12
父がいつ来るのか明確な日付を知らされないまま日は過ぎた。
だからといって暇を持て余している訳ではない。
「ノア様、テーブルマナーはクレバリー夫人から教わりましたか?」
「えっと、知識だけなら……」
いつも自室でのんびり自分のペースで食事をしている為、実践では行っていない。
「では、復習しましょう。私も準貴族なので、一般的な教養はあるんですよ」
ダリアがにこりと笑う。
俺は、目の前に準備されたカトラリーを見つめる。
えーと、外側から使用していって、スープ以外はナイフとフォークをセットに取って……。ナプキンを使う時は内側で口元を拭いて、汚れは外側に見えないように……。スープは手前から奥へ音を立てずに……。
あー、こんなまどろっこしい事を考えずに好きな順にがっつきたい……。
心の中で泣き言をいいながら、俺はテーブルマナーを頭に叩き込んでいった。そんなに難しい事は要求されないが、普段の習慣として優雅な動作を心掛けなくてはいけない。
そして、ついに……特訓の成果を発揮する時が来た!!
なんなら、一生そんな時は来なくてもよかったんだが……。
和気あいあいとした家族の団欒……。などではなく、ピリピリとした緊張感に包まれている。
頼む、誰か口を開いてくれ。俺は無理、無理無理。
こんな空気の中声を発した瞬間視線が集まるだろ?
想像しただけで身が竦む。
シェルー。なんで空気読めないとこ、ここで発揮しないんだよ!いつも人の話聞かずに一方的に喋ってるだろ!?
俺はシェルに助けてくれ!と言わんばかりの熱い視線を送るが、当の本人はどこ吹く風……。
こんな時ばかり静かになりやがって腹が立つ。
グリーンフィル家の当主、即ち俺たちの父は帝国の盾とか言うものだから、どんな筋骨隆々の大男かと思えば、逞しいながらも引き締まった精悍な身体つきである。
シルバーブロンドの輝く髪に、青みがかった緑の瞳、高く通った鼻筋、要するに容姿端麗だった。美形一家なのか……。
前世の俺が見たなら眩しくて目が潰れていたな…。
徐にシェルがナイフとフォークを皿の右下へと揃えて置き、ナプキンで口元を拭う。
ん?なんだか違和感を感じる……。
今は突き出し、前菜、スープと続き、魚料理が出されている。
その時、母は嘲るかのように意地の悪い冷笑をたたえた。
その嘲笑を見てハッとする。
『ノア様、お食事の途中で手を止める時はナイフとフォークはクロス、ですよ。交差させずに離してもいいですが、ナイフとフォークの先が向き合うように斜めに置いてください。その時ナイフの刃は内側、フォークはカーブの膨らみある背中を上に向けます』
ダリアとの特訓を思い出す。
『揃えて置くのはお食事終了です。その時フォークはカーブの凹みのある方が上です。絶対に間違えないでくださいね』
確か、ダリアが要注意とか言っていたテーブルマナーだ。
「シェ……」
俺がこっそり正そうとしたが、気づくのが遅かった。
「セレスティア様は体調が優れないようですね」
グロリアは歪んだ笑みをたたえながら声を発した。
シェルはまだ気づいていないようで、その表情には疑問が浮かぶ。
しかし、父もカトラリーのサインに気がついたようだ。
「ん?もう食事はいいのか?消化にいいものを部屋に運ばせるから、後は休みなさい」
シェルはその言葉と視線に気づき、ハッとなり、途端に顔を赤らめていく。
恥ずかしさからか、悔しさからか、唇を噛み締め席を立つと、そのまま何も言わずに食堂を後にした。
シンとした気まずい雰囲気が流れる。
まあ、先程から静かなのに変わりは無いのだけれど……。
ーーーーーーシェル、ずるい!!
俺は心の中で地団駄を踏んだ。
なに自分だけこの空気から逃げ出してるんだよ!俺も連れて行け!!いや、連れて行ってください!!
その静けさを掻き消すかのようにグロリアからため息が溢れる。
「難しい年頃なのです。私が義母として上手く扱えておらず、申し訳ありませんわ」
さも苦労しています。と言うかのようにその長い睫毛を伏せるが、ふざけるな。何が扱えないだ、人を馬鹿にしやがって。俺の予想に過ぎなかったが、やはりグロリアは、シェルにとって義理の母で間違いないようだ。
「あの子に女家庭教師は付けていないのか?」
「セレスティア様は今のままでも十分教養がありますわ。女はあまり賢過ぎると愛嬌が無いと言われ、可愛がられません。あの子が人に愛される為なのです」
何を言ってるんだこの人は、それならまずは自分が愛すべきじゃないのか?とても愛情を持って接してるようには見えないが……。
「セレスティアの乳母を解雇したようだな」
「解雇だなんて……。乳母の娘が身体が弱いのはご存知でしょう?体調が急変したので心配で実家に帰ったのです」
「……そうか」
「フィンレー様、大丈夫ですわ。娘の事は、女の私にお任せください」
母はにこりと笑顔を向ける。
なにやらシェルの事で、父と母が問答を始めたようだ。こんな空気の中余計に逃げ出したくなる。
「お父様、お母様、食事の途中申し訳ありません。俺も失礼します」
「えっ、ノア?座りなさい!」
途端に母が慌て出すが、そんなことは知ったこっちゃない。
これ以上ここにいたら、本当に胃に穴があくぞ。
「お姉様が心配です。様子を見てきます」
「ノア!待ちなさい」
母の静止の声を無視して俺も食堂を後にした。
廊下に出て別邸を目指す。
シェルの様子を見てくると言ったのは口実ではなく、本当だ。
あんな温かみの欠片もない空気の中恥をかいて、流石のシェルも落ち込んでいるのではないか?
悪役令嬢とはいえ、あれで優しい時もあったのだ。
姉の心配くらいしても文句は言われまい。
……いや、愚物の分際で馬鹿にしてるのか!とか文句は言われそうだ……。
まあ、それくらい威勢が良ければ元気な証拠だとでも思っておこう。
……と、数十分前に思っていた俺。本当に馬鹿だった。
なぜって、シェルの部屋が何処か知らなかったわ。
颯爽と食堂を出てきた俺、迷子で辿り着けないとか……俺こそ恥ずかしいわ!
これはもう、あれだな。開き直るしかないな。うん。
のんびり散策しながらシェルの部屋を探すか。
俺は凡そ、迷子とは思えぬ堂々たる歩みで探索を始めた。