人をダメにするソファ
ふにゅんふにゅんの、うふんうふん(*´-`)
「あー・・・疲れた・・・。」
今日は朝から棚卸だったんだよ。
変に細かいとこが気になる俺はだな、やけにこう目ざとくミスを見つけてだな、同僚に注意を促しつつ自分の担当箇所もきっちり仕上げつつで…疲労困憊とはこういうことか、こういう感じなんだな、うん。
もう、指一本動かす力も残っちゃいない。
が、ここは路地裏、いきなり倒れこむわけにも行かない。
少し休憩したいな、でもカフェに立ち寄る気力もないって言うか。
気力の尽きた頭でなけなしの体力を振り絞り、ぼてぼてと家路についていた俺に、声をかける婆さんが。
「兄さん、良い物買って行かないかい。疲れが取れるよ。」
「・・・はは、まじで?」
疲れてはいたが、歩き続けるのもちょっときつかったっていうかさ。
本当に、気まぐれで立ち止まったんだな。
普段こんな路地裏の怪しい露天で足を止めることなんかないんだけどさ。
・・・俺、よっぽど疲れてるみたいだ。
「…そんなに几帳面じゃあ、疲れるのも当たり前さね。まあ、これ飲んでちょっと見ていきなさいな。」
婆さんがエナジードリンクを差し出したので、そのままプルタブを開けてグビリといただいた。
…ぬるいな、でも…なんだ?結構気力が戻ってきたぞ!!
最近のエナジードリンク、すげーな!!!
「ドリンク代払うよ、なんか疲れ取れたわ、ありがとう。」
「いやいや、それはサービスしとくで。それより、これ買って行かんかね。」
婆さんはずらりと並ぶぬいぐるみや器なんかの間で、やけに存在感を表している丸いクッション?を指差した。
「これはね、人を駄目にするソファなんだよ。あんたみたいに几帳面すぎる男にぴったりの品さ。」
「ソファ?ああ、圧縮されてるのか、やけに小さいな。今流行ってるやつだろ…?」
人を駄目にするソファってのはさ、マイクロビーズが入ってて、深く沈みこむタイプのクッションで、ここ数年やけに流行ってるんだ。経理のおばちゃんが先日二つ目を買ったとか自慢してたんだよ。
めっちゃ気持ちよくて、知らぬ間に転寝しちゃうんだってさ。
・・・万年不眠症気味の俺は、ひそかに購入を考えていたりしていないでもなかったり。
俺の部屋はものがほとんどないからな、まあ、あってもいいかな。
「どうだい、5000円でいいよ。」
「安!!普通一万ぐらいするのに!!」
俺は購入を決め、左手にかばん、右手に50センチの丸いクッションを持って、軽やかな足取りで我が家へと急いだ。
帰宅すると、時刻は7時半。
真っ暗な部屋に電気をつけて、かばんを玄関横の定位置に置く。
靴は脱いで、ホコリを落として靴箱へしまう。
クッションとスマホを持って何もない部屋に入って、ミニテーブルの上にスマホを平行において、足元にクッションを置いて、スーツを脱いでランドリーかごへ投入。
手を洗ってうがいをして、作り置きのお茶をぐびりと飲んでと。
明日明後日は休みだ、クリーニングに出しに行かないとな。
家着に着替えてクリーニングに行こうと思ったが、ソファの存在が気になる。
このソファはさ、圧縮されてるんだ。
ビニールから出してしばらく置いておかないと、ふんわりしたソファにならないんだよ、たしか。
早く出さないとマイクロビーズがつぶれたままでよくないと聞いたこともある。
…あんまり考えないで買っちゃったけど、どれくらいふくらむんだろ、これ。
説明書がないな、めちゃくちゃ大きくなったらどうすんだ、まあ、それならそれで、部屋のど真ん中に置いとけばいいか。
どうせベッドとミニテーブルしかないんだ、よほど膨らんだとしても邪魔にはなるまい。
分厚いビニールに、ほんの少しはさみを入れて切れ目を入れてと…おお、見る見るうちに膨らんでいくぞ!!おもしれえ!!
・・・って!!!はい?!
「ぷはぁ~!かい、ほう、か―――ん!!!じゃっ!!!!」
「うわぁああああ!!!」
むくむく膨らんでいくクッションの上に!!!
ち、小さな女子っ!!!!!
「な、なななななな!!!!!!」
「なんじゃい、騒がしいのう。」
そりゃね!!!クッションから人が湧いて出たらだな!!!驚くだろ!!普通!!!
「なんだお前は!!あの婆さんの…差し金かっ!!!」
「ババアなんぞ知らんわ!わしはただの人をダメにするソファの神じゃ!!!」
か、神ぃ?!こんなちんまいのが、神ッ!!
「ちょっ、はあ?!マジかっ!!なんでこんな、はあ?!人をダメにするソファの神?!」
「そうじゃ!!どんどんダメになるがよい!!!まあ、ちとまだ膨らみが足りなんだが…。」
自称神の小さい女子は、膨れてゆくクッションの上でぽふぽふしている。
…あまりにも疲れ果てて、俺はおかしくなってしまったのか。
いったん落ち着こうと、何も見なかったことにして、ビニールゴミも片付けずにクルリと後ろを向いた俺はだな!
クリーニングにスーツを出しに行き、晩酌のつまみと〆のメシを買いに行き!
ふうと一息吐いて、意を決して自分のアパートのドアを開けたら!!!
「おお!ばっちりふくらんどいたでな!!はよダメになるがよい!!!」
「マジだった…。」
かくしてリビングの床面積を激しく占拠する物体が鎮座するようになったわけだが。
「きい!!なんでじゃ!!なんでおぬしはいつまでたってもダメにならんのじゃっ!!!」
人をダメにするソファは、一向に僕をダメにすることができないというかなんというか。
なんていうんだろ、確かに家でソファの上でだらっとする時間はできたんだ。
人を駄目にするソファに沈みこんで、うとうとすることもぼちぼちある。
だがしかし、もともと几帳面な俺はだな、きっちり一時間のうとうとで目を覚まし、ルーティンをこなしだな。
休憩時間を挟むようになったことが功を奏しているのか、やけにスケジュールどおりの生活をするようになったというか。
さらに、家で気のぬけた俺は、なぜか外では随分しゃきっとしてしまい…メリハリっていうのかね、こういうの。
仕事の精度もアップしてさあ、最近やけにこう、毎日が充実してるんだよ。
「いやまあ、パジャマに着替えずうとうとしてるあたり、結構駄目駄目じゃん?」
「どこがダメダメなんじゃ!!」
ぽすん!ぽすん!!
神が人を駄目にするソファの上で飛び跳ねる。
うう、ホコリが!!あとでフローリングモップをかけねば!!!
「きっちりゴミを片付け掃除をこなし!キッチンも風呂もどこもかしこもピカピカで!!栄養バランスも運動習慣もばっちりで!!!たまにぼんやりするだけで、駄目を語るでない!!!こんなの、こんなの、こんなの聞いとらんのじゃああああアアアアアアアアアア!!!!」
人をダメにするソファの使命みたいなのがあるらしいんだけどさあ、どうも俺はそういう対象者としてむいてないみたいだ。
ヒステリーを起こしている神を目の前にして、やけに冷静な俺がいたりする。
「このソファは!!こんなにもふくふくのふにゅふにゅのもちもちのうふんうふんで!!、神をもダメにする、魔のソファじゃというのに!!ああ、この手触り、めり込み具合!!ああ…わしはもうここから動かんぞ!!動かん、ぞぅ…。」
あーあ。散々飛び跳ねて感情爆発したら、おねむでちゅかーって!こどもかっ!!!
子供ってのはさあ、いきなりエネルギーが切れて爆睡すんだよなあ。
やけに真っ赤なほっぺの神は、幸せそうに…ふくふくのソファに顔をうずめてすりすり、ムニムニって…ああ、よだれ垂らして寝るなよ…。
人をダメにするソファは、人である俺をダメにせずに、神をダメにしてしまった。
気がつけばこの神はだな、24時間ソファの上でゴロゴロ!俺の飯をもぐもぐ!晩酌の酒はぐびぐび飲むし!風呂にもちゃっかり入るし、夜中にお菓子は食うし!!くそう、なんて奴だ!!神だった!!!
完全に俺は神に振り回されている、だがそれくらいじゃあ、俺の几帳面は崩れないぞ!!!
多少意地になってた部分もあったのかも知れないけど、おかしな同居生活も半年を過ぎた。
騒がしくもどこかマッタリしてたのがよかったんだな、たぶん。
気温が上昇し、人を駄目にするソファは部屋の隅に移動するようになった。
「こいつはちと暑いのじゃ…この冷感マットは、冷たくて気持ちがいいのう!!!」
「それはよかった。」
ペットコーナーでさ、冷感クッションが売ってたんでね、神にぴったりだと思って買ってきたんだ。
予想通り、神は冷感マットに大喜びで、今もちょこんと座りながらアイスを…って!!
「おい!!アイスは一日に一個までって言っただろ!!!なに二つ目食ってんだよ!!俺の分!!!」
「うまいもんは制限したらいかん!けちけちするでない!」
神がいるおかげで、俺の食事摂取計画が狂いがちなのがちょっと腹立たしいけどね!!!
「つか、神はいつまでここにいるつもりなんだ。神の国に戻らないと駄目なんじゃないの。」
「わしは!!!おぬしを駄目にするまで、神の国には帰れなんだ…。」
何だ、それは。
「だというのに、おぬしはいつまで経っても駄目にならず、逆にどんどんしっかりしてゆくではないか!!」
「いや、まあ、でも…だらだらは、一応してるんだから、許してもらえるんじゃないの。」
俺はこれ以上だらだらと過ごすつもりはないぞ…。元々几帳面だし。
「違う!!だめというのはもっとこう、座り続けて起き上がる気になれなくて、気が付いたら夕方過ぎてて、メンドクサイから晩飯抜きでいいかあとか言いながらそのままグダグダ過ごして気が付いたら朝で、飯も食わずに出勤してカロリーの足りて無い頭でぼんやり仕事をして、いやしてるつもりでぼさっとして、ドンドンミスって気が付いたらとんでもないミスを繰り返してて、もう来るなって言われて、ただ茫然と家に帰って…ひたすら人をダメにするソファに沈み込んであっちゅーまに飢えてこの世を去らねばならんのじゃあ!!!」
「…なにいってんの。意味不明なんだけど。」
思ったよりこのソファは厄介な代物らしいぞ。
「意味不明もクソもあるかいな!おぬしが干からびたら、わしはその皮を抱えて国に戻る、それまでよ!!」
「ちょっと、俺をダメにするためにこのソファはあるんじゃないのかい。干からびる必要はないじゃないか!」
国に帰してやろうと思ったけど、俺が干からびる前提ならば、断固として拒否する!!!
「グぬぬ、ああ言えばこう言う!!なんという細かい奴じゃ!!お前など…禿げ上がってしまうがいい!!」
「おいおい、このソファカバー、布地がちょっと剥げてるぞ、人の事禿げ上げようとする前にさ、自分を省みたらどうなんだ。」
「アアアアアアアア!!!なんっ、なんということ、じゃあああアアアアあ!!!」
…喚く神が五月蝿いので、俺は丁寧につぎはぎを充ててやったさ。
俺って結構優しいのな。
少し肌寒くなる頃、事件は起きた。
「こ、ココアをこぼして、しもうた…。」
「うわ、これは…洗わないと駄目なやつだな。」
カバーにしっかり浸透し、内部までココアを吸い込んでしまった、人を駄目にするソファ。あーあ、だから寝転んで飲むんじゃないと、あれほど。
…しかし、これ、どうやって洗うんだろう。
「洗い方、知ってる?」
「知らん・・・。」
洗濯方法のタグもないし、下手に洗って使えなくなる可能性も無きにしも非ずだ。
ここはプロに任せた方がよかろう。
「クリーニングに出してみるよ。神はこのソファがなくなっても大丈夫なのかい。」
「力が使えんくなるだけで、大丈夫じゃ!戻ってくるのよな?」
俺は近所の馴染みのクリーニング屋に、ソファを出したのだが。
「大変申し訳ございません・・・。」
「え、なに、これ。」
仕上がり予定日にソファを取りに行くと、なにやら贈答品の入った紙袋を渡された。
「クリーニング工場で手違いがあり、温風で乾燥にかけてしまって…。まことに、申し訳ございません!!!」
「え、ちょっと待って、ソファ、ソファは?!」
クリーニング店のおばちゃんが、真っ青な顔をしながらおずおずと差し出したのは。
ふかふかのかけらもなくなった、ぼそぼその何かがつまった、カバーに三つもつぎはぎのある物体、だった。
「なんじゃ、これ、は・・・。」
「ゴメン、洗うの失敗して、こんなことに。」
いつも勝気な神の目に、大粒の涙が浮かんで・・・。
ぽたっ、ぽたっ・・・。
「うう、わしの、わしのそふぁ・・・。」
ぼた、ぼた。
「わしは、わしはっ・・・こやつが破れてしもうては、もう、わしは、神ではおられん・・・。」
無残な姿になってしまった、人を駄目にするソファの残骸を目の前にして、小さな女子は大粒の涙を、こぼして、いる。
「・・・じゃあ、普通の人になればいいだろ?」
俺はだな、お前が大きくなったところで、全然平気なんだよ。
俺の几帳面さは、お前のぐうたらさを凌駕する自信があるんだよ。
毎日ぐうたらして、文句ばかりいいながら。
時折、窓の外をじっと見ていたことだって、知ってるんだぞ。
テレビで見た遊園地に、目を輝かせていたことだって、知ってるんだぞ。
海ではしゃぐ子供の動画を見て、チラシの裏に海の絵を描いたことだって、知ってるんだぞ。
部屋の中だけでぐうたらするよりも、楽しいと思える事が!たくさんたくさん外の世界にはあるんだぞ!
「いいのかい。」
小さい女子だった頃ぐうたらの極みを見せつけた癖に、普通の人間になった途端、女性はやけにしっかりした。
毎日俺の手伝いをし、少しづつ少しづつ日々の作業を覚えて、きちんとこなせるようになった。
少しくらいの目玉焼きのこげは、いいアクセントになって美味かった。
少しくらいの洗濯物のおかしな干し方は、いつだって笑い話の種になった。
少しくらいの掃除の遣り残しは、いい説教の材料になった。
ずいぶん、予定外のことも経験させてもらった。
きっちり予定を立てて、きっちりこなすことが当たり前だった毎日が、やけに色付いた。
予定を立てても、予定通りに行かない楽しさに気が付いた。
予定を立てて、予定通りに行かなかったときの過ごし方を学んだ。
俺はずいぶん、融通のきく人間になったと思うが。
嫁は、ずいぶん、融通のきかない人間になってしまったようだ。
「何で、入院しないのさ。」
「おぬしの側に、いたいのじゃ…。」
最後の最後まで、嫁は俺の側にいて。
一人で、空に、かえって行った。
俺は、久しぶりに、マイクロビーズの、大きなソファを、買った。
このソファは、人を駄目にするソファじゃ、ない。
けれど。
沈み込む、気持ちよさに、何もする気に、なれない。
沈みこんで、身を預ける心地よさに、ただ、浸る。
ああ、俺は、こんなにも、駄目に、なっているというのに。
「なんじゃ、こんなソファで駄目になるとは、なさけないのう。」
「俺だって、たまには、ぐうたら、したいんだよ。」
懐かしい、妻の声に、立ち上がろうとしたが。
俺は、沈みこむ、体を、起こすことが、できない。
ああ、こんなにも、ただのソファが、俺を駄目にするなんて。
「わしのソファは、こんなもんじゃ、ないでな!」
「そうだったかな?記憶が、遠いな・・・。」
小さな神を、腹の上に乗せ、うとうととしていた時は・・・もう、ずいぶんと、昔の、話…。
「今から、確かめに行くのじゃ・・・一緒に行くでな。」
「それは、楽しみだな・・・。」
俺は、目をとじ、重たい体をすうと脱いで…愛する妻と手をつないで。
空を目指して、ふわりと、消えた。