表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋をしてみないかい  作者: たかさば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/21

押し入れ

 小さい頃の私は好奇心旺盛な子供で、いつもいつもお母さんにおこられていた。

 見るもの触るもの、全てが不思議で、確かめたくてたまらなかったのだ。


 クレヨンで色が書けるのも不思議だったし、はさみで紙が切れるのも不思議だった。

 歌を歌うと楽しくなるのも不思議で、踊るとやめられなくなるのも不思議だった。


 あれは、たしか……生まれたばかりの弟の顔にいっぱいできていたニキビに、絆創膏をたくさん貼って怒られた日。


「もう!!すぐイタズラばっかりして!!!ここに入ってなさい!!!」

「あ、アーン!!ごめんなさぃい!出して、出してええええええ!!!」


 お母さんはお仕置きする時いつも、私を、押し入れに閉じ込めた。


 真っ暗な中で、私は一人ぼっちで、泣いていた。

 いつの間にか、泣き疲れて、眠るのが常だった。

 目を閉じていたら怖さも減る、そう信じて目を閉じているうちに眠ってしまうのだ。


「うう……コワいよぅ。」


 一階に行ってしまったお母さんは、しばらく来ない。

 いつだって、押し入れから出してもらえるのは、晩御飯前だった。


 私は、いつもの様に、目を、閉じたのだが。


「……こわい?」


「えっ!!だれ?!やだ!!」


 突然、声が聞こえて、心臓が破裂しそうになった。


「ごめんね、こわくないよ、僕、……押し入れ。」

「お、おしいれ?!」


 真っ暗な押し入れの中で、閉じた目を開いたけれど、真っ暗なままだった。


「いつも君、僕の中に入って怖いっていうから、気になってたんだ。」

「だって、まっくらで、こわいの。」


 目を開けても真っ暗で、ものすごく、怖くてたまらなかった。


「暗いと、怖いの?」

「みえていたものがみえなくなるから、とても、こわいの。」


 ぷくぷくしたピンク色の弟のほっぺも、お気に入りのオレンジ色のクレヨンの色も、いつも着ている水色のスカートも、毎日一緒に寝ているくまちゃんの茶色も、全部見えなくなる押入れが怖かった。


「でも、君は目を閉じて、眠るでしょう?それと同じじゃない?」

「ねるときはいいの、ねないときにみえないのがこわいの!」


 夜寝るときは、目を閉じたら何も見えなくなるけれど。

 ……そのあと、色鮮やかな夢を見るから、平気だった。


 幸せな夢を見るために閉じる目と、開いたまま味わわなければいけない暗闇では、まるで怖さが違っていたのだ。

 押し入れの中は、夢を見るための暗闇ではなくて、大好きなものを見えなくする、怖い場所だったのだ。


「君は、見えないことが怖いんだね。……僕はね、見ることが怖くてたまらないんだ。」

「みるのが、こわいの?」


「僕は、ここにいるから、暗闇しか、知らないんだ。暗闇しか知らないから、この外の世界が、怖い。うん、……とても怖いんだ。」

「そとは、あかるくて、いろんなものがみえるのに、こわいの?」


「何かを、……見たことがないから、見ることが怖いんだよ。」

「じゃあ、あたしがみせてあげる!」


「ここは、暗闇だから、見ることができないよね。だから、……教えてくれないかな?」

「いいよ!おしえてあげる!!!」


 私は、押し入れの中で出会った誰かに、いろいろと教えてあげることにした。


「ひまわりのはなはね、きいろくって、おおきくって、かっこいいんだよ!」

「黄色って、どんな色?」


「え?!きいろは、きいろいいろで……ええと、すごくげんきな、あかるいたのしいいろだよ!」


「チューリップはね、あか、しろ、きいろでさくの、かわいいおはなだよ!」

「赤、白って、どんな色?」


「えっとー!あかは、もえるようにげんきないろで、しろは、すごくおとなしいびじんないろだよ!」


 ……色って、暗闇の中だと、わからないじゃない?


 色という概念がない人に向かって説明するのは、ホントに難しかった。


 トン、トン、トン、トン……。


「あ、お迎えが来たみたいだよ。また、お話してくれる?」

「うん!いいよ!!!」


 がたっ!!シュッ……!


「あれ、起きてる……反省した?!」

「したー、ごめんなさい!」


 私と、押し入れの中の誰か、……自称押し入れ君とお付き合いが始まったのは、その時からだ。


 保育園に入るまでに、何回か押し入れに入れられて、そのたびにいろいろお話をした。

 保育園に入ってからは、自分から押し入れに入って、いろいろお話するようになった。


 押し入れ君は、押し入れの神様なんだって、教えてくれた。

 押し入れの中を守り続けるのが、お仕事なんだって、教えてくれた。


 小学校に入っても、押し入れに入っていたのだけれど。


 その頃から、お母さんがだんだんと……怖くなってきてしまった。


「……ねえ、まだ、外の世界が、怖い?あたしは、暗闇、怖くなくなったよ?」


 たくさん、たくさん、お話をした。

 たくさん、たくさん、外の世界の事を教えてあげた。


 学校の出来事や興味のあること、いろいろ話した。

 一緒にお気に入りの歌を歌ったり、手遊びをした。

 毎日手をつないで、しわを合わせて、お互いを確かめ合った。

 たまに、弱音を吐いたり、泣かせてもらったりした。


 いつの間にか、かけがえのない、大切なお友達になっていた……押し入れ君。


「怖くはないよ。……ただ、勇気が、出ないだけ。」


 私は暗闇が怖くなくなって、ずいぶん好きになったけれど、押し入れ君は、光が、外の世界が怖いままだった。


「あのね。あたし、もう、ここに来れなくなっちゃうみたいなんだ。」

「……うん、知ってる。」


 私は、引っ越しをすることが、決まってしまったのだ。

 この家は、私とお母さんが出ていったら、すぐに壊されてしまう。


「あなたと、……お別れ、したくなかったな。」


 なんでも話せた、暗闇の中の、押し入れ君。

 泣きながら不安を口にした日々が思い出されて、悲しみが、あふれ出した。


「……ねえ、僕が、もし、ここから出ることができたら。」


 ふわり、ふわりと、私の頭を、優しくなでる、押し入れ君の、手。


「君は、僕の手を、取ってくれるだろうか……。」

「あたりまえでしょ!」


 もしかしたら、この押し入れの中から飛び出して、私と一緒に、引っ越ししてくれるのかもしれない、そんなことを、思ったのだが。


「……じゃあ、勇気を出すから。……手を。」


 私の頭を撫でていた手の感覚が、無くなった。

 私は、暗闇の中、手を伸ばして……自分ではない手の平を、捕まえた。


 その手を、にぎりしめたまま、押し入れのふすまを、開ける。


 ちょうど、日の沈む時間帯。


 真っ赤な夕日の光が、勢い良く、私の目に飛び込んできた。


 押し入れの中にいた私の目に、燃えるような赤色が、容赦なく、突き刺さる。


 目が眩んで、しばらく目の前が見えなくなった。


 私は、つないだ手の持ち主を、見ようと……、ふり返った。


 赤い夕陽に照らされる、同じ年頃の……男の子?


 ……強気に光り輝いている夕日の眩しさが抜けず、はっきりと、見えなかった。


「ああ、暖かい。……これは、オレンジ色なのかな?」


 眩んだ目が、見えるようになってきた。


「これは……夕焼けの、茜色…だよ。」


 男の子の目は、閉じている。


「……そっか。いろいろと教えてもらったけれど、僕にはまだ、知らない色があるみたいだ。」


 にっこり笑う、その目は、閉じた、まま。


「私、まだまだ、あなたに教えたいことがあるの。ねえ、一緒に、行かない?一緒に、行こうよ!」


 ……少し悲しそうな、男の子の両手をにぎりしめて、お願いをしたけれど。


「僕は、押し入れだから、……行けない。ごめんね。」


 パタっ……パタ、ぱたっ……。

 男の子の手に、私の涙が、落ちた。


「けど、もし、君が大人になって、許してくれるのであれば。」


 涙の落ちた部分から、男の子が、薄く、薄くなっていく。


「僕は、君に、恋を教えてもらいたいと、思う。」


 真っ赤な夕日が、男の子の体を透過する。

 もう、間もなく、大切なお友達が、消えてしまう事を、悟った。


「それは、出来ないよ。だって、私、恋を知らないもの。」


 透き通った手が、私の頬を伝う涙を拭った。


 ―――じゃあ、一緒に、恋、を……。


 囁くような声は、夕日の赤に飲み込まれて、スウと消えてしまった。


 ……私が、連れ出さなければ消えなかったのかもしれない。

 ……私が、ふすまを開けなければ消えなかったのかもしれない。


 ……私が、出来ないよって言ったから、消えてしまったのかもしれない。


 思い切り泣いて、泣いて、……泣いて。


 夕日の赤が、すっかり暗闇に飲み込まれたころに、私は顔を上げた。


 部屋の中は真っ暗で、まるで幼い頃に閉じ込められた押し入れの中のようだった。


 けれど、いつまでたっても、……優しい声は、聞こえてこなかった。



 誰一人知り合いのいないところに引っ越した私は、中学生になった。


 引っ越し先は小さなアパートで、押し入れがなかった。

 物もほとんどなかったし、自分の居場所も、小さなちゃぶ台の前しかなかった。


 余裕のない生活は、私を無口にさせた。

 怒りっぽくなってしまった母親を刺激しないよう、教科書ばかり見つめる日々が続いた。


 ひたすら教科書を見つめ続けた私は高校生になり、アルバイトをしながらお金を貯めた。

 物のない生活になれていたから、欲しいものはほとんどなくて、学校と図書館を往復する日々が続いた。


 進路を決める時がやってきて、就職をするか進学をするか、迷った。

 母親は私を働かせるつもりだったらしいが、学校の先生が進学を強く勧めてくれた結果、私は大学に入学することになった。

 進学するなら面倒は見ないと言われたので、大学の寮に入ることになった。


 大学生活は、思っていたよりも地味なものだった。

 アルバイトをしながら、毎日大学と学生寮を行き来するだけの生活。

 仲のいい友達はできたけれど、お金の使い方も、楽しい時間の過ごし方もわからない。


 寮生向けのイベントに参加しつつ、あまり楽しめない自分がいた。

 確かに笑ってはいるけれど、どこか自分の感情が遠い所にあるような、感覚。

 私は、あの押し入れの中に、感情を置いてきてしまったのかもしれないと思った。



 夏を過ぎたころ、近隣の大学学園祭があった。


 寮の友達に誘われたので一緒に出掛けたのだが、友達はあっさりとナンパされて、私は一人になってしまった。

 あまり人ごみは好きではなかったので、帰宅する事を決め、会場内を一人で歩き始めた。


 人ごみに流されて進んでいたら、ふと、人混みの山が途切れる場所があった。前方は人が溢れていたので、少し、足を止めた。


 あまり人気のない出し物の様だ。


 テントの前はひらけており、中には人がまばらで、奥に長机が二つ、椅子が四脚、その横には……盲導犬?

 同じTシャツを着た学生さんが長椅子の向こうに一人と、盲導犬の前に一人、あと先生と思われる女性が盲導犬を触る客に声をかけている。


「手相占いだってー!やってこー!」


 どうやら、このブースでは、手相占いをやっているらしい。

 お客さんが、長机の前に座った。


「いらっしゃいませ、僕は目が見えないので、手を握って占います。右手を、出してもらっていいですか?」


「え、何、手握るの?!うわあ、キモっ!!やっぱいいや、じゃあね!」

「あーん、まってよー!」


 この手相占いは、手を握って調べるらしい。


 お客さんの逃げてしまった男子学生は、少し残念そうな顔を、している。

 ……残念そうな、閉じた目を見ていたら、あの日の記憶が、ふと頭に浮かんだ。


「あの。占って、もらえますか。」


 ……少し、気になったので、占いをしてもらう事にした。


「いらっしゃいませ、僕は目が見えないので、手を握って占うんですけど……大丈夫ですか?」

「ええ、お願いします。」


 目を閉じたまま、にっこり笑うその、笑顔は。


 ……どこか、懐かしくて。


 閉じた目に、私の中にある思い出が呼び覚まされているのだと、思った。


 両手を差し出すと、優しく、手を重ねられた。

 誰かの温かさを、久しぶりに与えてもらって、少しだけ、頬が暖かくなった。


「……運命の相手が、あなたを待っています。寂しかったでしょう?大丈夫、これからは、ずっと……あなたのそばにいたいと……願う人が。」


 ―――ねえ、ほら、僕の手と君の手は、こんなにもぴったり重なり合うね。

 ―――ほんとだ、このくぼみのところがちょうど重なるんだ!


 押し入れの中で、手を重ね合わせた時を、思い出した。

 あの時も、こんな風に、手の平を重ねて、指先を合わせて。


 ―――ギュって、握っても、良い?

 ―――いいよ!!!


「ギュって、握っても……良いですか?」


 私の返事を、聞かずに。


 ギュっ……。


 私の手が、大きな手に、握りこまれた。


「……あの。僕、生まれつき、目が見えないんです。一度も、色を、見たことがなくて。突然で、申し訳ないんだけれど、……色を、教えてもらえませんか?」


 私の知る、私の手をギュッとにぎりしめる人は、いつだって、最後に、三回、力を、少し、こめて。


 ……キュっ、……ギュっ、……ギュゥっ!


 私は……この、握り方を、知っている!!!!!!


 ずっと、ずっと、忘れなかった、忘れたくなかった、大切な、思い出!


 この人は、もしかしたら……!!!


「……ひまわりの花は、黄色くて、大きくて、かっこいい!!すごく元気な、明るい楽しい色で……!」


「赤は、燃えるように元気な色で、白は、すごく大人しい美人な色……だよね?」


 ぽたり、ぽたりと、涙が、こぼれた。


 パタリ、パタリと、涙が、手の甲に落ちる。


「ねえ、消えない?」

「うん、消えない。」


「ねえ、私、恋を教えることはできないけれど!」

「僕と、恋をすることは、……出来そう?」


「できる!!」



 押し入れ君と一緒に恋をした。


 押し入れ君は、神様をやめて、私と恋をするために人になったんだって、教えてくれた。

 神様をやめた押し入れ君は、ただの人になってしまったけれど、ずっとずっと、私のそばにいるからねって、言った。


 恋を知り、愛が生まれて、夢が膨らみ、幸せが溢れた。


 たくさんの世界を見て、たくさん伝えた。


 かけがえのない、大切な人と過ごす時間は、あっという間に過ぎていった。


 いつしか、私の見る世界はかすみ始め、伝える言葉さえ、たどたどしいものになってしまった。


 それでも、私の愛する人は、いつでも笑って、私の言葉を待っていた。


「迎えに来るから、待っていてね。……僕との、約束。」

「うん。」


 一人ぼっちになってしまったけれど、私は寂しくなんかない。


 目を閉じれば、暗闇がすぐに私を包んでくれる。

 目を閉じれば、押し入れの中で一緒に手を取り合った時代が思い出される。

 目を閉じれば、この世界で共に生きた愛しい人の姿が思い出される。


 ぼんやりした視界で、ぼんやりしながら毎日を過ごす。


 ぼんやりしてはいるけれど、私の心には、いつだって。


 ……恋をしていた時の、華やかさがある。

 ……恋をしていた時の、喜びがあふれている。


 ……ああ、そうか。


 私は、きっと、今も恋をしているのだ。


 愛しいあの人を思って、切ない気持ちを抱きしめながら、ずっとずっと、待ちわびている。



 今日も私は、起き上がることすらせず、開けた目を、また、閉じた。



「……お待たせ。」



 懐かしい、声が聞こえた。



 ……目を、開けようと、したけれど。



 とても、とても……疲れて、しまって。



 ……キュっ、……ギュっ、……ギュゥっ!



 ああ、懐かしい、手の、握り方。



 私は、もう、握り返す、ことが。



「さあ、一緒に行こう?」


「うん!」



 明るい世界に、老いた体を残し。



 私は、愛する人とともに、闇の中に……消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ