2.8.魔犬
あれから一日が経った。
この日、恐らく前田は魔犬に襲われて死んでしまうだろう。
できることが少ない今、まずは情報の収集を第一としなければならない。
あの存在について、彼は名前しかまだわからないのだ。
朝起きた後、コーヒーを飲みながら時計を確認する。
時刻は八時二十分。
万巳も既に事務所内にいて、とある人に連絡を取ってもらっていた。
「あ、もしもし。八雲さんですか? 私は八樫探偵事務所で八樫さんの助手をしております、万巳という者なんですけど……」
古町医療大学の教授である八雲恵。
今彼らが頼りにできるのは彼しかいない。
とりあえずあの存在の名前が分かったのだ。
これにより何かが分かるかもしれないと思い、こうして連絡を取ってもらっている。
以前から調べてもらっていたこともついでに聞きたかったので、その事についても聞いてもらった。
だが残念ながら遠吠えに関する都市伝説や言い伝えなどは良い物が出てこなかったらしい。
電話越しからも申し訳なさそうな声が聞こえていた。
「大丈夫ですよ。調べていただいてありがとうございます」
『本当にすいません……。えっと、それで新しい情報というのは?』
「はい。魔犬と聞いて、何か思い当たるようなことはありませんか?」
『魔犬……』
暫くの沈黙の後、八雲は何か閃いたようで声を漏らす。
「何か思い当たりました?」
『あ、はい。ブラックドッグというイギリス全土に伝わっている黒い犬の姿をした不吉な妖精を思い浮かべました。ヘルハウンドとも言います』
「ブラックドッグ……ですか」
八雲が言った言葉を小さく口にする。
すると八樫が開いていたノートパソコンのキーボードを叩き始めた。
すぐにエンターキーが押されて、検索結果が出てくる。
万巳はそれを見ていないので、どの様な物が出てきたのかは分からない。
彼の様子を伺いながら、八雲との会話を続行する。
「どの様な物か聞いてもよろしいですか?」
『人を殺した黒い犬が元になっている物だと思います。これの面白い話が、襲われた農家が火かき棒を投げつけると硫黄の匂いと共に消えた、と言うもの。あ、えーと、もう少し詳しく聞きます?』
「お願いします」
ブラックドッグ。
黒い犬と形容されているが妖精と呼ばれているらしい。
ブラックドッグは大抵の場合、夜中に古い道や十字路に現れ、燃えるような赤い瞳をしている。
人を殺した黒い犬で、十六世紀、サフォーク州のブライスバーグ教会と言う場所で、二人が殺害されたらしい。
そして先程八雲が言った通り、農家にブラックドックが現れた時、そいつに火かき棒を投げつけると、硫黄の匂いと共に突然消えている、という記述を八樫は見つけた。
他にも様々な場所で存在が確認されているようだが、それは全て何かしらの原因で死んだ黒い犬が化けて出てきているのではないだろうかと言う物だ。
様々な時代、そして様々な場所に黒い不吉な犬が現れるという伝承がある。
とは言えそれは全て伝承だ。
鵜呑みにするのは良くないかもしれないが、対策はこれで講じられるかもしれない。
火かき棒。
伝承通りであるならば、件の存在がこのブラックドッグであった場合はこれで何とかなる。
問題なのは前田の家に火かき棒を使うようなところがない事だが、七輪などで何とでもなるだろう。
となれば炭を買ってこなければならない。
火かき棒になる様な物も必要になるが、ホームセンターで見つけることが出来るだろう。
必要なものが分かれば、今日しなければならない行動が決まってくる。
『とまぁ、こんなものですかね……?』
「なるほど……」
『他にもあるかもしれないんですけど、後出てくるのはゲームとかに使われている魔犬なので余り有益な物ではないかもしれません』
「そうですか……。あ、でも教えてくれてありがとうございます。これで何とかなるかもしれないです」
『お役に立てたのであればよかった。また何かお力になれるようなことがあれば、いつでも頼ってください』
万巳は彼の言葉の後、また丁寧にお礼を言ってからようやく電話を切った。
確かに八樫の言った通り、こういう人とは仲良くなっておいた方が良い。
自分たちの知らないことをこうして教えてくれるのだ。
あの時八樫が言った言葉をようやく理解することができた。
楽をする為ではなかったのだと、少し反省する。
「よし、行くぞ」
「何処にですか?」
「ホームセンター。……いや、行ってこい」
「えっ」
急なパシリ。
八樫はすぐに必要な物を言いつけて、コートを羽織って鞄を肩に下げた。
どうやら彼は彼で違う場所に行く予定らしい。
「えっと、買った後は?」
「前田の家の前に置いておけ。とりあえず許可は取っておけよ」
「……ホームセンターから前田さんの所まで徒歩ですか……?」
「運転ができるのであれば奥に突っ込んであるジムニー貸すけど」
「オートマですか?」
「ミッション」
「徒歩で行きます」
流石にミッションは運転することが出来ない。
ホームセンターから前田家まで徒歩で行かなければならないという事に少しげんなりしたが、これも仕事である。
我儘は言っていられない。
それはそうと、八樫の行くところも知っておきたい。
聞いてみると、彼はまた警察署に行くらしい。
「また五十五さんですか?」
「いや、今回は違う。居るかいないか分からないが……」
ガチリと扉の鍵を開けたと同時に、口を開く。
「天樂町警察科学捜査研究員の五十風龍間って人に会いに行く」




