜」
声と同時にガチャンとトレーの置かれる音がする。
入る前に声を掛けろ!物音を立てるな!まともな言葉を使え!
これが本当に公爵家の侍女か?
俺はイライラを募らせながらも中の様子を探ろうと耳を澄ませる。
「ちゃんと食べてくださいね。食器を下げにきますから」
それだけ伝えるとトタトタと足音が近づいてくる。
足音を立てるなーーー!
ギィと扉が動いた。やば、少し離れるか。
俺は軽く身を捩らせて扉と距離をとる。
バレるか?俺は部屋から出てくる彼女たちをじっと見つめていた。
しかし、俺の心配を余所に彼女たちは後ろ手で扉を閉めると、振り返ることなく廊下を去っていった。
俺は彼女たちの後ろ姿を見つめながら、親指を立て首を切るサインを取る。アイツらは確実にこれだ。
「シェル…入るよ」
ゆっくりと扉を開け、俺は部屋に一歩足を踏み入れた。
新緑の広がる立夏の候。
緑は濃く、強い陽射しに空気をも焼かれ熱がこもる。
しかし、部屋はひんやりと幾度か温度が下がったように感じた。部屋は薄暗く、気持ち程度のランプが淡く光を漏らしている。小さく開かれた片開きの窓からも十分な光は入ってきていない。北向きの部屋なのか?
そろそろと部屋を突き進む度に、床はギシギシと小さく軋んだ音を響かせる。
進んだ先の椅子にポツリとシェルは座っていた。
目に映ったのは、ベッド、机、椅子、女性らしく大きなクローゼットにドレッサー……それだけだった。
しかし、それだけでこのこじんまりとした部屋はいっぱいである。俺の部屋より小さいじゃないか。
椅子にぼーっと腰掛けるシェルの瞳に光はなく、まさに人形のようだった。
「シェル……?シェル!」
俺は彼女の細い肩を掴み揺さぶる。
徐々に彼女の焦点が合い、その瞳が俺を捉えた。
「……ノア?」
途端にその瞳に光が宿り、俺の手を振り払った。
「触らないで!!」
燃えるように赤い瞳で俺を睨みつける。
「なによ。わざわざ馬鹿にしに来たのかしら?公子様は随分と暇を持て余しているようね!」
いつも通りの罵声。
しかし、それが虚勢に過ぎない事を知ってしまった。
「……シェル、ごめん」
何も言葉が浮かばない。ごめんごめんと呪文のように呟いた。
「はぁ!?なんで…貴方が……謝って……なんで」
瞳を潤ませ、肩が震え出す。
俺は羽織っていたジャケットを脱ぎ、涙を覆い隠すようにシェルの頭に被せた。
「馬鹿みたいでしょう?……卑しい身分なのも私。公爵家に相応しくないのも私。父に愛されていないのも、義母に蔑まれているのも、使用人に馬鹿にされているのも知ってるわ。私の事を知れば、ノア…貴方だって離れていく」
「もういい、もういいんだよ。シェル」
ぽつりぽつりと言葉を吐き出す彼女に、これ以上自分を傷つけて欲しくなかった。
何が、悪役令嬢だ!悍ましい魔女の娘だ!まだほんの幼い女の子じゃないか。自分の身を守る術もない少女が人の悪意に晒され、それでも聖女のように、にこにこ笑っていろとでも?そんなの馬鹿げてる。
彼女は茨のように棘で身を覆い、人を傷つけることでしか自分を守ることが出来なかったんだ。
それのどこに罪があるというのだろうか。
「シェル…俺はまた来るよ。必ず会いに来る」
シェルは俯いたまま、俺の服に隠されたその表情は見えない。しかし、『もう来るな!』と続くいつもの罵声は聞こえなかった。
シェルごめん。今度は俺が君を守るよ。
この家で力をつける。誰にも文句を言わせない。