67. 『魔術』
王都が目前に迫る中、ケルはラインに声をかけた。
「あのとき、魔術を使っただろう」
「──」
ラインはケルの言葉に固まる。
「鉄屑、お前の意思か?」
ラインの少し先を進むケルが、顔をラインの方へ向けて問いかける。ラインは顔を伏せた。
「……分かりません。そうだったような、でも違います。あの時の私にとって、魔術を使えるのは当然のことなのだと、思っていた気がします」
「機械に対して干渉したか。お前達機械人形の電脳という仕組み、参考にしているのは人間の脳だろうが、それが可能な程に近いとはな。今回の場合、お前の持っているそのベースエーテル結晶の中身が、お前の為にわざわざ出張ってきたのだろう」
「イーシェさんが……? もしかして、まだ――」
「無理だ。それだけ刻まれて小さくなった魂にまともな自我は維持できない。その結晶が何故それほどまでに勝手に動けるのかは分からないが、仮に入れ物を用意できたとして、少なくとも会話が成り立つほどの人間性は残されていない筈だ」
ラインの言葉を遮ってケルは話す。ケルにはラインの傍にいる何かが見えている。ただ、それが何故形を保っているのか、ケルにも説明することができなかった。それ故に、事実のみを話すに留めていた。
「そうですか……。私が魔術を使ったことで、減ってしまったりはするんでしょうか」
「あれぐらいなら許容範囲だ。ただ……使えるかは別として、大規模な魔術は避けた方がいい。身体強化程度なら日に何度か使えるだろうが、魂の残量なんざお前には見えないからな」
ラインは胸元の結晶を見る。何かが変わった様子はなく、ただそこに存在し続けていた。
「とは言っても……もう一度今魔術を使おうと思ってもやり方が分からないんです」
「だが、実際に魔術要素を結合して魔術を使った。エーテルに指向性を持たせたのはお前自身なんだ。覚えていないのか?」
「はい……。あの時はそうなるように向けられていたと言うか……。私の意思だけでは恐らく難しいです」
「じゃあ胸のそいつが補助してた訳だ。全く……鉄屑ごときに魔術まで奪われるとはな。嫌になる」
ケルはもう一度試してみろとは言わなかった。
「魔術まで……」
「あぁ? ……わかるだろ、前の魔神を滅ぼしたのはお前達人間だ。あの教会に置かれてるα-1型にやられたんだよ」
「……α-1型が、魔神を?」
「そうだ。……まぁ今それはいい、過去の話よりこの先の話だ。帝国が王国に併合されたという話だが、まだ眷属化自体はされていないと僕は予想している」
「されていると、どうなるんですか?」
ケルは僅かに顔をラインの方に向ける。
「めんどくさい。その速度で眷属化が可能なら、短期決戦を強いられることになる。もし、王都内で帝国と王国が融合したこの時代では実現できないような夢の技術が出てきたらそういうことだ」
「……」
「それと、僕が辿り着けなかったら、お前がなんとかしろ」
「私が、ですか?」
「気持ちの問題だ。正直、誰が欠けてもおかしくはない。特にあのγ型にくっついている人間の女。あれは死ぬだろうな。弱すぎる。まぁ、いないよりはマシだが」
王都の城壁が近付いてくる。閉じた門の前に人が立っている様子はない。
「誰もいませんね……」
「中はどうだろうな。門が開いた瞬間、隊列を成した歓迎会が始まるかもしれん。……だが、少なくとも目的の賢神様は王都にまだいらっしゃる様だ」
ケルは口角を上げて城壁を睨みつける。
「分かるんですか?」
「あぁ、大きな気配が歓迎ムードだよ。……苛つくぜ、僕達が来ると踏んで誘ってやがる」
門の前に辿り着くと同時に、黒い馬はゆっくりと炭の様に崩れる。全員が追い付いたとき、既にケルは足元に石で何かを描いていた。
「あれ、なにしてんの?」
ステラがラインに話しかける。
「いえ……私には……」
「魔術の起点だ。王都を丸ごと包み込むにはこいつを通して起動しておく必要がある。保護はするが、当然壊されればそれまでだ」
「どれだけ保つ?」
レヴェルがケルに問いかける。ケルは片手を上げた。二本の指が立てられている。
「二時間。途中で僕が消えたら何があろうと十分が限度だ」
「短いなぁ」
ステラは肩を竦めて笑った。その横でメアは表情を変えずに門を見上げている。
「その為の中心だ。辿り着けば何があろうと一日は保たせてやる」
「頼もしいね、流石神様ってやつだ」
「ふん、これでお前の顔を見ることが無くなるかもしれないと思えば、その減らず口も悪くないな」
ケルは描き終わったのか、石を放り投げて立ち上がる。複雑な模様が幾重にも組み合ったその図形からは、何も読み取れない。
「……完成ですか?」
ラインがそう呟くと、ケルは少し下がるように手振りで伝えた。ラインが一歩下がると、それに合わせて全員が同様に一歩下がる。
「同時起動だ。いいもん見せてやるよ」
そう言ってケルは何かを掴んでいるように構え、振りかぶった。その手には大気が歪む程の何かが渦巻き、集まっている。
「《神殿・破城槌》」
その言葉と共にケルは掴んでいた何かを投げる動作をした。歪みが前方に指向性を付与された瞬間、爆発的な風と衝撃が巻き起こり、城門を跡形もなく吹き飛ばす。城門の向こう側の石畳は一直線に捲れあがり、その軌道にある建物は跡形もなく吹き飛んでいた。
そして、図形のある位置から少し背後。丁度ライン達が立っている場所よりも後ろ側に、巨大な半透明の光の壁が立っていた。その壁は王都を囲むように構築されており、さながら水槽の中に居るようだった。
「……これで攻撃魔術、苦手なんだ」
「準備時間があってこれだけとも言える。残念ながら総出で歓迎パーティは無いらしいな。行くぞ」
ケルを先頭に、王都へ足を踏み入れる。ライン達が全員中に入っても尚、人の気配はない。あれだけ王都から脱出する際に群がっていた人間が、誰一人として姿を見せなかった。
しかし、生活の痕跡はある。露天の商品はそのままで新鮮な果物が箱いっぱいに詰め込まれている。少し前まで、人々がここで生活を営んでいたかのような状態で、人だけが居ない。
ケルは時折左右を見ながら、歩みを進める。
「好都合ではある。このまま真っ直ぐ中心まで行くぞ」
ラインもその後ろを付いていく。しかし、足音が少なくなったような気がしたラインは、振り返った。
──ステラが、ラインに背を向けている。
「……そういう感じね」
ステラが言葉を零す。ステラの視点の先には、ラインの知っている人物。表情は無く、じっと標的を視界に捉えるように佇んでいる。武器の様なものは持たず、しかし今、全員がその間合いに入っているのだと分かった。
ケルもその存在に気が付き、笑った。
「悪趣味な奴め」
「ラダー、さん……?」
ラインの声に応える者は無く、ステラはするりと剣を抜く。眼前のラダーと思わしき人物は拳をゆっくりと構えた。
「行って。私が一番勝てる。終わったら合流するよ」
ステラは振り返ることなく正面を見つめたまま、背後のケルに言った。ケルは僅かな時間、何かを考える様子を見せたが、そのまま元の方向へ向き直った。
「任せる」
「……っ」
ラインはそれ以上何も言えなかった。そのままケルの後を追いかける他に選択肢はない。メアやレヴェルは、何も言わず、前に進んでいく。しかし、メアは何か思うところがあるのか、僅かに手に力が入っているのがラインには分かった。
緩やかな登り坂に差し掛かると、ケルは一瞬足を止めた。そして空を見上げると忌々しそうに舌打ちをする。
「急ぐぞ。警戒は置いて全員走れ」
「え……?」
「……壁が保たない。強固に守られているはずの起点が壊された」
ケルがそう言った瞬間、王都中に何かが軋むような音が響く。遠くを見ると、光の壁に亀裂が走っているのが見えた。その亀裂は少しずつ大きくなり、場所によっては僅かに崩壊が始まっている。
レヴェルが正面から少し逸れた箇所を指差した。
「その坂を右に抜けた先に階段がある。そこなら早く中央へ行ける」
「あぁ、あそこか。少し古い道だが、確かにっ────」
メアが思い出したように反応した瞬間、レヴェルはメアの腕を凄まじい速度で引いた。──レヴェルに引かれたメアがほんの先ほどまで居た場所を、光の線が掠める。
咄嗟に光の壁を前に張ったケルの足元に爆裂が起こる。
「……重金属による荷電粒子砲か」
メアを爆風から庇ったレヴェルは、少し焦げた人工皮膚を修復しながら解析結果を伝える。
それはまるで────
「────よぉ、ライン」
頭上から声が聞こえる。ラインは声の方向を見る。
少し高い建物の上、太陽を背にするように一体の機械人形が立っている。
その腕には煙を吐く見慣れぬライフルが握られ、そこから背中にある機械へ幾つもの線が繋がっていた。
「C6α……?」