座敷童
じいちゃんの家は昔ながらの長屋で、ずいぶん大きくて、古かった。
玄関から裏庭まで続く土間には、かまどの跡やどっぽん便所の名残や井戸、よくわからない農具?なんかがあって、ガキだった俺は夢中になったもんだ。
八つもある部屋の半分は物置になっていて、古い五月人形だの動かない鳩時計だの、割れたレコード盤に白黒の写真、いろんなもんが放り出してあった。
中でも俺が一番好きだった部屋は、いつも雨戸の閉まっている……奥から二番目の畳の部屋だった。
ここにはおもちゃがたくさん置いてあったんだよ。
ブリキのおもちゃに竹細工、古い絵本に囲碁将棋、けん玉にヨーヨー、おはじきにお手玉……子どもってのはさ、古いおもちゃでも楽しめるようにできてるんだな。
テレビゲームとは違った面白さがあって、じいちゃんちに来るたびに夢中になって遊んでいたんだ。
「つぎは、どれやる?」
「よーし、ねんどやるか!!おれさあ、かーちゃんからこむぎねんどセットかってもらったんだ!」
「きれいな……土?」
「こねると、いろんなかたちがつくれるんだぜ!!」
……俺がこの部屋に入ると、いつも遊んでくれる奴がいたんだ。
いつから一緒に遊んでいたのか、イマイチはっきりしない。
俺の物心がついた時には、もう一緒に遊ぶ仲になっていたんだな。
共働きの両親のもとに生まれた俺は、わりと小さな頃から、じいちゃんちに預けられることが多かったんだ。
春休み、夏休み、冬休み、大型連休。
両親の仕事が忙しい時、急に預けられることになることもしばしばあった。
……じいちゃんはわりと放任主義でさ。
多分だけど、井戸に落ちそうになったり、危険な農具で怪我をしそうになった時に、この家の守り神的な奴がさ、見ちゃおれんってんで出てきたんだと思うんだよなあ。
ばっちり、こいつは普通の人間じゃないってわかっていたんだけどさ。
正体を暴いたりしたら、消えちゃうんじゃねえのかってさ、子ども心に、気にしてたっていうか。
俺は、一人ぼっちで遊ぶ寂しさなんざ、求めちゃいなかったんだよ。
「ヤベえ、宿題が……終わらん!」
「手伝ってあげる。」
何度も何度も、ピンチの時には助けられてさ。
俺ってやつは、すっかりこう、頼り切っていたんだなあ。
「ここのさあ、車のミラーの形がうまく作れねーんだよ。」
「私、作ってあげる、黄色の粘土、ちょうだい。」
……いつだって、俺を助けてくれた俺の親友。
おかっぱ頭の、なんとなくすすけた感じの目の小さい、男か女かわかんない奴。
いつもへの字口で、ぼそりぼそりと話す、慌て者でおっちょこちょいの俺とは違う、落ち着いた感じの……子ども。
俺は、こいつの笑顔ってのを、見たことがなかった。
どれだけ上手にアニメのヒーローを粘土で作りあげても。
どれだけ面白いギャグマンガを見せても。
どれだけぶっ飛んだ一発ギャグをかましてみても。
どれだけオオウケした学校での出来事を話しても。
いつだって、への字に口を結んで、小さい目で俺を見つめるばかり。
……俺は、それがなんとなく、気に食わなかったんだな。
「お前さあ、何でいつも怒ってんの。笑えばいいのに。」
「怒ってなんか、ない。笑い方が、わからないの。」
親友は、俺が何をしても、声を荒げて怒るようなことはしなかった。
頭の上にこけしを落とした時も、足を踏んだ時も、むすっとした顔をしながら「いいよ」と言っていた。
俺が図工の時間に作った手裏剣をプレゼントした時も、むすっとした顔をしながら「ありがとう」と言っていた。
新品の粘土を開けさせてやった時も、一番にこねさせてやった時も、むすっとした顔をしながら「うれしいな」と言っていた。
「お前、笑ったら絶対かわいいと思うんだけどなあ……。」
「……そう、かな?」
俺が似合うと思ってバイト代で買ったカチューシャをつけてやっても、むすっとして顔を赤くしつつ「似合うかな」と言っていた。
俺が初めて焼いた店のパンをお土産に持ってきて食べさせてやっても、むすっとして頬を膨らませて「おいしいよ」と言っていた。
親友は、俺が何もしなくても、何かをしても、ずっと同じ表情のままだったのだ。
……笑った顔、見てみたいな。
……思いっきり、笑ってほしいな。
俺は、ちょいとばかり、暴走しちまったんだな。
「笑うときは、こうして、口の横を、くいっと上げて、あははははって言うんだよ。」
親友の、口元に……両人差し指を当てて、くいと、上に。
「やだ、やめて。……あっ。」
口元がにこりと笑ったと思ったその時、俺の手の甲に、ぽたり、ぽたりと……涙が落ちた。
「えっ……。」
これは、親友の……涙?
「え、なんで……ごめん、そんなにやだった?!」
俺は、ポケットの中から、くしゃくしゃのハンカチを出して、涙を拭ってやった。
「違う、違うの……笑うと、涙が、勝手に、出る……みたい。」
一度流れ始めてしまった涙は、簡単には止まらなかった。
……それほど、泣きたい気持ちを、こいつはずっと、我慢していたって事なんだろうか。
俺は、親友の泣く姿を、見たくないな。
俺は、こいつに、笑ってほしいんだよ。
「何か、辛いこととか、あるんだったら、聞くよ。俺にできることがあるんだったら、何だってする。俺は、お前の……親友だから。」
「ご、ごめん、こんな、私、すぐに、泣くの、やめるから。」
「我慢しなくていいよ。泣いて気が済むなら、気の済むまで泣いたほうがいいよ。……俺、気にしねーし。」
「う、ううっ……、うええええええええええん……!!!」
我慢に我慢を重ねてきた悲しみなんだろ?ってね。
全部出しきって、思いっきり泣いた方がいいんじゃねーの?ってね。
俺の胸に飛び込んで派手に泣く親友の頭をポンポンやりながら、……俺はこんなにも感情があるのなら、素直に出させてやりたいと、出せるようにしてやりたいと思った。
……どうやら、親友は、この家に縛られているらしかった。
大昔、この家に遊びに来た親友は、おもちゃがたくさんあったので帰りたくないなと思って、この家に住むようになったんだってさ。
この家の住人たちが、親友をめちゃくちゃ大切にしてくれて、その恩があるんだってさ。
この家の住人たちが、この家の繁栄を願って、親友に託して天に昇って行ったから、ここから離れるわけにはいかないんだってさ。
親友には、帰りたい場所があるんだってさ。
でも、ここを離れられないから、帰ることはできないんだってさ。
「守ってねって言われたから、守り続けないといけないの。」
「……住んでる人もいないのに?」
じいちゃんの家には、もう、誰も住んでいない。
この古い長屋には、数年前、じいちゃんが入院して以来、誰も住んでいないのだ。
自分が誰であるのか忘れてしまったじいちゃんは、何が食べ物なのかすらわからなくなってしまった。
……もう、ここには戻ってこないのだ。
この、親友が守り続けてきた長屋。
建物が古すぎて、大きすぎて……壊すこともままならない。
どこかに崩壊の兆しはないか、誰かが不法侵入していないか、それをチェックするために、俺が休みの日に訪問し続けているのだ
空気の入れ替えをするついでに親友の顔を見て、いろんな出来事を報告するために、俺が休みの日は必ず来るようにしているのだ。
……昔、この長屋には、18人が住んでいたこともあったんだって、じいちゃんから、親友から、聞いた事がある。
今は、誰も住んでいない、倒壊寸前の、この長屋で、……親友は、一人ぼっちで。
昔の口約束なんかに縛られている親友が、気の毒でならない。
「俺、お前の事、ここから連れ出してやるよ。」
俺は、親友の手を取り、土間を抜け、玄関へと向かった。
昔は同じくらいの目線だったのに、今は…親友の頭が、腰のあたりにきている。
「……いいの?」
「……いいんだよ。」
俺は、俺を心配そうに見上げる親友の手を取り、外に連れ出した。
……連れ出したと、思っていたんだ。
夕日に染まる、親友の姿。
「ああ、……キレイ。」
オレンジ色の親友が、オレンジ色に、溶けていくのを、見た。
「長い間、……ありがとな。」
……俺の声は、消えていった親友に、届いたのだろうか。
「……ありがとう、…私、笑……あなた……」
オレンジ色の光の中に残る、親友の、残像。
への字口が、上弦の月を描いていたような気が、しないでもなかった。
守り神がいなくなってしまったからなのか、どうかは、わからないけれども。
じいちゃんの長屋は、放火の被害に遭ってしまい、あっという間に消失した。
犯人は無職の中年男性で、不法進入して寝たばこの末に出火したというのだからたまったものではない。
火だるまになって救出されたものの、とても損害賠償の支払い能力がなく、焼け落ちた長屋を見て途方に暮れていたのだが。
「え、保険金、出るんですか?」
「全額出ますので、ご安心ください。」
じいちゃんが入っていた火災保険が下りることになり、更地にすることができた。
「え、俺が相続?」
「じいちゃんも死んじゃったし、あんたしか血縁がいないから。」
とんとん拍子で、長屋の跡地が俺のものになった。
「え、暖簾分けですか?」
「お前も一人前だ、独立してみたらどうだ!」
信じられない話だが、俺は自分の店を持てることになった。
長屋の跡地に、俺の店を建てることにした。
自宅を兼ねた、小さな町のパン屋だ。
100坪の土地に、駐車場六台分完備のパン屋が建ったのは……もう三か月も、前の話。
師匠の太鼓判もあってか、店の経営は順調だ。
幼い頃、親友と一緒に粘土をこねた場所で、俺は今、パンをこねては焼いている。
昔、小麦粘土で、何度も何度もこねた小さな、パン。
俺はガサツで大雑把で……小さなパーツを作るのは、いつも親友の、役目だった。
「てんちょー、完売でーす!」
「ほーい!お疲れ!じゃあ、俺店閉めてくるわ!」
小さな町のパン屋は、商品が閉店時間前に完売することもよくある。
ありがたいことだ、俺は感謝をしながら、店のシャッターを閉めるために外に出た。
……夕日が沈む時間だ。
オレンジ色に染まる、俺の店の前。
駐車場が、夕日を受けてキラキラと輝いている。
目がくらむなあ……、夕日に背を向け、店のシャッターを下ろした。
「……あの。」
消え入りそうな声に、振り返る。
……オレンジ色が眩しくて、お客さんの姿がはっきりと見えないな。
「あ、ごめんなさい、今日はもう、品切れ……で……。」
眩んでいた目が、少しづつ慣れて……への字型の、口元が、見えた。
「……笑えるように、なったから。見せに、来たよ?」
ずいぶん、育っているけれど。
「笑うときは、こうして、口の横を、くいっと上げて、あははははって言うんだよ、ね?」
俺は、この女性を、知っている。
「あはははは。」
「ちょ!!心のこもってない、笑い声!!!」
髪が伸びて、目が大きくなって、……ずいぶん、かわいくなったけどさあ!
棒読みの笑顔じゃ、俺の心は、揺り動きゃあ、しないんだぜ?!
「ふふっ……あはははは!!」
……とびきりの笑顔が、目の前で弾けてやがる!!
本気の笑顔のかわいさに、一瞬で撃沈しちまった、わけだけどさ!!!
「ははっ、あは、あはははは!!!」
つられて、思いっきり笑うしか、なかったわけだけどさ!!!
……おっかしいなあ、笑い過ぎて、涙がちょちょ切れてきちまってさ。
気が付いたら、育った親友も、泣いてんだよなあ。
「あー!!店長が女の子泣かしてる!!!」
「ちょ!!これは!!ちげーんだよ!!」
……まあ、いろいろと、誤解を生んだり、したわけだけれども。
親友は、人間になる許可をもらいに行ったんだってさ。
人間になって、俺に会いに来てくれたんだってさ。
時系列がおかしいじゃんって突っ込んだらさ、ニコニコしながら、神様の力を舐めんなよだとさ。
お前神様だったのかよって驚いたわけだ、俺は。
神様のくせに人間に気使って、何やってんだよってさ。
笑えなくなるくらい押しつぶされるとか、マジねえわ。
俺はこいつを甘やかしてやらねばと思ったね。
ああ、思いっきり甘やかしてやったさ。
親友として甘やかし。
彼女として甘やかし。
嫁として甘やかし。
嫁はさ、ずいぶん寂しがり屋だったからさ。
俺は頑張ったね。
ああ、そりゃあ寂しがらせないよう、目いっぱいがんばったさ。
そのおかげで、小さなパン屋は大きなパン屋になり。
三男三女の子宝に恵まれ。
かつて長屋のあった場所に建つこの家に、20人を超える人数が集まったこともあったんだ。
俺は、嫁がかつて語った、18人に囲まれて過ごした幸せな記憶を……塗り替えてやったのさ。
たくさんの子どもたち、孫たちに囲まれて、嫁が幸せそうに目を閉じたのが…つい、この間の事のように感じる。
「じいちゃん、ぱん、つくってー!」
「おお、ええぞ!」
パン作りは息子や孫たちが頑張ってくれている。
俺はもう……パンをこねる力が、ないからな。
せいぜい、ひ孫たちと一緒に、小麦粘土を、練るくらいしか。
「ふふ、ここ、へたくそ。」
……俺は最近手が震えて、細かい作業ができねえんだよ。
目の前でねんどをこねているひ孫の横には、への字口の……親友。ああ、男なんだか女なんだか、実にわかんねぇなあ、相変わらず。
「細かいのは、お前が作ってくれるって約束じゃん!」
俺が、文句を、垂れると。
への字口が、おおきく弧を描いて、大きな大きな、上弦の半月型になった。
……はは、めちゃめちゃかわいいじゃないか、俺の予想、めっちゃ当たってたし!!!
「あはは!そうだったね!じゃあ、あっちで、一緒に作ろうか!」
俺に伸ばされた手は。
……なんだ、嫁の手、じゃないか。
しっかり握ってやらねえと、すぐにへの字口に、なるんだよな。
ぎゅっと握った、俺の手が、夕焼けの光と、重なる。
「新品の粘土、俺に開けさせろよ!!」
「えー、私も開けたいのに!!」
俺は、目の前でねんどに夢中になっている、ひ孫たちをおいて。
窓から差し込む、オレンジの光の中に、嫁と一緒に……溶けていった。
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