引きこもり名探偵、倫子さんの10分推理シリーズ(アイドルのストーカー)
立てば貧血、歩くも貧血、依頼を受ければ名探偵。
ガラス製のドアベルがシャラランと鳴り響くと、入ってきた男はくたびれた革靴を玄関先に脱いだ。
ヨレて張りのないスーツを着た男。その靴には何度も踵を踏んで脱いだであろう後がくっきりと残っている。そして、その靴は子供が来たと見間違いする程に落ち着かない位置に脱ぎ捨てられた。
「りんー。猫ちゃん、病院から連れて来たよー」
男の右手には真新しいキャリーバック。その中にはつい一週間前までは捨て猫だったクリーム色の飯太郎が縮こまっている。怖がっているのか飯太郎はミャーミャーと助けを求めるように鳴き続けていた。
鳴き声を聞いた倫子さんはリビングから慌てて男の元に駆け寄ってくる。
「秀雄、ありがとう、助かったわ。さぁ、飯太郎、今日からここが貴方のお家よ」
とある事情により、クリーム色の野良猫、飯太郎を迎え入れる事になった倫子さん。
動物病院で予防接種やノミダニ駆除、検査が一式終わり、本日がお迎え初日。
お互い孤独ではあったが、新ためて今日から一人と一匹の共同生活はスタートするのであった。
飯太郎はキャリーバックの中から恐る恐る顔を出すと、顔見知りの倫子さんを見つけるや否や、倫子さんの足元に尻尾を絡ませていた。
「よしよし、いい子ねー」
フワフワの毛並みにビードロのような淡彩色の青い瞳。飯太郎のあまりの可愛さに、倫子さんは綻んだ笑顔で飯太郎にひたすら愛撫する。
「で、そんで秀雄はいつまで家に居るつもり? 貸したお金、返す気もないならとっと帰って貰ってもいいかしら?」
「へいへい、すいませんねー」
倫子さんの冷たい目付きの先に映る、秀雄と呼ばれている中年の男性。
野暮ったい寄れた服装の彼、実は倫子さんの元彼である。
結論から話せば、二人の恋仲は遥か昔に終了している。
俗にお金の切れ目は縁の切れ目と良く言うが、この二人の場合は例外だ。お互いを取り巻くお金の金額が、それ相応の金額なだけに、縁を切る事が出来ないのだ。
秀雄は数年前、立ち上げた福祉系サービス業の事業に失敗し、融資して貰っていた倫子さんに対し、多額の借金があるのだ。
お金を返して欲しいのは山々だが、倫子さんは体が弱い。
仕方無しに、使える物は使っておこうと、今日のように長時間外出する用事が出来た場合など、倫子さんは秀雄をバイトとして呼び出し、何かしらの代行業を依頼しているのだ。
「朝から夕方まで猫ちゃんに付き合ったんだぜ? お疲れさんの気持ちを込めて、お茶の一杯ぐらい出してくれてもいいんじゃないの?」
その言葉に倫子さんは舌を打つと、秀雄を睨み付け、仕方なしに顎で合図し、秀雄をリビングに招き入れた。
すると、秀雄は嬉しそうにリビングに佇む木目調のテーブル席に着座した。
……実はここだけの話。秀雄は今でも倫子さんに好意を抱き続けている。
その為、倫子さんの心を何とか繋ぎ止めようと、代行業も喜んで使いっパシリに徹しているのだ。
秀雄も顔はちょっと童顔で、倫子さんの好みではある。しかも犬みたいに人懐っこい性格をしている。決して悪い人間ではない。
服装には無頓着でちょっと品が無い所が偶に傷だが、強いて悪い所を上げるなら少し、ほんの少しだけ、お頭が悪いのだ。
その頭が悪いなりに、無謀にも途方もない借金を返せるものなら返して倫子さんとやり直したいと思っている。
秀雄が女心が分かるくらいの頭の良さがあれば、良かったのだが、それは皆無だ。
このシリーズを読んで頂いている読者なら解るだろうが、愛を欲し、恋に恋焦がれる倫子さんにしてみれば、今にでも秀雄が「やり直したい」と言えばオセロの黒と白のように彼女の心は簡単にひっくり返っただろう。
借金も倫子さんの資産にしてみれば、無理な金額ではない。
体裁を気にする事も大事だが、本当に大事なのは愛を伝える事だと作者は秀雄に言いたい。
だが、体裁を気にして煮え切らない秀雄に対し、愛想を付かせて別れを切り出したのは倫子さんの方である。
しかも自身の好きと言う感情を度外視してだ。
それ故に倫子さんは秀雄に優しく接する事が出来なくなってしまったのだ。そう、俗に言うツンデレなのだ。
倫子さんは秀雄の席の前に紅茶の入ったティーカップを差し出すと、顔も見たくないのか、飯太郎の傍に逃げていった。
「倫。俺、新しい仕事始めたんだよ」
倫子さんは飯太郎とじゃれ合いながら、気にしない素振りで聞き返した。
「へーどんな仕事」
「聞いて驚くなよ。探偵だ。」
その言葉を聞いた倫子さんは飯太郎に向けていた猫じゃらしの手が止まった。
「うそうそ。あんたみたいな馬鹿が探偵なんて出来る訳ないでしょ? 冗談も夢の中だけで言ってよ。」
「冗談じゃないって。見てくれよ、この名刺!」
秀雄は立ち上がり、倫子さんの視線を遮るように名刺を差し出す。そこには紛れもない秀雄の名前で探偵事務所が明記されていた。
「なになに……、どんな事件も秀雄探偵事務所がズバッと解決。……解決できない事件にはお代は一切頂きませんって……は? あんたばか? これ正気なの?」
名刺に書かれた内容を見て驚く倫子さん。そして秀雄は自信ありげな表情で答えた。
「ああ、そうさ。俺みたいに新規で始める知名度のない探偵事務所なんて、これくらいの売り文句が無いとお客さんは選ばないからね」
「でも、本当に解決できなかったらどうするのよ? 調査に掛かった費用とか全部返ってこないのよ?」
「解決すればいい訳だろ? なーに、俺に掛かれば難しい事じゃない」
倫子さんは猫じゃらしを落っことし、頭を抱えていた。
「……昔から馬鹿とは思ってたけど、ここまで馬鹿だったとは……。しかもここ、駅前の良い物件じゃない。家賃高いでしょ? あんた大丈夫なの?」
「大丈夫、初期投資も机や椅子とパソコンとかだけだし、なんとかなったよ。どんな事業もまずは知って貰う事が先決なのさ。とりあえず、まずはお客さんを呼ぶためにチラシとかで宣伝周りは済ませた。」
倫子さんは秀雄の回答を聞き、再び頭を抱えた。倫子さんにとって秀雄は頑張って欲しかったけど、ここまで無謀に挑戦を望んではいなかったようだ。
ため息交じりに倫子さんは答えた。
「一応秀雄は私にとって債務者なんだからね、売り上げの状況とか、ちゃんと報告してよ。私をこれ以上不安にさせないで」
「うん、わかった。絶対俺、全部返すからな。倫子も体強くないんだから、気軽に俺を使ってくれよ。今に仕事が忙しくなって駆けつけれなくなっても知らないぞ」
すると倫子さんは少し恥ずかしそうにして、秀雄をあしらった。
「バカ、そんなセリフは売り上げが上がってから聞きたいわね」
〇
そして数週間が経ったある日。
倫子さんは飯太郎のトリミングを依頼しようとペットショップに電話を入れた所、現在送迎車がメンテナンスで送迎が出来ないと言われてしまった。
仕方なしに倫子さんは秀雄に送迎を依頼しようと電話を掛けた。
すると、秀雄からは焦燥感に駆られた息遣いの声で、返事が返ってきた。
「ごめんな倫。今日は無理かな。今、スゲーデカい依頼を引き受けてて、早く片付けないとヤバイんだよ」
「ヤバイって? 例の報酬無しとか言ってた奴? ……ちなみにいくらなの?」
「……二百万」
「二百万!? それっていつまで?」
「……明後日」
「明後日!?」
一大事と察した倫子さんは資料を全部持って家に来いと秀雄を呼び出したのであった。
こうして倫子さんの推理は始まった。
秀雄が依頼を受けた案件の概要は以下の通りだ。
テレビで活躍する男性アイドルグループの「ATM」
そのメンバーである、REIと言う男性は現在、狂信的なファンからのストーカー被害にあっており、芸能事務所を通して秀雄に依頼が入った。
ストーカー女性から受ける嫌がらせを無事に終わらせる為、相手を特定し、示談交渉に持ち込みたいらしい。
「私も音楽番組よく見るけど、ATMって今一番熱いグループだよね? そんな凄い所からよく秀雄の所に依頼が来たわね」
「出来る限り、早めに対応したいって事務所の人は言ってた。それで、俺の全額返金って文字に本気度を感じたんだと思う。でも俺、報酬も多めに提示されて、つい舞い上がっちゃって、あんまり内容もう聞かず、つい引き受けちゃったんだ」
その無鉄砲な回答を聞いてため息をつきながら資料に目を通す倫子さん。
「でもなんで? 警察に届ければ早くない? なんでいきなり探偵なの?」
「芸能界って所は輝いてナンボだろ? イメージ商売だから、変な噂が立って根も葉もないゴシップ記事でも書かれたら困るんじゃないかな?」
秀雄の知ったこっちゃない顔を見て、倫子さんは納得していないような表情で再び資料に目を通す。
犯人には自宅のマンションからSNSの裏アカウントまでもが特定され、犯人から直接メッセージで連絡が来たらしい。
「いけないんだ。REI君ともあろう人が寝巻でスーパーでオッサンみたいな買い物しちゃって」
「私、REI君の秘密を知っちゃってますからね。」
「私がREI君の特別じゃないなら、REI君の全部壊しちゃうよ?」
その文面と一緒にREI氏が寝巻姿でスーパーを徘徊している写真。買い物籠に大量の飲食物を入れて会計を済ませている、隠し撮り写真が添付されていた。
倫子さんは資料に印刷されている画像と文面を確認し、凝視しながら考えた。
深夜の人の居ない時間帯、しかも、このスーパーは自宅のマンションとは少し遠い場所にある。全ての状況を考慮して、推理と思考を巡らせた。
「これは完全に行動が把握されているわね。自宅に盗聴器などは無かった?」
「一応最初に合った時に調べさせて貰ったけど、無かった」
倫子さんは更に資料に目を通す。すると、REI氏から貰ったスクリーンショットの画像写真の中、画面上部にある同時起動中のアイコンにどこか見覚えのあるラブベリーのアイコンが目に入った。
「これはラブラブラブベリー。なるほど。これが原因か」
10分間で読み切れる作品と言う縛りの関係で、このラブラブラブベリーと言う極悪魔アプリが何なのかは歴代のシリーズを見てくれと端折る。
倫子さんはフェイク系彼氏管理アプリの存在を秀雄に伝え、削除するように説明した。
「こんなアプリを入れられていたとは……、GPSからスクリーンショットまで見られるとなれば、そりゃ全部バレてるって訳だな」
「でもそのアプリは、彼氏と彼女だけが直接連絡する為だけに作られた専用アプリ。それが入れられているって事は、犯人はREI氏の現彼女って事になるわ、きっとREI氏もその事を理解して秀雄に依頼したんでしょ」
秀雄は驚きを隠せない表情で倫子さんに尋ねた。
「はぁ? なんで犯人が分かっているのに、俺に依頼する必要があるんだ?」
「間違いなく、そのREI氏はこの陰湿な彼女と別れる事を望んでいる。だけど、この女の文面から察するに、こいつ何するか分からないじゃない? だから、彼女と別れる時に抑止力となる、犯人が不利になる決定的証拠を押さえたかったんだと思う。だから、このアプリはかなりの証拠になると思うわ」
「そうなのか……?」
「一応元警察官から言わせてもらえば、証拠の写真と情報を元に警察に被害届を出せば受理されるはず。でもそうすれば、REI氏は『元彼女から被害』って新聞に大きく出ちゃうわ」
「なるほど、REI氏はそれを避けたかったのか」
「いいえ、それで済めばまだマシな方よ。REI氏はね。この画像の流失を恐れているの、それで彼女からこの画像を削除するように示談に持ち込むのが真の目的よ」
「え?」
すると、倫子さんは資料に貼られている盗撮写真の中から一枚の写真を取り出した。
その画像はスーパーでの買い物中、ショッピングカートに大量に飲食物を入れた、寝巻姿のREI氏の姿った。
「これが隠したい画像?」
「そう、このショッピングカートの籠の中に、アイドルであるREI氏が買ってはいけない物が入っているわ。」
秀雄は凝視して、ショッピングカートの中の商品を確認した。
お酒や、お肉や、お惣菜や、おつまみ。そして、可愛らしい赤ちゃんのイラストが描かれた大きな缶が入っていた。
「まさかこれって、赤ちゃん用のミルク缶?」
「そう、赤ちゃん用のミルク缶。十中八九だけど、REI氏には隠し子がいる。そしてこの彼女さんではない、別の女との間にね。」
事実を知った秀雄は驚きを隠せなかった。そして、事実を知った今後、どうすればいいか、秀雄は不安な表情を浮かべながら倫子さんに問う。
「この事が公になったらREI氏のアイドル活動は間違いなくアウトになる。いい? 探偵は探偵でもこれは商売。依頼人を満足させるのが、あなたの仕事なの。隠し子の事は黙ってなさい。現彼女だけの情報をREI氏に報告し、これ以上の詮索は止めなさい。とっとと二百万を貰って身を引く事ね」
「わ、分かった……」
〇
そして、数週間後。
倫子さんは自宅にて、秀雄と初の依頼解決祝いに、出前で頼んだ豪勢なイタリアンを嗜んでいた。
「今日は俺の奢り! リン、本当にありがとうな!」
「あい! あい! 今日は奢りで飲むぞー!」
倫子さんは喜びが止まらないのだろう。普段飲まないワインを開け、歓喜な気持ちでお酒に口を付ける。
だが、お酒に弱い倫子さんはものの三十分でフラフラになり、気付けば革製のソファーに倒れ込んだ。
そして倫子さんは意識が朦朧になりながらも、徐にリモコンに手をやりテレビを付ける。
すると歌番組が放送されており、アイドルとして爽やかに踊るREI氏の表情が写った。
そしてその表情を見るなり、倫子さんは怪訝な表情を見せ、舌を打ってテレビを消した。
「どうしたんだ?リン。飲み過ぎたのか?」
「大丈夫、ちょっと、気分が悪くなっただけ。……タダでさえ、嫌な金なのに、これ以上ご飯が不味くなる事はしたくない」
すると、秀雄は何にも理解出来ていないのだろう。謝罪しながら、毛布を倫子の膝に被せた。
「イタリアン、あんまり好きじゃ無かった? ごめんな、今度はもっと倫子の味の好きそうなやつを注文するよ」
すると、倫子さんは数秒黙って、立ち上がり。ワイングラスを取ると、クイっと一気に飲み干した。
今だけは、ちょっと酔っぱらいでいたい。
そんな思いを脳裏のせて、ワイングラスにお酒を注ぐ倫子さんであった。