1.8.知っている事
「教える前に一つ忠告。信じられないっていう言葉は禁止ね」
「「え?」」
「梶原君もだよ。いいね」
「あ、はい」
八樫は説明を前にそんな事を言った。
だがその目は真剣なもので、有無を言わさない程の力が凝っているように感じられる。
二人の意志を確認した後、ゆっくりと話始めた。
「梶原君は知っているだろうけど、俺は八樫という名前の最後には屋という文字を付ける。それはこの仕事をしている時だけの名前」
「その理由を聞いても?」
「特に意味らしい意味はないが、強いて言うなら自分を変える為だ」
「え?」
「今俺たちが置かれている状況は普通の事件とは格が違う。常識なんて物は捨てた方が良い。そんな場所に身を投じるなんて馬鹿のする事だが、俺はその類の人間だ。だから常識を持つ八樫と言う名前と、怪異に立ち向かう八樫屋という二つの名前を使い分けている。な? 意味らしい意味なんてないだろ? これは俺の自己満足の物なんだから」
確かに何を言っているのか理解できない。
この話は本題ではない様だし、聞き流してもよかったのだが怪異という言葉に引っ掛かりを覚えた。
比喩表現で使っているわけではなさそうだし、何か明確な意図をもってして言い放った言葉だという高尾tが分かる。
だがそれを聞くよりも先に、八樫は話を進めていく。
「ここからが本題。まず第一に神はいる」
「はぁ」
「そしてそれをこの地球上に召喚することも出来る」
「は?」
流石にそれには首を傾げるしかない。
神は確かに信じている者は多いし、日本にもそう言った風習はある。
だが所詮架空上の存在であり、信じない者が多いのも事実。
しかし今彼は何と言った?
そんな架空上の存在を召喚すると言ったのか?
信じられない。
そんなことできるはずがない。
「だから、その言葉は言うなって。話が止まるから」
無意識に口に出してしまっていたらしい。
すぐに口を閉じて、また話を聞く体勢を作る。
彼は一拍おいてから、また言葉を選ぶようにして口を開く。
「これが教団が作られる理由。そしてこの皮膚の兄弟団というのも教団の一つ。実際に神を召喚して生贄を捧げ、見返りを求める」
「……その見返りとは?」
「……すまん、教団が何を見返りにしているかは流石にわからない。俺が分かるのはその神に繋がることだけなんだ」
人の求める物は神に直接つながることではない。
だが八樫はとある事情により神の大部分を把握することが出来ていた。
今までの情報から教団の在り方を読み取り、神の名前をも把握している。
「名前、聞きたいか?」
不気味な表情をしながら、彼はそう尋ねて来た。
ここまで言って確認をするのかと思ったが、こうして聞いてくるという事は何かあるのだろう。
だが聞かないという選択肢はない。
万巳は小さく頷いた。
「皮膚なきもの」
「……え?」
「それが皮膚の兄弟団が崇拝する神の名前だ」
そんな名前が神の名前?
思っていたより短いし、覚えやすい。
名前だけでどのような神であるのかが理解できる安直な物だ。
その様な神など聞いたこともない。
聞いたことがあれば覚えているだろう。
こんな簡単な名前中々忘れられるものではないからだ。
しかし、梶原はその名前を聞いて難しい顔をしていた。
彼は昔あったことを思い出しているかのようで、少し顔を青くしながら目を見開いて考え事をしている。
「何か、思い至ることがあるようだな」
「……」
その事に気が付いた八樫は、梶原にそう聞いてみた。
だが梶原は答えない。
いや、答えれないと言った方が適切なのかもしれない。
昔あった出来事を肯定されるのが恐ろしいのだ。
口にしてしまえば、それが嘘ではなく本当にあったことであると証明されてしまいかねない。
「は、早く……! 早くここを……!」
「分かっている。万巳君。もういいかな」
「は、はい……。なんか、ごめんなさい……」
「いいよ。君はまだ人を疑える。それだけで君が正気であると教えてくれているんだ。悪い事ではないよ」
また変なことを言い出した。
そんな事を心の中で呟きながら、三人はようやく脱出の手段を考える為に動き出す。
まずはここの見取り図が欲しいが、探してみた感じはなかった為、このまままっすぐ進んでいくことになった。
彼らの事をまだ信じられているわけではないが、今はついて行く他に選択肢はない。
事務室の扉が閉まる音は、やけに大きく聞こえた。