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恋をしてみないかい  作者: たかさば


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19/21

 幼い頃、私はとても、おしゃべりだった。


 ―――これはなあに?

 ―――みて、すごくかわいい!

 ―――おかあさん、だいすき!


 幼稚園に入った頃は、まだ、おしゃべりだったような、気がする。


 ―――まおちゃん、あそぼ!

 ―――せんせい、ぎゅうにゅうこぼした―!

 ―――なぞなぞ、しよー!


 幼稚園を、卒園する頃には、もう。


 ―――……。

 ―――…うん。


 私は、言葉が、出なくなっていた。


 何がきっかけなのかは、よく、わからない。


 気が付いた時には、もう、私は。

 誰かとお話をすることが、できなくなっていたのだ。


 言葉を、口に出そうとすると、のどの奥が、ぎゅっと…締め付けられる。

 言葉を、口に出したいと、願えば願うほど、声が、出ない。


 言いたい事、伝えたい事、伝えなければいけないこと……、気持ちが溢れれば溢れるほどに、何も言えなくなってゆく。


 ただ、口をパクパクと開けたまま…、地面を見つめる事しか、できない。

 同級生たちの、先生たちの、私の言葉を待つ、目が…怖くて、たまらなかった。


 頑張って、頑張って…、絞り出すように、ようやく、出た、私の声は、いつだって。


「……はぃ。」


 ―――何こいつ、しゃべれないの?

 ―――ヤダー、なんかキモい!

 ―――はいってなんだよ!こたえになってねーし!

 ―――こんな子同じ班に入れたくない!


 何も話さない私を、同級生たちは拒否した。


 ―――くみちゃんのこといじめないで!

 ―――大丈夫だよ、ちゃんとわかってるからね?

 ―――あんな子、こっちからお断りよ!!

 ―――くみちゃんの文字、すごくきれいで、おしゃべりだね!


 何も話さない私を、同級生たちは守ってくれた。


「何で家では普通にしゃべってるのに、学校で話さないんだ?ふざけるのもいいかげんにしろ!」

「わがままな子だよ!だから私はあんな娘ダメだって言ったんだ!嫁の血だね、出来損ないが!」


 学校で話せないことを知った父親と祖母による、激しい問い詰めが始まったのは…中学に上がる頃だった。


「いつかきっと話せるようになるから、大丈夫だよ。……お母さんと、田舎に引っ越そうか。」

「……うん。」


 母親とともに、のんびりとした田舎に、引っ越した。


 環境が変わって、事態の好転を期待して、いたのだけれど。


「岡野さんはしゃべれません。皆さん気を使ってあげてくださいね!」

「「「「「「はーい。」」」」」」」


 担任の言葉に、息を、飲んだ。


「岡野さん、はい、これやってあげたよ!」

「岡野さん、私たちのグループに入れてあげるからね!」

「岡野さん、あの子腹立つでしょう、私注意しておいてあげたからね!」


 同級生たちの、気遣いに、ますます声が出せなくなった。


「お母さんね、疲れちゃった……。」

「うん、……お疲れ、様……。」


 働く母親は、次第に口数を減らすようになった。


 家にいても、言葉を話す機会がなくなっていった。


 休み時間に、図書館に通うように、なった。

 言葉の飛び交う事の少ない、この場所に…、自分と同じものを、感じたのだ。


 本の世界に夢中になれば、世界にあふれている声が気にならなくなった。

 本の世界に夢中になっている間は、世界にあふれている声を出せない自分を忘れることができた。


 声を出せない私は、部活には所属しなかった。

 学校のすぐ近くに図書館があったので、閉館まで毎日通うようになった。


 学校のない日は、お弁当を自分で作って出かけた。

 家にいると、疲れたお母さんが…、私に気を使ってしまうから。


 テスト前には、教科書をもって図書館に通った。

 少し騒めきのある、それでいて静寂に包まれた空間は、私にとって絶好の勉強部屋となったのだ。


 ある時、私は古い純文学作品を読もうと、奥の方にある、ひっそりとしたコーナーへと足を運んだ。


 端の方にある、背の高い棚が並ぶ、一角。

 目当ての本は、棚の最上段に、あった。


 手を伸ばすが…、届かない。


 どこかに踏み台はなかったかな、そう思ってあたりを見渡すけれど、どこにも、ない。


 図書館司書の人に、お願いしてみようか。

 けれど、私は、声をかける、事が。


 ……思い切り、背を伸ばせば、指先が届くかもしれない。


 私は、つま先立ちになって、指先を、伸ばした。


「……これ?」


 一生懸命背伸びをしていて、私の後ろに男性がいることに、気が付かなかった。


 背の高い男性が、私に、声をかけて、くれた。

 そして、一冊の本を、手渡して、くれたのだけれど。


 私が欲しかったのは、その、隣の、隣の本……。


 口を、パクパクしながら、……下を、向く。

 ああ、私は、やっぱり、声が。

 ……唇を、噛む。


 ……せっかく取ってくれたのだから、お礼を言って、受け取らなければ、いけないのに。


「…あ、そっか、えっと……。」


 男性が、遠慮がちに私の肩に、触れた。

 思わず、顔をあげると……、男性は、小指でちょんちょんと顎に触れた後、私に手の平を上に向けた。


 ああ、これは…手話だ。

 多分、これでよかったか、聞いている。


 私は、耳と唇に人差し指を当てて、スッと、下に、引いた。

 そのあと、唇に人差し指を置いてから、頬を、抓って、みる…。


 ―――私は、聞こえているけれど、声を出すことが、できないんです。


 ……多分、伝わる、はず?

 私は、あまり、手話の知識が、ない。

 勉強したいと思いつつ、積極的になれず、今まで、来てしまった。

 家では、少しだけ…話すことが、声を出すことが、できたから。


「・・・これでよかった?隣の本かな?」


 口を、パクパクしたまま、人差し指を、二回、右へ動かす。


「はい、これでいい?」

「……っ、……。」


 本を受け取り、お辞儀をして…ああ、やっぱり、声が、出ない。


「……また、困ったら、言ってね?」


 背の高い男性は、右手を上げると…にっこり笑って、観葉植物の向こう側へと、消えた。



 それから、男性とは、よく顔を合わせるようになった。


 時に、本棚のところで。

 時に、大きなベンチのところで。

 時に、屋上のスカイフォーラムで。

 時に、貸出窓口で。

 時に、自転車置き場で。


 いつしか、私はこの男性と…、小さな紙片のやり取りを、するようになった。


 私は、いつでも筆談ができるように、小さなメモ帳を持ち歩いていたのだ。


 ―――純文学が好きなの?

 ―――はい、情景の美しい描写が、とても好きです。


 ―――名前、聞いてもいい?

 ―――教えてくれるなら、良いですよ!


 ―――僕高校生なんだ、くみちゃんはどの高校を受験するの?

 ―――K高校に行きたいけど、私は声が、出せないから。


 友達と遊ぶこともなく、本を読みながら勉強ばかりしていた私は…進学を希望していたのだけれど。

 どれだけ、いい成績を残したところで…面接では、一言も、しゃべれない。


 ―――僕の通ってる学校だよ!一度先生に聞いてみるから、諦めないで。

 ―――ありがとう、でも私は、通信制の学校に行こうかなって思っているの。


「僕はくみちゃんと一緒に、同じ高校に通いたいなあ……。」


 筆談をしながら、背の高い男性…瀬尾くんは、たまに声で私に話しかけてくれた。

 あまり声をかけてもらえない私は、瀬尾くんの声を聞ける瞬間が…いつしか、とても、好きになっていた。


「……っ、……ん。」


 言葉を返したい気持ちと、声が出てこないもどかしさが交差する。


「うん、頑張りすぎなくても大丈夫だよ。…いつか、いっぱい、お話しようね。」


 ポンと私の頭に大きな手を乗せる瞬間が、とても…とても、好きに、なっていた。



 受験シーズン、私はK高校を受験できることに、なった。

 学校推薦をいただけることになったのだ。

 瀬尾くんが学校にいろいろと進言してくれたおかげだと思う。


 私は無事受験に合格し、四月からK高校に通えることになった。


 受験が終わり、図書館に通う日々。

 瀬尾くんには、受験番号を知らせてあるから…、恐らく私の合格を、知っているはず。

 いちばんに合格を知らせたかったけれど、なかなか顔を合わせることがないまま、三月になってしまった。



 桜の開花が発表された、三月末日。

 しばらく顔を合わせていなかった瀬尾くんが、スカイフォーラムに現れた。


 瀬尾くんに会ったら、絶対にお礼を言うんだと、決めていた。

 家で、何度もありがとうを言う練習をした。

 一人で、何度も、伝えたいことを口に出してリハーサルを重ねた、はずなのに。


「……っ、……ぅ。」


 ありがとうと、伝えたいのに。

 感謝の気持ちを、伝えなければいけないのに。


 私の口は、パクパクするばかりで、声に、ならない。


 気持ちが溢れて、声が追い付かない。

 気持ちがはち切れて、声になれない。

 気持ちがあちらこちらに漏れ出して、言葉として出てこない。


 出てくるのは。


 もどかしさにまみれた、私の悲しみ。

 くやしさが染み込んだ、私の涙。


 ぼろぼろと涙をこぼす、みっともない私の顔を見た瀬尾くんは、少し悲しそうな顔をした後、いつものように、にっこりと、笑った。

 大きな背を丸めて、私をのぞき込み…ああ、目が、合った。


 瀬尾くんは、涙でぐちゃぐちゃになっている頬を指で拭うと、そっと、私に…キスをした。


「……合格おめでとう。しばらく会えなくて…ごめん、気持ちが、暴走してしまったみたいだ。……怒ってる?」


 驚きのあまり、涙が止まって、顔が、熱くなって、伝えたい事と、恥ずかしい気持ちと、うれしさと、ぜんぶが、ごちゃごちゃになって。


 ……思わず、胸に、飛び込んで、しまった。


 ああ、私、この人が……、とても、好き。


「あのね……、今日は、くみちゃんに、言わなきゃいけない、事があって。……信じられないかも、知れないけれど、このまま、聞いていて。」


 ポンポンと、私の頭と優しくなでながら、声をかける、…私の、大好きな、人。


「僕は…、ずいぶん前に、しては、いけないことを、して、しまったんだ。……とても、許される、事じゃ、ない。」


 そっと、大きな手が、私の背を、なでる。


「僕は……、人が、とても、好きで。……ずっと、人を、見つめて、来たんだ。長い、長い……間。」


 私の背をなでていた手が、ふいに、止まる。


「……見ているだけで、幸せだった。けれど……、人が、愛を囁き合っているのを見て、聞いて、どうしても。」


 大きな、暖かい、手の平が。


「僕も、…声が、欲しくなってしまって。」


 少し……震えているのは、どうして……?


「本当は、少しだけ、借りるつもりだったんだ。少しだけ借りて、返したんだ。…でも、返しても……君は。」


 私を優しく抱きしめる、大切な人の声が震えているのは……、なぜ?


「くみちゃんの、……声を、盗んで、しまった。長い間、苦しませてしまったのは、苦しみが続いてしまうのは……僕の、せい。」


 強く抱きしめる、大好きな人の涙が…、私の頬に、落ちる。


「…ずっと、謝りたかった。」


 手を伸ばし、愛おしい人の頬を伝う涙を、そっと指で、拭いた。


 ……指先で触れている、瀬尾くんの頬が、少しづつ薄くなってゆく。



「……ごめん。今まで、本当に、ごめんね?何とかして、君に声を返そうとしたけど、できなかった……。僕は…、神、失格だ……。」



 大切な人が、消えてゆく。



「僕が、消えても…、くみちゃんは…、しあ、わせ……に……。」



 大切な、人が、消えてゆくのを。




「なっ……て、……。」




 ―――……また、困ったら、言ってね?


 ―――あはは、こんな所で…奇遇だね?


 ―――なんか、顔色悪くない?心配だよ…。


 ―――僕はくみちゃんと一緒に、同じ高校に通いたいなあ……。


 ―――頑張らなくても、僕は良いと思うよ。


 ―――はい、これ、おにぎりのお礼!…半分こ、しようね?


 ―――僕は、くみちゃんの事、大好きだよ!




 ……瀬尾くんがいなくなるなんて、いやだ!!!!!!!






「…ぃや、き、きえないで!!!!!!!!!!!」






「私と、ずっと!!!一緒に、いて!!!お願い!!!!!!!」






 ああ…、私、こんな、大きな、声、出せるんだ。


 私の、叫び声が。


 天井のない、広い空間に、響き渡る。



 ……ビリビリと、私の頬がしびれているのは…なぜ?



 ……ぎゅっと、私の体が、抱きしめられているのは…なぜ?



 ……消えていったはずの、大好きな人が。



「うん、ずっと……、一緒に、いる!!!」



 私の、目の前に、いるのは……、奇跡?




「……あー、コホン。君たちね、ここは……、一応、図書館なので、ね?」




 顔なじみの、図書館司書のおじさんが、真っ赤な顔をして、私たちの近くにやってきた日の事を、思い出す。



 入学式の日に、大好きな人に花をつけてもらった日の事を、思い出す。


 背の高い彼氏に誘われて演劇部に入った日の事を、思い出す。


 文化祭で、舞台の上でキスを披露してしまった日の事を、思い出す。


 ドラマ撮影でラブシーンがあることを知った彼氏に怒られた日の事を、思い出す。


 結婚式で二人で泣いてしまってスピーチができなくなってしまった日の事を、思い出す。


 主人が娘の結婚式で泣いてしまってスピーチができなかった日の事を、思い出す。


 孫を抱いた主人がぎっくり腰になってしまって叫んだ日の事を、思い出す。



 ……主人が昔、神様だったことを、思い出す。



「……必ず、迎えに来るよ。無理をしないで……、ゆっくり、待っててね。」

「うん……、わかった。」


 私の、大切な人は、ごく普通の、人間になってしまったから。

 人間としての、寿命を全うして、空に帰ってしまった。



 ……一人ぼっちで、色々と、思い出す。



 初めて、自分の言いたいことを言えた日の事。


 初めて、大好きな人とケンカをした日の事。


 初めて、歌を歌った日の事。


 初めて、舞台に立った日の事。


 初めて、映画に出た日の事。


 初めて、表彰された日の事。


 初めて、声を荒げて常識のない人たちを追い払った日の事。



 久しぶりに、一人で、眠るようになった日の、事。



「……おじいちゃんはねえ、本当に、背が高くてねえ。いつも、高い所の本を取ってくれたり、したんだよ?試写会に来てもねえ、一人だけ、頭が、とび出ていてねえ……。」

「ふふ!そうなんだ……ふぁ~……。」


「もう、おねむの時間だね。……また明日、聞きにおいで。……おやすみ。」

 じゃあね、またあした、おはなし、きかせてね!おやすみ、おばあちゃん!」


 ひ孫を見送り、私は…ベッドの上で、目を閉じる。



 もう、ずいぶん……思い出せない記憶が、増えた。



 確か、私は……、とても、好きな人がいて。



 大切な人に、約束を、してもらった、はず……。



 何を、約束、したんだったかなあ……。




「くみちゃん。……お待たせ。」




「瀬尾くん!……大丈夫、待ってるのも、楽しかったよ!」




 ああ、この、背の高い…、私が、大好きな、笑顔。




 私は、重たい体を……、ふわりと、振り解いて。





 ……大好きな人に、飛びついた。


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