79. 『終点』
老人は足元を切り取り、それを刻んで機関銃のように打ち出しながらラインから一定の距離を置く。
飛来するその全ての座標をラインの電脳は演算し、切り払い、或いは避けた。膨大な負荷が電脳にかかっているのが分かる。コアを内部の発電機が許容できる数まで増設したこの機体であっても、何百もの絶対座標を常に計算し続けるのは容易なことではない。
これが本来の機体であれば、この程度難なく演算し、捉えて見せただろう。
α-2型の模造兵装は先の一発によって故障した。レヴェルのフレームを流用した矢はあと一つ残っている。しかし打ち出す時間を確保する必要があるため、断続的に弾を撃ち込まれ続けている状態では『SAgittarius』を放てない。
しかし、電脳にかかる負荷は未だ許容範囲内。ナノマシンの修復速度、機体の冷却性能、発電機の供給量、ともに均衡を保っている。この状況が続けば、いずれ疲労を見せるのは向こうである。
……そして、それは老人も当然理解している。この状況は千日手に見えて、ラインに有利であること。規格外の存在とはいえ、己の体は所詮は肉でできていること。
ラインが近付けば老人は引く。苛烈な攻撃にラインは容易に近付けない。
これを続ければ、どちらが勝つのかは明白であった。
しかし、老人はこの時間で権能の検証を行っていた。外側への干渉を極度に封じられた今、できることは一つであり、それがこの戦いに勝利する手段となる。
それは、内側への干渉の拡張である。
「《リデフィニア》」
「!?」
今まで距離を取っていた老人が一転、接近を試みるラインに向かって同時に駆け出した。
ラインも接近しようとしていた、というのもあるが、それ以上にその動きは想定より速い。急接近されたラインは、老人の振るう巨大な爪を間一髪で避ける。その腕を切り落とそうと剣を振り上げるが、老人は慣性を無視した動きで腕を引いた。
さらに老人はもう片方の手をラインの手に対して振り払うようにぶつける。
「その剣、触れれば全てが致命傷。しかしそれは貴様も同じこと。ならば、その持ち手にはその効果を付与できない」
影の剣はラインの手を離れ、遠くの地面に柄だけが見える形で突き刺さる。手を離れたのは二振りの内の一つ。残る一本を手放すまいと、ラインは自ら距離を取る。
「……」
左手の制御が効かない。肘より上は正常だが、それより先は半壊に近い。この損傷はラインにとって致命的である。本来なら修復に使用できるナノマシンのリソースはすでに殆ど余裕がない。
これだけの損傷は修復しきれない。
「そして、捉える力は凄まじいが、その機体の性能では捉えられても体が付いて行かない。放たれた弾丸を視認できても、弾丸の速度で動くことはできないように」
そのとき、ごぽ、と老人は血を吐いた。ラインは目を細める。
「……権能を自身に。その動き、時間ですか」
あの血は反動のようなものだとラインは踏む。老人の権能で変更されたものは、やがて元に戻る。その戻る際の反動の結果があの吐血であるのだろう。
今までの速度から見て、あれは1.2倍速ほどで動いていた。致命的な加速ではないが、不意を打たれる形となってしまったことに変わりはない。
警戒しているのは、その限界は何倍なのかということ。近しい機能として、ラインもODSを起動できるものの、制御状態のODS倍率は2倍。ナノマシンを機体の保護に回して、維持できるのはコアの増えた今でも30秒。
観測機を維持した状態ではその半分である15秒にまで減る。
ODSの最大出力、無制御での倍率である10.06倍よりも速く動けるのなら、ラインは相打ちすらできず負けると判断した。
1.2倍以上はこちらも対応して倍率を上げる必要がある。しかし、使用上限は回復しない。高い倍率を使用してしまえば、すぐに停止しても、その後の使用可能時間が著しく減少する。
限られた時間、何倍を刻むのか。ラインはそれを見計らっていた。
「今のでおおよその反動と動きは掴んだ。ああ、欠片ですら、この力のなんと素晴らしいことか……」
老人は再び構える。1.2倍の反動から見て──最大でも2倍。
「……」
ODSを待機状態へ。倍率は2.4倍。算出された限界値は10秒。10秒以内に決着を付ける。老人は両手を地面に付けた。その大きさは、狼を超え、熊すらも超えている。
ラインは動かない左手を剣に添え、迎え撃つように体を引いて構えた。
「次は壊す」
同時にODSを起動。電脳への負荷が一気に跳ね上がり、安全圏を超えた倍率に機体中からアラートが上がる。
──それでもなお、老人の姿が歪んで見えた。
予測を上回る接近速度。演算修正。完了。
3倍。
初弾は爪の払い。盾のように辛うじて構えた剣の柄を狙われた。腕の接続が衝撃で一瞬途切れる。弾かれた剣が宙を舞う。
無防備になった上体に、もう一方の爪が突き刺さる。大部分はフレームによって致命傷を避けたが、内部を引き裂きながら、その爪はラインを大きく削り取った。内部の細かなパーツが飛散する。
コアがいくつか、電源断を起こした。
復旧した右手を腰のブレードに手を伸ばす。
「展開」
開かれたブレードが老人の前腕に食い込み、弾き上げる。老人と目が合う。
表情が分かりにくくなった獣の顔で、確かにその口元が切り裂くような笑みを刻んでいるのが見えた。
狼の口が開く。鋭い牙が複数並び、ラインの方を向いている。あれは、駄目だ。咄嗟にそう思ったラインは、可能な力を全て、後退することに集中した。
空間を削り取られたと錯覚してしまうほどの衝撃が、ラインの紙一重前方で発生する。
ブレードすら、後退する際に手放してしまった。全力で距離を取るが、老人の追撃は無かった。
老人は姿勢を崩し、大量の血を吐き出す。
「は、随分、よく動く」
しかし、老人は強く立ち上がった。反動は大きかったのだろう。しかし、致命傷足りえるほどの反動では、無かった。
「……」
限界までODSを伏せていたため、腕の排熱機構が開いていないが、その皮膚は熱で溶けだしていた。腹部に穴が空いているため、普段よりも冷却されているものの、それによる機能低下の方が大きい。
使用したODSは8秒。コアは1つが機能停止。それ以外の全てのコアも機能が低下していた。
ラインの口から、蒸気が排出される。その腕に雨粒が一つ、落ちた。
沸騰する音を小さく立てて、その水は全て蒸気へと変わる。そして、再び雨粒が一つ、落ち、再び蒸発する。そのサイクルは段々と速度を増し、いつしか大雨となってラインと老人へ降り注ぐ。
降り出した雨を不快そうに老人は見上げた。
観測機の維持が不可能となり、それらは制御を失い、雨に混ざって次々に墜落していく。
残ったリソースのほぼ全ては、剣の維持に回している。これが途絶えれば、直接ラインの周辺を操作され、為すすべなく大破するだろう。
レヴェルのフレームから作った矢をナノマシンによって解体し、小さなナイフに加工する。
その抗う姿を見て、老人は笑う。
「おお、まだ戦うか。俺はもう一度再現できるぞ。貴様はどうだ?」
老人が瓦礫を飛ばす。ラインはナイフでそれを弾くことで答える。
次は二つ。
弾く。
三つ。
一つがラインを削る。
四つ。
二つがラインを貫く。
五つ目を飛ばそうとして、老人は手を止めた。
「……ッ、は」
ラインは膝を付いた。ぱしゃりと水溜まりが弾ける。しかし、老人は追撃をしようとしない。無理やり奪った"座"が軋みを上げているのを感じたのだ。
欠片から権能を引き出していたが、内側とは言え、時間の制御を行った反動は、老人の肉体よりも欠片自体に影響を及ぼしていた。
瓦礫を飛ばすという単純な操作ですら、無駄撃ちを長く続ければ、何かが戻らないほど壊れるような感覚が、老人の中にある。
まだ限界は来ない。しかし、決定打にならないような権能の使用を避けるべきと判断した。
「その動き、ODSだろう。しかし性能が落ちているな。今こうして動けているのはそれが理由か? 本来は稼働率を10倍近くまで引き上げる機能だったが……」
「……」
「使わなかったのは、まだやらねばならぬことがあるから。そして、貴様は――この力が欲しいのだろう?」
ラインは再び立ち上がる。不安定な電脳で覚束ない足を抑えながら、老人を見る。その髪からは雨が滴り、頬を伝って地面へ落ちた。
「……そうです」
「もう一度、再編する気か。この世界から、俺の痕跡をすべて消し、初めからこの世界には機械も、戦争も、魔術も、何もかも無かったことにするつもりか」
「あるべき姿に戻す。それが最初の願いです。あなたを殺して、"座"を手に入れる。そして、この世界から私たちの全てを消し去る」
老人の目に映るのは、満身創痍、半壊の機械人形。観測機が落ちたことから、周囲の剣を維持し続けることが限界であることが分かる。
もう少し、ほんの少し強く叩けば壊れる。
だが、どうして、目の前の機械人形はこんなにも──
「──私が、何に見えますか?」
ラインは牙を剥くように笑う。まるで、獣のように、命のある何かのように、その姿勢を低くし、ナイフを構える。
「……」
「機械ですよ、私は。金属のフレームに、皮を着せた人形。ただの機械です」
「……いいだろう」
"座"は損傷したが、それ以上に引き寄せられた欠片も多い。この人形を粉砕するだけの余裕は十分にある。老人も両手を濡れた地面に付け、脚に力を込める。
「排熱機構、展開」
ラインの前腕の装甲が上腕部へスライドし、排熱が始まる。
皮膚が溶け落ち、銀の骨格フレームが剝き出しになり、空気が揺らめいた。降り注ぐ雨は腕に届く前に蒸発し、両腕から水蒸気が立ち昇る。
稼働率500%。倍率5倍へ設定を変更。最低限の機能の維持を条件に稼働可能時間を算出。
演算完了。
──4秒。
「《リデフィニア》」
「ODS、起動」
閃光と見紛うほどの速度となり、獣はラインへ走る。加速した視覚センサーによって視覚が暗くなり、立ち昇る礫、雨の一つ一つが目で追える。全てを引き裂きながら、それはラインへと迫った。
使用が想定される加速度、算出完了。
倍率、5倍。
振り下ろされる爪をナイフで逸らす。
左腕はいい。右腕は残せ。
それた爪はラインの左肩から腕を削り飛ばす。
アラートが視界に広がる。
逸らされたことで空いた獣の腹部をナイフで切り裂く。浅い。
ラインに掴みかかる腕。
上体を捩って致命傷を避ける。
僅かに掠った爪で衝撃が体中に走るが、ラインはその衝撃が、自身の速度に加わるよう体を動かしていた。
火花と破片を散らしながら、その腕にナイフを突き刺す。
手応えが薄い。
そのまま慣性で腕を真っすぐに引き裂くと、獣の顔が僅かに歪んだ。
振り払われた爪はラインを吹き飛ばす。
ラインの腹部装甲はもはや機能しておらず、半分以上が欠損。
背後の景色が見えるほどに損傷している。
だが、ラインは足を無理やり地面に突き刺した。
ナイフを正面に構える。獣はラインが何をしようとしているのか理解し、嘲笑うように吠えた。
出力を1006%へ上昇。
最大の出力を持って、この獣を殺す。
倍率10.06。
────オーバードライブシステム、全行程完了。
獣の口が動く。
《リデフィニア》
獣はそれを正面から迎え撃つことを選ぶ。
己の加速度を欠片の限界まで引き上げる。その加速度は同じく、10倍。
それは時間にして1秒にも満たない。
ラインのナイフは、獣の首筋に突き刺さる。
しかし、その傷は獣を殺すには足り得なかった。そうなることを獣は理解していた。そして、この爪はこの人形を破壊するには十分だった。
ナイフから手を離したラインに、爪が振るわれる。同じ速度の倍率であれば、一度攻撃した後に受ける攻撃に、防御するほどの余裕は無い。
筈だった。
「《剣、炎》」
ラインの目の前に、赤熱する結晶が浮かんでいる。
獣は目を見開く。
爪がラインを引き裂くよりも、雨粒がラインに届くよりも速く、ラインはその結晶を強く右手で握り、首に掛けられたチェーンごと引き千切る。
バチリ、と漏れた電気が宙を走った。
α-2型の兵装の一部、電磁軌条。
ラインの右手と、獣に突き刺さったナイフ。
その極々短い距離を、その軌条が繋いでいる。
獣は欠片の軋みを無視し、その間を阻むように高硬度の透き通った結晶のような盾を何層にも作り上げる。無から作り出された未知の物質は、欠片が砕け散るほどの負荷をかけた。
しかしその物質は、その存在を許された僅かな時間、この世のあらゆるものよりも硬く、どんな盾よりも堅牢でもあった。
ラインのその右手からは、視認できるほどのエーテルと光の奔流が迸っている。
獣は、その魔術をこの王都で見たことがあった。
無数の砲弾から王都を守り切った、最高峰の魔術の一つ。
右手が動く。電磁軌条によって極限まで加速された光が、触れるもの全てをすり抜けながら走る。
あの格好つけたα-2型のパイロットが見れば、その恒星の如き光に大声を上げて手を激しく叩いただろう。
そうして満面の笑みを浮かべた顔をして、隣で得意げにしている少年とその兵装の名前を考え出す。それを見て呆れている私のそばで、少女が楽しそうに笑うのだ。
ラインはなぜか、ふと、そんなことを思った。
獣と目が合う。その目に浮かんでいる感情は何だろうか。
……あぁ。
光が、獣を撃ち抜く。
「《Sirius》」




