64. 『廃意』
「頼む、話をさせてくれ。レヴェルも連れて来た。逃げるのは不可能の筈だ」
「……分かりました」
メアの行動は正しかった。ラインの前に現れたのがメアだけであったなら、ラインはそのままステラにブレードを振り下ろすつもりでいた。しかし、ステラを確実に仕留められる性能を持つレヴェルが同行しているのならと、ラインはブレードをゆっくりと降ろした。
ゆっくりとラインはステラの首から足を離すと、後ろに下がった。ステラは首を抑えながら起き上がる。その顔には、笑顔が浮かんでいる。しかし、いつもの張り付けたような笑顔ではない。
仕方がない、と言ったような顔だろうか、とラインは思った。
「すまない……ありがとう」
メアはラインに申し訳なさそうに感謝を述べながらステラに向かって歩いて行く。レヴェルはその後ろを追うように歩く。
ステラは振り返ってメアを見る。
「……やな、再会だね。今じゃない方がよかったな」
「私は今で良かった。ステラ」
「あは……変な口調。隊長の真似してるの?」
「ステラが居なくなってから、私が副隊長になったんだ。変わりもするさ」
沈黙が流れる。
ふと、ラインの足に何かがぶつかる。ステラの腕を切断したことで床に落ちたブレードだった。ラインは拾い上げてから、向かい合っている二人を見る。
最初に沈黙を破ったのは、ステラだった。
「……別に、騙してた訳じゃないよ」
「それは戦闘課の兵士に対してか? あの時のステラと……今のステラは同じなのか?」
「私はずっと、私のままだよ。……あなたは、いつまであなたかな」
そう言って楽しそうに笑うステラに、メアはため息を吐いた。
「確かに、ずっとそのままらしい。そういう周りくどい話し方はステラのものだ」
「すごい信頼だね。嬉しいなぁ」
「……残念だが、あまり時間もかけていられない。ここまで騒ぎを起こしたんだ。人が集まるのを抑えるのにも限界があってな、手短に済ませたい」
「他ならないメアの頼みだからね。聞きますとも」
その言葉を受けてメアは考える。何を聞くべきかを。時間は限りなく少ない。考えられる時間も残されていない。
そして、短い思考の後、メアはステラに向き直る。
「王都での出来事はステラも関わっているのか?」
「……王都? 帝国が王都に進行するように仕向けたのは私だけど……それは聞きたいことじゃなさそうだね」
「言い方を変える。──賢神を知っているか」
メアはまっすぐにステラを見た。
「知らないね」
「そうか。分かった」
メアはステラの一言に頷いた。微塵もその言葉を疑っている様子は無い。
「……メア、彼女が嘘をついている可能性は」
「嘘はつかないよ」
ステラがラインの言葉を遮るように言った。しかしラインは疑いを解くことができなかった。軽い言葉に場を掻き回す性格、出処が不明の機体を持つ、最初の機械人形であるα-1型。
それがラインの見るステラ・リストレイトという存在だった。
ステラもラインがそう考えているのは分かっているようで、表情を変えることは無かった。
「証明できるような物とかは、無いんだけど……」
ステラはそう前置きしてから、ラインに向き直った。
「この機体の設計者であるアールムの名に誓うよ」
「……機体設計者ですか。それが証明になると言うのですか?」
「私の一番大事なものだよ。これ以上は持ってない」
ステラの顔に笑みは無い。ラインがメアを見ると、メアは小さく頷いた。
「帝国の進行と王都の出来事に関連はない、と私は思う」
「……わかりました」
「それで、その気にしてる王都の出来事って聞いてもいいのかな」
ステラがメアに問いかける。外の騒ぎが徐々に大きくなっているのが分かった。メアは少し考え、口を開く。
「私も完全に理解している訳ではないが……王国民の全てが大規模な洗脳に近い状態にあり、私達と敵対している。厳密には、ラインと、というのが正しいか」
「あぁ、それでリドルラドに来てたんだ。その身体の事も納得したよ」
その言葉に、メアの動きが思わず止まる。
「……どうして、それを」
「仕組みは分からないけど、その身体だから人扱いされなかったんじゃないの?」
「違う、どうやって私の身体の事を……」
あ、とステラは声を漏らした。忘れていた、というような顔をしている。
「私、相手が人かどうか分かるんだよ」
「それは……勘、ということか?」
「いんや、相手が人なら頭の中で声が聞こえるってだけ」
声、という単語にラインは僅かに反応する。
「声?」
「そ、"殺さなきゃ"って。今のメアからはその声がしないからさ、何かあったんだろうなって」
「……」
それを聞いたメアは暫く黙り込んだ後、服を少したくし上げて腹部をステラに見せた。
その肌の一部には金属が覆うように貼り付いている。
「……やっぱり、それか。半分くらい?全部?」
「大体半分だ。内臓のほとんどが置き換わっている。……その言い方だと、どうなっていたかまでは分からないんだな」
「人かどうかまでだからね。いや、だからと言って人じゃないってことにはならないんだけど、そう認識できない、ってのが正しいかな」
「それで……その"声"が帝国に居た理由か?」
「そうだね。より多くを、効率的に、確実に。だから森で帝国兵と遭遇したあのとき、メアだけを逃した。全く最悪だったよ、あれは。あれのせいで破機弾を殆ど使わされたからね。帝国に取り入るためには力を見せた方が早かったから仕方なかったけどさ。しかも色々やって結果は大失敗。貴重な戦力も全部投入したのにね、酷い話だよほんとに」
ステラのその言葉は、王都への進行がステラの行動の結果によるものであることを示していた。メアの頭には、帝国との衝突で死亡した戦闘課の兵士達の顔が過ぎる。
「……戦闘課の兵士は何人も死んだぞ」
「それが仕事だし仕方ないんじゃないかな」
「何故、その"声"とやらに従っている。抗うことも、できる筈だ。そうしていればステラは王都で戦闘課のまま──」
「……それがどれだけ難しいか、メア。あなたなら見たことがあるんじゃないかな」
そう言ってステラはラインを見る。メアは、その行動でステラの言う"声"がどのようなものかを理解した。
「ラインと、同じなのか」
「私にはどうしても破れない約束があるから。……だから、従う以外の選択肢はないんだよ」
ステラの声には、諦めが含まれていた。メアには、その"声" に抗う難しさは分からない。ただ、従う従わない以前に、"声"が聞こえているだけのラインが機能不全に陥りかけていたことは覚えていた。
しかし、メアには一つ疑問が残る。それはメアとステラの出会いであり、始まりのあの瞬間のこと。
「それなら……それなら、どうして私を貧民街から……」
その行為はまさしく"声"に抗うことでは無いかとメアはステラに訴える。それを聞いたステラは、嬉しそうに笑った。
「あぁ……そうだよ、あれはキツかったぁ。明確に抗ったのはあれが最後だからね。私とおんなじで、でも私より強い目をしてたから。あの貧民街であなただけは溺れていなかった。だから掬い上げたんだ」
「……なんのために」
ステラはメアを見上げて微笑んだ。そして、メアの腰に下がっている剣を見た。赤い体温模倣液を肩から流しながら、片腕の失った、今にも死にそうなその姿。
「私を、救ってくれると思ったから」
「────」
メアは理解した。
己は、ステラを殺すために貧民街から連れ出されたのだと。
「それが私が声に抗う唯一の方法。私よりも強い存在を育てることが私の目的だった。まぁついさっき、そこの子に負けたときにメアが声をかけなきゃそこで終わってたといえば終わってたんだけど。折角ならメアが良かったから、結果的には良しだね」
「……私に、ステラは」
殺せない、とメアは呟く。
「そーかな。でも、ここで暴れて住民を皆殺しにするって言ったら、メアはきっと私を止めるでしょ?」
「……あぁ。そうだな」
「じゃあ、今、殺してよ。そうしないと暴れちゃうかも。だから、ね」
ぎり、とメアは目を伏せて歯を食いしばった。握られている拳にもかなりの力が込められていることが、外からでも分かるほどに。
ステラは今、笑ってこそいるものの、余裕は全く無いことをメアは感じていた。それはまるで、待ち望んだことが思いがけず実現しそうになったが故に、その機会を逃すまいとしているようだった。
メアは体の力を抜くと、ステラの目を見る。その目は僅かに揺れていた。それが期待の表れかどうかは、メアには分からなかった。
「一つ、頼みを聞いてくれるなら」
「いーよ。なんでも、そしたら……」
「私達に力を貸して欲しい」
メアは、ステラを見つめてそう言った。