神様に憧れて
「かみさまかみさま、どうかはがぬけますように!」
私が初めて神様にお祈りをしたのは、幼稚園の頃だった。
日曜までに歯が抜けなければ、歯医者で麻酔を打って、抜歯することが決まっていたのだ。
どうしても歯に注射を打ちたくなかった私は、おじいちゃんに相談をした。
そしたら、神様にお祈りしてごらんと言われて、素直に、天に向かってお祈りをしてみたのだった。
―――うん、わかった!
歯は、金曜日の真夜中に抜けた。
土曜日の朝、枕元に抜けた歯が転がっていたのだった。
「かみさま!!ありがとう!!!」
―――どういたしまして!
私は、ずいぶん天真爛漫な子供だったから、困ったことがあるたびに、神様にお祈りをするようになった。
「リコーダーのテストでうまくふけますように!」
―――うん、わかった!
リコーダーのテストのとき、一度もミスをしなかった。
どれだけ練習しても、シのシャープが出なかったのに、びっくりした。
「あしたの遠足ははれますように!」
―――うん、わかった!
台風接近中だったのに、風ひとつない晴天になった。
次の日、一瞬大雨が降って、校庭に大きな虹がかかってびっくりした。
「先生がもう怒っていませんように!」
―――うん、だいじょうぶ。
園芸委員の草取りを忘れてこっぴどく怒られた日、最終下校まで残って草を抜いた。
次の日、ニコニコした先生に四葉のクローバーのしおりをもらって、びっくりした。
「お友達にごめんねって言えますように!」
―――うん、だいじょうぶ。
修学旅行のグループ分けでもめて、お友達の一人から無視されるようになってしまった。
思い切って旅行中に謝ったら、すごく仲良くなって親友になってびっくりした。
「勉強の成果が実りますように!」
―――うん、大丈夫。
何冊問題集を解いても、どうしても満点が取れなくて落ち込んだ。
入試問題で自分の得意な項目が出て、思いがけず高得点が取れてびっくりした。
「いい就職先が見つかりますように!」
―――うん、大丈夫。
超就職氷河期、何度面接に行ってもまるで相手にされず弱気になった。
たまたま学校訪問していた企業の人事課の人に気に入られて、入社が決まってびっくりした。
神様にお祈りするたびに、いつもいつも私は助けられてきた。
とっても頼りになる、飛び切りの神様が私にはいるんだ、そう思うだけで、自然と笑顔になれた。
とっても頼りになる、飛び切りの神様が私にはいるんだ、そう思うだけで、いつだって前に進むことができた。
いつしか、私は神様に憧れのようなものを、抱くようになっていた。
いつも私の願いを叶えてくれる、ステキな神様がいる。
いつも私の願いを叶えてくれる、ステキな神様が、私には、いる。
いつも私の願いを叶えてくれる、ステキな神様が、私、とっても、大好き!
「神様、いつもありがとう!」
―――どういたしまして!
私は、むやみやたらと祈るようなことはせず、いつも空に向かって感謝をするようになった。
お願いを聞き届けてくれる神様に、いつも頼ってばかりいたら。
神様に頼りきりの人生を送ってしまったら。
憧れの神様に、そっぽを向かれてしまうかもしれないもの。
神様に私の頑張りを見てもらえるように、私はわたしのできる事を、一生懸命やろう。
神様に呆れられたりしないように、私はわたしとして、精いっぱい真面目に生きていこう。
働き始めて二年目。
大好きなおじいちゃんが、亡くなった。
おやすみをもらって、お葬式に出て。
仕事に、復帰したけれど、私は悲しみに囚われてしまって。
いつまでたっても、悲しみが消えない。
いつまでたっても、前が向けない。
いつまでたっても、笑顔が取り戻せない。
「もう一度、笑うことが、できますように。」
誰もいない、公園のベンチに座って、青い空を見上げて。
私は、空に向かって、久しぶりに…神様にお祈りをした。
―――笑いたいの?
・・・悲しいなら、悲しんでいたら良いんだよ。
青い空には、雲一つ浮かんでいない。
・・・吸い込まれそうな、青さが、目に染みて。
私は、涙が、止まらない。
「涙が、止まりますように。」
―――止めなくても、良いと思うよ。
・・・涙は、流したいだけ流そうよ。
「悲しみを、忘れることが、できますように。」
―――忘れなくても、良いと思うよ。
・・・悲しみは、いつか抱き締める事ができるから。
青い、どこまでも青い空を見ていたら、いつの間にか、私の涙は止まっていた。
青い、どこまでも青い空を見ていたから、私は、少しだけ…元気に、なれた。
青い、どこまでも青い空の、どこかには。
きっと、神様が、いて。
…私の、願いを、叶えて、くれたと。
「私は、もう、大丈夫…。」
自分に、言い聞かせるために、私は、つぶやいた。
―――ねえ、本当に…大丈夫?
・・・自分の、気持ちに、嘘をついたら、ダメだよ。
おかしいな、私、自分の声を聞いた途端に、また、涙が…こぼれてしまった。
神様に、私の願い、届かなかったのかも、知れない。
…涙が、止まらない。
ああ、ダメ、こんなんじゃ、私。
まだ、全然。
「…大丈夫じゃ、ない。」
―――じゃあ、大丈夫になるまで、僕が一緒にいてあげる。
・・・一緒に、いたいんだ。
青い、どこまでも青い空を見ていた私の目に、突然男性が、映りこんできた。
「…大丈夫?」
「えっと…その、うん、大丈夫じゃないけど、大丈夫ですっ…!!!」
突然の事に、戸惑う私に。
「大丈夫じゃないよ。」
男性は、ハンカチを、差し出してくれたのだった。
男性は、いつしか私の横にいるのが…当たり前になった。
「ねえ、ちょっと働き過ぎなんじゃない?」
「ううん、大丈夫!」
「…大丈夫じゃないよ。」
過労で倒れる寸前に、男性に拉致されて全身マッサージに連れていかれた。
「これ、ちょっと塩が多いんじゃない?」
「大丈夫だと思うけど…。」
「…大丈夫じゃなかった。」
おかしな料理を食べさせてしまい、男性が体調を崩して病院送りになってしまった。
「ここ曲がるのはちょっと無理なんじゃない?」
「大丈夫!私の運転テクニックなら!」
「…大丈夫じゃなかったね。」
新車でドライブに行って自信過剰が幸いし、納車三日目でマイカーはディーラーに舞い戻ることになった。
ずいぶん、私は、無茶をしてきたみたい。
どれほど、大丈夫じゃない大丈夫を、男性に向かって言い続けた事か。
「あのね、君、いろいろと大丈夫じゃないから心配でならないよ。」
男性が差し出したのは。
…おそろいの、プラチナリング。
私は、ずいぶん、ずいぶん…旦那に、大丈夫じゃないと言われ続けて。
「もう私…大丈夫じゃ、ないみたい。」
「…大丈夫。」
微笑む旦那の、笑顔が、眩しい。
「ねえ、私、空が見たいな。」
「…大丈夫かな?看護婦さんに、許可もらって来るね。」
車いすに乗って、病院の屋上にやってきた。
パタパタと、洗濯されたシーツが…風に、揺れている。
私は、青い空を、見上げた。
ああ、青い。
青い空には、雲一つ浮かんでいない。
・・・吸い込まれそうな、青さが、目に染みる。
目に、染みるけれど。
涙は、こぼれない。
微笑みが、こぼれる。
空が、昔と何一つ変わらずに、ずっと、奇麗なままだったから。
私は、久しぶりに、神様に、お祈りをしてみようと、思った。
・・・思った、けれど。
祈りたい、願い事など、何もなかった。
なぜなら、私はこんなにも満たされている。
なぜなら、私は、こんなにも、幸せだもの。
この体は、ずいぶん、大丈夫では、ないけれど。
この体は、ずいぶん、私に、幸せを感じさせてくれたもの。
…そうだ、私、神様に感謝をしよう。
「神様、ありがとう。」
「…どういたしまして。」
私の横に立つ、旦那が、ぼそりと、つぶやいた。
「あなた、神様だったの?」
「うん。」
旦那は、神様だったみたい。
「あのね、私、貴方の事、昔から、大好きだったの。」
「うん、知ってる。」
私、あなたに、いっぱいあなたと仲良くなりたいって、お願いしたの。
「今も、大好きなの。」
「うん、知ってる。」
私、あなたに、あなたの幸せをたくさん、お願いしたの。
私、あなたに、あなたと一緒に幸せになりたいって、いっぱいお願いしたの。
私、あなたに、あなたといつまでも一緒にいたいって、いっぱいお願いしたの。
「ありがとう、私の願いをたくさんたくさんかなえてくれて。」
「どういたしまして。」
神様が、私と目線を合わせて…私を、優しく、見つめている。
「…君が大丈夫になるまでと、決めていたんだ。」
「…君が、大丈夫になるまでと、決めていたはずなのに。」
「君がいないと、僕が。」
「あなたが…?」
「僕が、大丈夫じゃ、なくなってしまった。」
「君がいなくなってしまったら、僕は大丈夫じゃ、なくなってしまうから。」
「なくなって、しまうから…?」
「僕も、一緒に、行くって、決めているんだ。」
「一緒なら…大丈夫?」
「一緒なら…大丈夫だよ。」
「そっか、じゃあ、何も心配しなくて、いいね。」
「・・・うん、大丈夫。」
神様を見つめていた私は、なんだかとっても疲れてしまって。
旦那が、車いすを押してくれている途中で。
スッと、眠く、なってしまった。
私は、いつの間にか。
病院のベッドの上で微睡んでいて。
自分が。
眠っているのか。
起きているのか。
それさえも、わからなくなって。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
「じゃあ、行こうか。」
「私も、行って、いいのかな。」
「もちろん。」
私は、大好きな神様と。
手をつないで、青い空の中に、溶けていった。