1.10.脱出
女性とは言え、流石に大人一人抱えて走っていくのは梶原にとっては非常に大変な事だった。
武芸を習っているとはいえ、彼が嗜んでいるのは動き回る物ではない。
持久走は苦手なのだ。
「ぐぅ……!」
「ああ……アァ……ア……」
全体重が肩にかかる。
ここまで走って来た疲労も相まって、梶原は膝をついてしまった。
ばっと後ろを振り向いてみるが、そこにいるのは八樫だけ。
誰かが追ってきているということは無さそうだった。
そろそろ彼女を正気に戻さなければ。
そう思って声を掛けようとしたが、流石に息が上がっている状態でそんな事は出来ない。
落ち着くまで深呼吸を繰り返す。
「八樫……さん……! どうです、か……!」
「追手はない。恐らく、失敗したんだろうな」
「そう、なんですか……?」
「あの手の神はとてもデリケートなんだ。最悪召喚者も生贄として見られることもある」
「てことは……全員……」
「可能性は、有る。確証はないが」
もしそうだとしたら、中で起きている事は先ほど見た物よりももっと残酷な物だろう。
それを想像してしまい、少しの吐き気が込みあがってくる。
八樫は話を終えると、すぐにしゃがみ込んで万巳の肩を持った。
瞳を確認して、脈も確認する。
完全に怯えている彼女だったが、どうやら先程よりは落ち着いている様だ。
だがまだ放心している。
「俺の声が聞こえるかい?」
「……」
「ならいい。歩けるか?」
「……」
初めの問いには頷いたが、次の問いには首を横に振った。
恐らく腰が抜けてしまったのだろう。
とは言え受け答えが出来る状態なのであれば、一安心だ。
少し時間が経って恐怖が薄れたのだろう。
もう一度同じ物を見ない限り……もしくはそれ以上の恐ろしい存在を見ない限りは問題ないはずだ。
しかし、こんな状況でも鞄を握っているあたり、相当大切なものが入っていると見える。
無意識下でも人が大切に思っている物が入った荷物があれば、それは意地でも放さない事が多い。
一体何が入っているのかと気になったが、今はそんなことをしている場合ではない。
すぐにでもここから脱出しなければ。
梶原も随分落ち着いたようだ。
だが今度は八樫が彼女を背負うことにする。
追手が来ていないのであれば、この状況でも問題はないだろう。
「梶原。前を頼む」
「分かりました。ったく、まさか反対の方向だったとは……」
「仕方ないさ。見取り図も何もないんだ」
「ほんと、八樫さんが来てくれてよかったですよ」
「俺は来たくなかったんだがなぁ……」
そんな会話をしながら、二人は出口があるであろう方角へと足を運んでいく。
事務所まで戻って来て、中に誰もいない事を確認して牢の方へと向かう。
灯りが無ければ見えないほど真っ暗な空間。
だが途中から燭台が等間隔に設置されているので、そこからは普通に歩いていくことが出来た。
自分たちがいた牢を通り過ぎる。
錆びついた鉄格子が不気味だったが、それ以上に恐ろしい存在を見ているので今更なんとも思わない。
次第に地面に水気が帯び始めた。
それと同時に、雨が降っている音も聞こえる様だ。
「雨の音です」
「近いな……出入り口には気を付けろ。教団員がいる可能性がある」
「了解です」
梶原は腰を落として構えた状態で先行し、様子を伺う。
曲がり角から明るい光が零れているのに心底安心したが、まだ危険は去っていない。
外の様子を中から確認し、警戒しながらゆっくりと歩いていく。
梶原は完全に外に出た。
合図があるまでは動かないで置こうと思った八樫だったが、遠目で見る彼が構えを解いたことに気が付く。
その後、大きく手を振って大丈夫だと伝えてくれた。
小走りで外に向かって走り、雨が降る外へと出る。
周囲は森で、隠れ施設の様な場所にぽっかりと人工的に作られたトンネルがある程度だ。
道らしき道がないことから、これだけの為に作られた施設だという事が分かる。
今年は雪が少ないのか、うっすらとだけしか積もっていない。
「はぁ~……」
「八樫さん。ここが何処か分かりました」
「お」
「ここ、どうやら島根県の様です。ギリギリ電波が通ってるので、麓は近いと思います」
「めっちゃ飛ばされたな……」
彼らの住んでいる場所は岡山にある天樂町という街。
そう考えると、随分長い時間を掛けてここに運ばれてきたことが分かる。
約一名は文字通り飛ばされてきたので何とも言えないが、それでも帰りは自分の足で帰らなければならない。
その事を考えて大きなため息とついた後、万巳を背負いなおして下山することにする。
道は梶原が知っている。
携帯のナビに頼りながら、山を下りていく。
雪の山の中は想像以上に体力を奪われる。
それに加えて今は雨も降っていた。
早く下山しなければこちらが倒れてしまいそうだ。
一時間を掛けて田んぼが広がっている麓まで降りてくることが出来た。
後は助けを呼ぶだけだ。
「当てはあります?」
「ない事はないが使いたくない。またどやされて終了だ」
「人助けしたのにですか?」
「そう言う人なんだよ。そんな境遇になる前に事前に止めれなかったお前が悪いとか難癖付けられるのがオチだ」
「凄い人ですね。間違ってはいないですけど」
「それがまた腹が立つんだよなぁ~」
事が起こってから動き出す警察とはえらい違いだと、梶原は素直に感心した。
その人の事は知らないが、学べることが沢山ありそうだと思う。
「とりあえず……こいつ病院に連れてくか」
「あ、もう大丈夫です……」
「あ!? お前!! もっと早く言えよな!?」
「え、えへへ~……」
「降りろ」
「ふぎゃっ」
手を離して無理矢理降ろす。
一時間人一人背負って下山した苦労は何だったんだと思ってしまう。
そこで、冷たい風が三人の間を通り抜けた。
「「ああ!? 寒ぅ!!」」
「そりゃそうでしょ。ずっとくっついてたんですから」
呆れながら二人を見た後、近くの家を訪ねることにした。
とりあえず助かった、のだろう。
帰路につく為、三人は何とかして駅に連れて行って貰う様に周囲の住民に頼み込んだのだった。




