71. 『ちいさなコア』
たった一言。
それだけでレヴェルの体は動きを止めた。
「少し焦りました。魔術が間に合わなければあなたの勝ちでしたね」
「……」
「剣、槍、弓、銃、どんな武器も自分の手の延長線上を狙う必要がある。この魔術はその狙いに割り込んで妨害するものです。《夜》だけでは魔術への妨害ができませんが、あなたのような存在にはこれで十分でした」
ケルを片手の魔術で抑えながら、男はレヴェルに手のひらを向ける。
「《結目、釘、釘》」
甲高い音が響き、レヴェルの胸部が弾ける。衝撃が突き抜けた背中から部品が飛び、周辺へ体温模倣液と共に散らばった。向こう側の景色が見えるほどの穴を開けられたレヴェルは、ブレードを落として膝を突く。
「レヴェ、ル……」
機能停止したように動かないレヴェルに、メアが悲痛な声を向ける。
「これであなただけです。やはり最初から私が出た方が早かったですね。……しかし高出力の魔術を当て続けるのも中々骨が折れます。できればもう諦めていただきたいのですが」
「ふざけたことを……これを続ければ先に限界が来るのはお前の方だ……!」
「その通りです。恐らくもう集団詠唱の部品は数十人程度死んでいるでしょう。だからその前に防御ごと貫きます」
男はケルへ空いている手のひらを向ける。その手に膨大なエーテルが集約している様子が、ケルには見えていた。現状、あれを防ぐ余裕は無い。魔術に最も精通する者として、その事実がはっきりと頭に浮かんでいた。
「くそ……!」
「《永遠、炎、釘──》」
男の手に集まったエーテルが、極限まで凝縮される様子を見たケルは、空を覆う結界を一瞥し、僅かな葛藤を挟んで《神殿》の維持を手放した。
「《──門》」
「《止まれ》」
放たれたのは、まるで太陽を引き伸ばしたかのような光線。その光はケルの前の障壁に阻まれ、轟音を立てながら飛び散る。しかし、その衝突点は僅かに、ゆっくりとケルへ近付いていた。エーテルを強制的に吸い上げた人間が何人も死んでいくのを男は感じながらも、魔術を放ち続ける。
受け止めているケルの手が、焼けるような音と共に焦げ始めていた。
メアは動こうと藻掻くが、既に血が喉を浸して声も出せなくなっているほどの致命傷であり、指先が僅かに震えるのみだった。ケルを焼き尽くさんとする光を放つ男を睨みながら、メアは、その男の背後で何かが動いているのを見る。
それはレヴェルだった。
男の背後で立ち上がったレヴェルは、その首を掴む。衝撃に制御が不安定になった男の手から光の奔流が止まり、その体は空中へと持ち上げられた。
「ぐッ!?」
突然の出来事に男は慌てたように体を捩る。宙に浮いた足が空中を何度も彷徨い、失った地面を無意識に探し求めている。
「確かに、人間の命令の優先順位は高い。特に、命令系統の障害で自我を維持している当機にとって、人間による外部からの命令の再定義は逃れられないもの。そう考えたのだろう」
ぎりぎりと男の首が締められていく。未だ有効であるはずの《夜》は、効果を発揮していない。
武器と使用者の間に介入するように働くこの魔術には、使用者による接触自体を防ぐ機能はないのだ。
「……《釘》……!」
男は苦しみながらも背後のレヴェルに対して魔術を放つ。レヴェルの機体をその衝撃は揺らすが、損傷を与えるに至らない。
「貴君らが狙っているラインは、過去に命令系統へ異常をきたしていないにも関わらず、命令に反した行動をとった。何故か分かるか」
「…こ、の…………き、さ…ッ!」
男はレヴェルの手を解こうと暴れた。しかし、レヴェルは表情一つ変えることなく、男を宙に捕らえ続ける。
「我々機械人形は、自己判断による自身への命令が最優先されるように設計されている。当然本来は使われることのない機能だが……そうだな、つまり──」
骨が軋む。
「──当機は『お前の命令など聞きたくない』ということだ」
「ぁり、ぇ゛…………ぁ……」
「最も、貴君の小さなコアでは一生理解できないだろうがな」
何かが砕ける音と共に、男の体から力が抜けた。
レヴェルは男の体を投げ捨てる。焼けた手を修復しているケルと、目が合った。
「……そういう作戦は、先に言ってくれ」
「ブレードを外した瞬間に考案したものだ。伝える手段がない」
静かにそう返すレヴェルを、心では納得しながらも、ケルは睨んだ。
「くそ……《神殿》の制御を手放すことになった。十分も経たない間に崩壊だ。ついでにあの女も致命傷、この瞬間に病院へ運べば助かるだろうが、ここは実質何も無い砂漠と同じときた」
レヴェルはメアを見る。既に意識が混濁しており、メアの目はレヴェルを捉えていない。そして、メアの状態はレヴェルが最もよく分かっている。
ゆっくりとした足取りで、レヴェルはメアの前に立ち、しゃがんだ。レヴェルの影に反応して、メアの目が僅かに揺れる。
「現在、当機は半数のコアを喪失した。稼働を継続するためナノマシンを消費しているが、それも尽きる。よって、貴君の代理演算をこれ以上維持することは不可能である」
レヴェルは胸元に手をかざす。複雑なフレームが編み込まれたコアが一つ、排出された。
「当機の一番コアを渡す。このコアが自動的に体内のナノマシンが急速修復を実行する。少なくとも、意識が戻ってから数年は生きられるはずだ」
焦点の合わないメアが、指先の力だけで、ほんの僅かに腕をレヴェルの方へ近付ける。蟻一匹にも満たない僅かな動きだった。
「……れ……ゔぇ」
レヴェルはその手を取った。
「またいつか会おう、メア」
メアは意識を失う。手の中にレヴェルは己のコアを握らせると、その場に座り込んだ。レヴェルはこれまでの短い旅を思い出す。γ型として稼働し続けた期間の方が圧倒的に長かったが、それでも、レヴェルとして過ごした時間だけが、その電脳に浮かんでは消える。
分からないことがまだ沢山あった。それでも、レヴェルはそれ以上を知りたいとは思わなかった。電脳が過負荷で鈍くなっていくのが分かる。センサーが一つずつ停止して、メアとの代理演算用通信が完全に途切れる。
そして、動かなくなった。
「……僕一人だけって訳だ」
亀裂が僅かに入り始めている空を忌々しげに見ながら、ケルは呟いた。《神殿》は完全に制御不能。メアは瀕死でレヴェルは機能停止。《神殿》の制御を行っていない分、十全に魔術を行使できるようになったことは喜べなかった。
「いーや、案外そうでもないよ」
ケルの背後から声が投げかけられる。振り向くと、そこには笑顔を浮かべたステラが立っていた。その背中には、意識の無いラインが背負われている。
「その鉄屑もぶっ壊れたのか?」
ケルが問いかけると、ステラはラインをちらりと見て首を振った。
「壊れはしてるけど、修復中。数時間あれば起きると思うよ」
そう言って笑うステラに、ケルはため息を吐いた。
「残念だがその時間はもう無い。《神殿》を手放したからな」
ステラは周囲の状況を見て、ゆっくりと頷いた。
「そうだろうね。レヴェルは……ダメそうか。メアちゃんも、助からないかな……」
「あれでもあの女は生きているらしい。いつ目が覚めるかまではわからないがな」
「……そ。そりゃ良かった」
「お前は本当にしぶといな。ラダーはかなり強かったと思うが」
ケルの指摘に肩を竦めながら、ステラはラインをメアの近くに寝かせる。
「土壇場の覚醒ってやつだよ。うるさくなって新登場した音声付きでね」
相変わらずの様子のステラに、ケルはひどく疲れた顔をした。
「……まったく、最後にお前と二人とはな」
「不満?」
「意外に思っているだけだ。とにかく時間が無い、さっさと行くぞ」
仕方ないと言いたげに両手を軽く上げたメアは、王城へ歩き出したケルを追いかける。少し歩いてからステラはそっと振り返り、メアを見た。
「死なないでね、メア。まだ、君と話したいことがあるんだ」