62. 『路地裏にある解答』
人として認識されない程に体を機械に置き換えている──その指摘にメアは肩を僅かに跳ねさせた。
「単純な仕組みだ。死ぬ寸前の人間を眷属にしていても神にとっちゃなんの利点も無いからな。体を機械で置き換えている状態と致命傷や欠損を伴う怪我を負っているということは区別できない。それに、眷属にできる数には限りがある上、座を失った奴の限界は王国の住民が精々だろうな。限られた枠を節約するために死にかけは眷属の対象から外すんだろうさ」
「……確かに、王都を出る時に怪我を負った衛兵も……僅かに自我を取り戻している様子でした」
「まぁ、そういうことだろうな。良かったじゃないか、図らずも奴の尖兵にならずに済んだ訳だ」
「そうだな。その……名前を聞いてなかったが、何か名前はあるのか?」
メアが同意しようとして言い淀んだ。眼の前の少年は魔神と名乗ってこそいるが、名前はまだ口にしていなかったのだ。
名前を聞かれると思っていなかったのか、少し驚いた様子の少年は椅子に背を大きく預けて笑った。
「ケル。よろしく」
「メアだ。それで……ケルの言う通り、現状は不幸中の幸いと言えるだろう」
「いいね。今を考えられる奴は嫌いじゃない。後で体ん中を整理してやるから別室に来な。そのままだと数年で死ぬだろうからな」
その一言にラインは思わずメアの顔を見る。メアはある程度覚悟していたのか、特に衝撃を受けた様子もなく目を伏せた。
「……助かる」
「ま、寿命で死ねるかまでは分かんないけど、少なくとも一桁は増やしてやろう」
「当機も同席するが、構わないか」
レヴェルがケルに向けて言葉を発した。
「あぁ、お前が損傷を遅らせてるのか。一緒に来てもらった方が都合が良さそうだ。……ひとまず、話はこれくらいにしておこう。鉄屑、お前は好きにしていろ。だが夜までには戻って来い。ここの空いてる部屋を貸してやる」
そう言ってケルはラインに何かが入った小さな袋を投げた。受け取ると、見た目によらずかなり重量がある。
「これは?」
「金だ。この街を観光でもしてこい。後から返せとは言わん」
「…………わかりました。ありがとうございま。」
*
リドルラドを歩きながらラインは帝国での出来事を思い返す。β型のこの機体は、量産型よりも強固に作られているとはいえ、余りにも貧弱だった。
イーシェに同行していたのが、もしレヴェルだったら。少なくともイーシェがあの場所で死ぬことは無かっただろう。
ステラは確実にラインよりも強い。正面からの単純な出力では勝つことは難しいだろう。それに、ステラはあのα-1型である。最初の機械人形に、ラインは勝てる未来が見えなかった。
ラインはα-1型の特殊兵装を知らなかった。α-2型の荷電粒子砲やα-4型の知覚拡張は身を持って知っているが、それ以外は記録としても所持していない。帝国で追い詰められても尚、使用する気配が無かったことから、所持していないか、あの場では使えなかったか。或いは、あえて使わなかったか。後者であれば、レヴェルでも難しいだろう。
加えて、自身に組み込まれた戦闘用プログラムは成長しない。更新もされない。ラインの戦い方をステラが完全に覚えていた場合、同じ土俵にすら上がることは出来なくなる。
ラインとしての経験が、浅すぎるのだ。
「……っ」
電脳の負荷が上昇した。あの声が再びラインの頭で響き出したのだ。
「……誰を、救えばいいんですか。私には、私の力では何も──」
さらに大きくなる電脳の負荷。教会に入った時に匹敵するほどの意思の暴風がラインを襲う。高負荷により視界に異常が発生しているが、ラインはそれに気が付いていなかった。
揺らぐ視界の中、何とか路地裏まで移動しながら、ラインは声に耳を傾ける。
"救わなければ"
"救わなければ"
声は変わらずラインを押し潰す様に響き続ける。
その声に感情は無い。ただ、ひたすらに繰り返し続け、言い聞かせるかのように際限なく高まる。電脳の負荷が閾値を超え、警告を視界に表示した。しかしラインには為す術もない。
声に言い返すようにラインは言葉を絞り出す。
「イーシェさんは助けられませんでした。メアも重症を負って死ぬ寸前でした。私に頼ったって何も救えないんです」
"救わなければ"
"救わなければ"
"救わなければ"
"私が────"
「何が目的かは分かりませんが……! 仮に私に全てを救えと言ったとして、も………っ……?」
────。
声など初めから存在しなかったかの様な静けさがラインに訪れる。警告音も鳴り止み、電脳の負荷も下降し始めた。
「……"全てを、救わなければならない"?」
ラインは己が座り込んでいることに気が付いた。壁に手を付きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「私が……私が為さなければならないこと……」
そう呟きながら暗い路地裏から光の方へ導かれるようにラインは歩き出す。電脳が今までに無いほどにクリアになっている。ノイズも、異常な負荷もない。何かが噛み合ったような感覚がラインにはあった。
「やっほ、帝国ぶりだね。元気?」
ラインの足が止まる。
「……ステラ・リストレイト」
振り返ると、そこには最近見たばかりの顔。張り付けたような笑顔と隙だらけの佇まい。α-1型、ステラがそこに立っていた。
笑みを浮かべながら、ステラは首を傾げる。
「あれ? そういえば名前全部名乗ったっけ」
「メアに聞きました。王国の元戦闘課だったと」
ラインはブレードへ徐々に手を伸ばす。ステラはラインの発したメアという単語に反応し、ラインの動きには気付いていない様子だった。
「メアが? そっか。メアもここに来てるんだ……。そっかぁ……やっぱり……」
ラインの手がブレードの束を握る。ステラは嬉しそうに独り言を呟いていた。
「帝国はもういいんですか? 今頃大変そうですが」
「うわ。怖いね、もう戦う気なの? まぁ、帝国はもういいんだ。目的は果たせなかったけど、用は済んだから」
「……グレインヴァニアに来た理由は」
「さぁ、何でしょう。当ててみなよ、景品はまだ考えてないけど」
ステラは両手を広げて笑う。
「帝国と同じことを、グレインヴァニアでも行うつもりですか」
ラインの答えに、ステラの雰囲気が少しだけ鋭くなったような気がした。しかし、その表情には変わらず笑顔を浮かべており、何かを気にしている様子はない。
「…………。まぁ、及第点はあげようかな。大体目的はそんなところだね。エイカフとグレインヴァニアの戦争はもっと大きくできる。もっともっと人が死ぬようにできる。機械大国エイカフは機械人形ばかりグレインヴァニアに送るし、魔術大国グレインヴァニアは魔術師が束にさえなれば機械人形なんて簡単に破壊できる。だから誰も死にやしない」
「……それで?」
「例えば……この都市で祀られてる機械人形全部ぶっ壊したりとか、ね。どうなるかな、祀ってる対象がエイカフによって破壊されたってここの人達が思ったらさ」
「しかし理由が――」
ラインの問いかけを遮るようにステラは手で言葉を制する。
「ざーんねん。景品は終わりです」
これ以上、答える気はないらしい。
ラインはブレードを展開する。微細に振動する白い刃が、ステラに向けられた。
「そういうの、かっこいいかもしれないけど。君には関係ないんじゃない? 君だってここに来たばかりでしょ?」
ステラは刃を向けられていることなどまるで見えていないかの様だった。ラインはブレードを向けたまま、答える。
「"私は、人類を救わなければならない"」
ラインは無機質な目をステラに向けた。その目を見たステラは、初めてその顔から笑顔を消した。
「きっもちわりぃね。本心で喋りなよ、機械ちゃん」
ステラが踏み込む。その手にはいつの間にか剣が握られている。ラインはその動きに合わせるように姿勢を低くし、迎え撃つ。
「……加速、実行」