4.7.雪崩
次第に強くなる風が、振っている雪を地面に叩きつける。
暗くなると同時に寒さも厳しくなってきて、少しでも窓の外に近づこうものなら、ひんやりとした空気が肌に伝わった。
だが今は夕食の鍋を食べているので、体は暖かくなり寒さが気にならない。
逆に少しだけ汗をかいている。
この冷たい空気が心地い程だ。
鳥取は蟹が有名である。
松葉蟹の鍋料理は寒い時期であるからこそ美味しく感じられる。
そうでなくても普通においしいのだが、やはり寒い時期に食べるとよりおいしく感じることができるし、ネットで調べてみれば三月の松葉蟹旅行が一番おすすめなどといった記事も出てくるのだ。
ただでさえ高価な蟹だ。
不味いわけがない。
蟹味噌が鍋のスープをより一層引き立て、真っ赤になった蟹が足を覗かせている。
野菜と一緒にスープをお腕に入れ、スープに野菜を絡めて食べる。
濃厚な味が口いっぱいに広がり、新鮮な冬野菜の食感も相まって思わず口元が緩む。
既にほぐされて蟹の甲羅に詰められた身も、とても美味であった。
一緒に飲む日本酒が、鼻を突き抜ける。
「~~! 美味しい~……!」
蟹を最後に食べたのは何時だっただろうか。
覚えていないなぁと思いながら、また蟹の身を口に放り込む。
一人で食べるのは少し寂しいが、こういうのもまたいいものだ。
蟹鍋に舌鼓を打ちながら、大人っぽい旅行をしているなぁと呟いた。
そう言えばあんまり仕事をしていない。
あれから暫く石井と秦野と一緒に会話をしていたら、知らない間に食事の時間になってしまっていた。
彼女たちも風呂に入るのを忘れていた様で、食べてから入ろうと二人で決めて宛がわれた部屋へと戻って行った。
歳が近いのか妙に話があったので、三人共が会話を区切るタイミングを完全に逃してしまったのだ。
だが万巳は彼女たちと会話をしてとても楽しめたので満足である。
しかし後で八樫に怒られなければいいなと願う。
何はどうあれ仕事をさぼってしまっているということには変わりがないのだ。
できればあまり咎められませんようにともう一度願うが、蟹が美味しいのでその不安はすぐに吹き飛んでいく。
だが思い返してみるが、あの場所で会話をしている時に風呂に入る者や横を通り過ぎて行くような人物はいなかったように感じる。
八樫がこちらを見た時はギクリとしたが、何も言われなかったのでとりあえず良しとする。
それ以降は本当に誰も通っていない。
竿宇治と虚化という人物も帰ってきてはいなかったし、あと一人の観光客も見つからない。
重要なのは従業員なのだが……何故旅館の人はあまり姿を現さないのだろうか。
不思議なものだ。
「ふぅ~ご馳走様でした。……満足……」
蟹鍋を平らげた万巳は、大きく息をついて満足げに腹を撫でた。
やはり美味しい料理は不安ごとを吹き飛ばしてくれる。
この宿は当たりだった。
今度個人的に来てのんびりしてもいいかもしれない。
仕事なのにこうしてのんびりできるのは、私立探偵の特権なのだろうか。
以前に仕事よりも大変だが楽しい。
クビになってよかったなと思いながら、置いてあった水を飲んだ。
そこで、宿が揺れた。
「うおおおお!!?」
大きな音が外から鳴り響く。
一方向から音がしているので地震ではなさそうだが、それでも宿が揺れたのだ。
地震だと勘違いする者も多いだろう。
少しすると揺れは収まった。
二階部屋にいたので余計に揺れを感じることができたらしい。
今の音は一体何だったんだろうと思って廊下に出てみると、隣の部屋からさっきまで話していた秦野と湯村も顔を出していた。
「あ! 万巳さん! さっきの何!?」
「わ、私も分からないですよ……」
背の小さな湯村が楽し気に聞いて来た。
こういったことを体験することがあまりないのか、少し興奮している様だ。
しかし秦野は少し怯えている。
興奮している湯村の背中にぴったりとくっついて、周囲をキョロキョロと見渡していた。
不安そうな表情をしながら声を掛けてくる。
「も、もう大丈夫よね……?」
「大丈夫だよ! 揺れるだけで何もなかったしね」
「それが怖いのだけど……」
「はは……。でも原因が分からないと不安になりますよね。ちょっと外行って確かめて来ますよ」
「ええっ!? だ、大丈夫なの……?」
「まぁ連れもいますので」
勝手に八樫を連れて行くことに決めた万巳は、一度部屋に戻って服を着替える。
防寒具をしっかりと着込んでから、外を見に行く為に部屋を出た。
その間に八樫に連絡をしてついて来て貰う様に頼むことにする。
二コール目で八樫が電話に応答した。
速いなと思いながら、外に行く旨を伝える。
「いいですかね?」
『構わないよ。俺も確認しようと思ったんだ。これが原因かもしれないしね』
「なるほど。私はすぐ行けますが」
『今外で待ってるよ』
「早……。まぁ一階ですもんね」
八樫の部屋が一階にあるというのもあるだろうが、男の人は基本的に身軽だ。
それが酷く羨ましい時もあるが、身についてしまった習慣はなかなか拭えるものではない。
とりあえず早く合流しようと、少し駆け足で階段を降りて行く。
階段から降りたところで声を掛けられた。
「あら、万巳さん。こんな遅くにお出かけですか?」
「さっきの音が気になりまして」
「ああ、そういう」
竿宇治が少し寒そうにして、頭にフードを乗せた。
カメラを持っているし、明らかに外へ行くつもりなのだろうということが見て取れる。
「竿宇治さんも調べに行くんですか?」
「そうですね。仮にも記者なので、こういったことは確認しておくと後々便利なこともありますから」
「へぇー」
「じゃ、行きましょうか」
それに頷き、靴を履いて外へ出た。
玄関の外では、白い息を吐いている八樫が暗闇に慣れるためか目を瞑っていた。
音を聞いて、片目だけを開けてこちらを向く。
いやな顔をした後、少しため息を吐いて肩を竦めた。
だがそれは万巳に対してのものではないということがなんとなく分かる。
「どうしました?」
「……いや、え? こいつも来るの?」
「ひどいなぁ、八樫さん。僕は記者だって言ってるじゃないですか」
「はぁーー……まぁいいや……」
こんな嫌な顔をするなんて、この二人は一体どういう関係なのだろうかと首を傾げた。
竿宇治が八樫の名前を知っているあたり、知り合いではあると思うのだが。
一拍おいた後、八樫は歩き始める。
音のした方角は山の方だ。
この辺にはここくらいしか家が建っていないので、被害はないだろう。
「八樫さん。あの音は何ですかね?」
「多分雪崩だ。雪が解けて落ちてきたのかもしれないね。にしては少し妙だけど」
「妙?」
「うん」
そう言って、八樫は近くの山を指さした。
まだ雪が積もってはいるということが分かる程度で、あとは木が密集していて地面が見えない。
それが見えるのはほんの一部だ。
あれが何か変なのだろうかと首を傾げるのをよそに、八樫は説明する。
「雪崩が発生しやすい条件、知ってるかい?」
「え、いや……あんまり」
「よく聞くのは角度が三十度以上で、低木や草地、まばらに植生している場所なんかでよく起る。だけど、この辺は太い木も多いし、密度も高い。あんまり雪崩は起きないはずなんだよね」
夜なので暗くてあまり分からないが、確かに木の密度は多い様に感じられる。
朝見た時も木々が多くあったと記憶していた。
それにここは冬に登山でするような山ではない。
巻きだれには注意しなければならないが、この辺にはそういったものはないし、雪山登山で見るような雪庇はクラック、雪皺なども見受けられなかった。
「ええと、つまり?」
「雪崩に必要な角度は十分にある山だけど、木々が雪を受け止めてくれるから普通だったら雪崩は発生しない。何か強い衝撃が加わらない限りね」
「……あの、八樫さん? それって貴方の専門分野ですか……?」
恐れるように聞いた竿宇治が、少し身を引いた。
彼も八樫の事を八樫屋として知っているのかと少し驚いたが、そうなってくるとここからはさっさと逃げた方がいいに決まっている。
発生源の起きた場所に行くなど自殺行為かもしれないのだ。
ジロリと竿宇治の方を睨んだ八樫はため息をついた。
そして首を横に振る。
「それを確かめに行くんでしょうが」
「付いて来なきゃよかった……」
「まぁもう見えてるけどね」
「うぇ!?」
頭を抱えたり一気に距離を取ったりと忙しないが、こういった人が一人いると少し怖いという感情が薄れて行く気がする。
クスリと笑った後、八樫が指をさす方角を見る。
確かに雪崩が起きていた。
雪の大半は山と畑の間にある大きめの水路に落ちたようなので、被害らしい被害はない。
しかしその水路の水嵩は浅い。
それに随分広い範囲で雪崩が起こったらしく、雪崩で樹木も何本か巻き添えを喰らって倒れていた。
雪崩の爪痕をじっと見つめる八樫。
何か不自然なところがないかを確認している。
暗いので正確には判断することができないだろうが、それでもできる限りこの光景から情報を読み取ろうとした。
「……」
「どうですか?」
「か、帰らないの? てか大丈夫だよね……? 僕あんなのにまた絡まれるとか本当にごめんだからね……!」
「……ああ」
その声は、だるそうなものだった。
何かを理解したと同時に、貧乏くじを引かされた時の妙な諦めを感じ取ることができた。
「最悪だ」
万巳と竿宇治が固まった。




