66. 『円卓』
「作戦会議といこう」
ケルは地図を机に置き、広げる。それは王都の詳細な地図だった。
「こんなものどこで……」
メアが驚きの声を上げる。王都の地図自体はありふれたものではあるが、この地図は一般に普及していない精細さだった。その高い精度は王国で機密として取り扱われていても不思議ではない。
「僕が作った。続けていいか? それで、僕達の目的地はここ、王城。分かりやすくて助かるね、奴は絶対にここを離れない」
ケルが王城のある位置に指を置く。
「離れない、というのは?」
ラインがケルに問いかけると、ケルは嘲るように口角を上げた。
「奴は元々言葉で支配することに長けた獣だ。人の支配者の側に現れ、その支配者から操る。王都が王城という分かりやすい象徴を備えている以上、本来の支配者がそこに居たはずだ。王城が王城としての形を保っているなら奴もそこに居る」
「居なかったらどうする?」
「その為の僕だ。王都の中心にさえ行けば魔術で王都を囲える。……と、言いたいところだが、別に外からでも展開できないことはない。時間制限付きにはなるがな。時間切れまでに中央に行くことが出来れば安定もさせられる。そうなれば奴は逃げられなくなる。それで、肝心の中心へ行く方法だ」
ケルは正面の門を指差す。ラインはそれが何を意味しているか、すぐに分かった。
「……正面突破」
「我ながら中々に賢い作戦だな。最も早く、速く辿り着ける。途中何があっても前進し続け、最速で中心へ向かう。妨害があれば都度一人ずつ足止めに置いていく。最終的に僕が奴の元に到達できさえすればそれで勝ちだ」
誇らしげに笑うケルに対して、レヴェルが口を開いた。
「急いでいる理由があるだろう、魔神」
「……」
ケルは表情を消してレヴェルを見返した。メアが驚き、思わずレヴェルの方を見る。レヴェルはじっとケルから視線を逸らさずに目を向けている。
「急いでいる……?」
メアがそう呟くと、ケルは溜息を吐いた。
「……帝国が王国に併合された。まだ帝国の人間までは支配できていないだろうけど、他国に対して不干渉を貫いてきた王国がここで動いたということは、何かを始めている可能性が高い。それも、前回の戦争を踏まえて勝機があると踏んだ何かが」
ラインが帝国を出てから数日。国が併合されるにはあまりにも早い。
「その何かを持っているかもしれない元賢神に対して正面から突入するには、相応の賭けが必要になる」
レヴェルがそう返すと、ケルは静かに頷いた。
「あぁそうさ、どこまで行ってもこれは賭けになる。少なくとも天界にある"座"が動いた様子はない。元賢神が賢神に戻ったということは無いだろう。……それなら、こちらに勝機があると判断したんだ」
「理解した。であれば、作戦において早さは何よりも重視されるべきだ。当機はその案を支持する」
そう言ってレヴェルはケルから視線を外した。そして、入れ替わるようにステラが手を挙げる。
「誰から捨ててくの? 弱い順?」
「適材適所だ。魔術師相手ならそこの鉄屑よりお前の方が相手に慣れている。機械人形相手であれば、鉄屑かγ型をぶつけるのが良いだろう。当然、片付け次第こちらに合流してもらう」
「負けるとは思ってないんだ」
「そうなればそれまで、ということだ」
「嘘でもお前なら勝てる! とか言ったほうがいいんじゃない?」
「言ってほしいのか?」
「いんや」
なんだこいつ、と言いたげな目でケルはステラを見た。ステラは楽しそうに笑っている。
「……まぁ、仕事はするよ。少なくともそのなんとかが上手くいって洗脳状態の人類が繁栄なんて嫌だからね。私の目的とも合わないし」
「人類の根絶だったか、それに関して僕は関与する気はない。勝手に争っててくれ」
「ふーん? なんか残念」
「僕の仕事は天界に危険が及ばないようにすることだ。それ以外は知らん。で、他に何か言いたいことがある奴はいるか」
次に反応したのはメアだった。
「王国の門が開くとは思えないが、どうやって開けるつもりだ?」
「僕が魔術で吹き飛ばす」
その言葉にステラは首を傾げた。
「さっき攻撃魔術苦手って」
「うるさいな! 王都をまるごとなんて出来ないって言ったんだ! ……とにかく、門については気にしなくて良い。もういいか?」
最後にラインが小さく手を上げた。それに気付いたケルが続きを促すような目をラインに向ける。
「出発は?」
ケルは一度、ラインから視線を外して天井を軽く見た。否、その先を見ている様だった。僅かな時間そうしていたが、すぐにラインに視線を戻す。
「────今すぐにでも」
そうケルが言った瞬間、常人なら耳を塞いでしまう程の轟音が外で鳴り響いた。振動で窓が揺れ、砂埃が天井から降る。ケルは鬱陶しそうに地図の上から砂を払い除けた。
「何だ!?」
メアが驚いて立ち上がるが、ケルはその音を聞いていないかのように落ち着いた様子で地図を丸めて懐に仕舞う。
「帝国のアシストカノンだろう。もう少し撃ってくるかと思ったが、少ないな。まぁ、どれだけ撃ってきてもあんな玩具で僕の魔術を貫ける訳無いのに御苦労なことだ。気になるなら外を見たらいい。もう暫くしたら次弾が飛んでくるぞ」
その言葉を聞いて、メアは窓の方へ向かう。興味があるのか、ステラもその後ろを付いていった。
「……嫌な音ですね」
ラインがふと、そう呟いた。ケルは再び嘲るような笑みを浮かべる。
「そうだろう。お前らは何回もこの音を聞いている筈だ。お前らがアシストカノンを戦時中まともに撃たなくなったのはこの魔術が理由だからな」
メアが窓の外を見ると、光る何かが遠くの空に見えた。次の瞬間、目で追う暇も無いままリドルラドに到達し、透明な壁のような何かに阻まれる。壁に阻まれた砲弾は爆音を撒き散らし、光の粒子となって透明な壁を通過、空中ですぐに霧散した。
「すっご……」
ステラは思わず声を漏らした。
「……魔神は健在、ということですね」
「それでもお前らは前の魔神を殺せてる。全く、面倒な奴らだ」
嘲るような笑みを引っ込めたケルは、部屋の明かりを消す。それに気が付いたメアとステラがケルの方を振り返った。
「行くぞ」
*
外は攻撃を受けたにも関わらず、静まり返っている。聞こえるのは砲弾が消滅する際の轟音のみで、人の気配すら殆ど感じられない程であった。
「街の人はどこに……」
ラインが周囲を見ながらそう言うと、先頭を歩いていたケルが僅かに振り返る。
「各所の教会に避難。今頃橋にはリドルラドの兵が集中しているだろうな」
「グレインヴァニアは機械人形を兵士として運用していないと聞くが、本当に大丈夫なのか?」
メアの問いかけに対し、ケルは面倒そうに返答する。
「まともに統率の取れない今の機械人形はゴミだ。ああやって教会で座っているのが一番良い。グレインヴァニアは兵士の殆どが魔術師だからな、そこらの機械人形を使うより余程戦えるぞ」
「……すごいな。王国は魔術師など滅多に見かけなかったものだ」
「そりゃ王国を支配している奴にとっては敵の技術だからな。拒絶まではいかないが積極的に取り入れることはしなかったんだろう。……あぁ、ほら、見てみろ、あの橋を封鎖しているのがリドルラドの兵だ」
そう言ってケルが指を差した先には、唯一の橋が封鎖されており、兵士が出入り口を完全に固めていた。砲弾が何度直撃しても兵士は一切動じていない。
「これ……通れるんですか?」
「当然だろう」
歩みを止めることなくケルは橋へ近付いていく。ケルに気が付いた若い兵士がそれを静止しようと前に出かけたが、周りの兵士に引き止められていた。動きがあったのはそれだけで、ケルが橋を渡ろうとしても兵士達がそれに触れることは一切なかった。
「僕の魔術で守られているのはこの橋の先までだ」
「また王国まで歩きとはな。馬車の一つでもあればいいものだが」
メアのその発言を聞いたケルは手を軽く地面に向け、何かを掬うような動きをした。
「《起きろ》」
眼の前の地面に黒い粘土のようなものが現れ、肥大化し、三頭の真っ黒な馬に形を変えた。その馬の形状が、イーシェの使う土の馬を作る魔術に酷似していることにラインは気が付く。
「それは……」
「なんだ、見るのは初めてか。……いや、何処かで似たようなのを見た、というような顔だな。恐らくそれはこの魔術の派生だろう。これは人間が使うには複雑すぎるからな。恐らくその場にある土なり石なりの代用で動かしていた筈だ。あんまり爪で引っ掻いたりするなよ、関節部周りは指が黒くなるぞ」
ケルはそう言って馬に乗る。
「……はい」
ラインもそれを見て馬に乗ると、メア達も合わせて馬に手をかける。ステラはメアの後ろになるように移動したため、レヴェルはラインと同じ馬に乗ろうとした。
「おい馬鹿、なんで機械人形がまとめて同じ馬に乗ろうとしてるんだ。お前ら自分の体重も分かんないのか」
ラインはケルの後ろに乗ることになった。




