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1.9.衣服の様に


 一人分の足音が暗い通路に響いていた。

 ここには三人いるはずである。

 だというのに約二名は足音をほとんど立てずに歩くことが出来ていた。

 万巳はそれを真似しようとして見るが、どうしても小さくコツコツという音が鳴ってしまう。

 靴が問題なのだろうか。


 かれこれ数十分歩いているのだが、これといって危ない目に合う訳でもなければ、気になる物があるわけでもなかった。

 変わったことがあるとすれば、蛍光灯が無くなったのでもう一度掛けてあった燭台を手にして、その明かりを頼りに歩いている事だろうか。

 本当は危険な行為ではあるのだが、灯りが無ければ暗くて何も見えないのだ。


 因みに、慎重に歩いている為歩いている速度は非常に遅い。 

 普通に歩けば数分で歩ける距離を数十分かけている。

 暗くて歩いている距離がどれほどなのか分からないというのもあるが、体感的には随分と歩いているように感じた。


「……?」


 すると、先頭を歩いていた八樫が足を止め、片手を広げて後ろにいる二人も止めさせる。

 何だと思って前方を見てみるが、暗くて何があるかは分からない。

 梶原も見えてはいない様ではあるが、構えを取って八樫の表情を横目で確認しながら警戒をしていた。


 その後八樫は、前方の方を二度指差し、次に片開きの扉が開くようなジェスチャーをしてくれる。

 どうやら前方に扉があるらしい。

 だが万巳と梶原にその扉は見えなかった。


 目を凝らしてみてみるが、そこは暗い空間が続いているだけである。

 よくこの暗さで見ることが出来るなと感心したが、今度は床を指さして天井へと指をなぞって走らせた。

 それがどういう意味か分からなかったが、上に目を向けてようやくその意味を理解することが出来た。


 とてつもなく大きな両開きの扉。

 どこぞの有名貴族の屋敷の扉の如く大きなその扉は、門と形容しても問題が無い程のものだった。

 闇に溶ける様な色をしていたので、認識するのが遅れてしまったようだ。

 相変わらず暗くてどのような紋様や紋章が描かれているかは分からなかったが、ぼんやりと凸凹しているという事は分かる。

 近づかなければ見えなさそうだ。


 あの扉の先が出口なのだろうか?

 しかしそのような雰囲気は一切見て取れない。

 どちらかというと、この先に入ってはならないという気がしてはならなかった。

 何か確証があるわけではなかったが、彼らの本能がそう告げていた。


「下がれ」


 小さく呟いた言葉だったが、やけに耳に通る程大きなものだったように感じる。

 それに小さく頷き、一歩、また一歩と後退していく。


 出口はここではない。

 自分たちは真反対の方向に進み続けていたという事が分かった。

 ここに居続ける意味はない。

 すぐにでも下がって本当の出口の方向へと歩みを進める。


 ギッ。

 ギギギッ……。

 ギギィィィイイィイィ……。


 重い扉に力が入り、少し開く。

 暫くすると、完全に勢いに乗ったようにどんどん扉が開いていく。


 振り向きたくはなかったが、無意識にばっと振り向いてその存在を目視してしまう。

 それは全員が同じだ。

 来ると思っていなかった予想だにしていない出来事が起きた時、人はそれを確認してしまう事は普通である。


 扉の奥は篝火があったようで明るい炎の光がゆらゆらと揺れていた。

 隙間から零れ出る揺らめく光が、扉を開けた人物の存在をより一層強調させる。

 出てきた男性は蝋燭の光を見てそこに誰かがいるのだと理解したのか、掠れた声で助けを求めた。


「タスッ……頼む……! たた、たすけッ痒い……痒い痒い!」


 服の上から体中を掻いていたが、それでは満足できなかったのかどんどん服を脱いでいく。

 厚手のコートを乱暴に脱ぎ捨てて、セーターを引き千切ってシャツも同じように千切り捨てる。

 貧弱そうな姿からは似ても付かない力強さを見せたが、それも次の音で異質に変わってしまう。


 ベチャリ。

 何か水気の帯びた物質が地面に落ちた音がした。

 後ろから照らされる光によって、それが何かを理解する。


「ヒッ……!?」


 彼の背中の皮が、べろりと捲れていた。

 それはこちらに歩いていく歩調に合わせて、べちゃべちゃと衣服を脱ぎ捨てる様に剥がれていった。

 見事に皮だけが剥がれ落ち、唯一身に着けていたズボンも皮が剥がれたことによりベルトのサイズが変わったのか、ズルリと落ちて皮のない生きている人体模型が非常に遅いペースでゆっくりと近づいてくる。


 目はギョロッとこちらを向いており、剥き出しの歯は血みどろに汚れ、声にならない声が断片的に発せられていた。

 それは今も尚、助けを求めている様だ。


「ッ、ッ!? ィッ! キャアアアア!! イヤアアアア!!」


 目の前で起きていることが理解できず暫く困惑していたが、遂にその恐怖が溢れ出した。

 何が起きているのかと理解しようとするが、今目の前には異質なる存在が居るという事くらいしかわからない。

 先ほどまで普通の人間だったのに、彼が数歩歩み寄っただけで異形の存在へと変わった。

 到底信じられない。

 信じたくない。

 だが見てしまった。

 これが夢であれば覚めて欲しいと切に願ったが、冷静な万巳はそこにはもう居ない。


「っ! 梶原! 抱えて走れ!」

「は、はいっ!」


 狂気に陥った彼女の症状をいち早く理解した八樫は、すぐに力のある梶原に抱えて走るようにと促す。

 少し乱暴ではあるが、低姿勢から肩を彼女の腹部に当てて持ち上げ、そのまま肩に担いだ状態でバランスを取りながら走っていく。


 八樫は殿を努めながら、後ろの人体模型を確認した。

 流石にあの状態では速く走ることはできないようで、ついてくるという事は無かった。


 だが万巳の叫び声で他の者には存在がバレてしまったはずだ。

 今からできるだけ距離を取り、何とか彼女を正気に戻さなければならない。

 奴らが追い付く前に、何とかしなければ。


 だが幸いなことに、扉の奥からこれ以上誰かが出てくるということは無さそうだった。

 叫び声が木霊する廊下を、彼らは走っていく。

 扉の奥にいる存在に気が付かれる前に。


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